[ひとりごと11]
私の親しい人が実際に体験した話です。
こういうことが医療現場で当たり前になっているのであれば、あまりにも酷いと思ったので、許可を得て書かせていただくことにしました。
但し、個人が特定できるような情報は一切出さないで欲しいとのことなので、架空の人物で物語風に書くことにします。
病院でのやり取りは実際にあったことです。
現在、医療現場も働き改革が進んでいるようです。
医療従事者の健康を守るための働き方改革も大切ですが、だからと言って、危篤に陥った入院患者の診察を医師が放棄して良い理由にはならないし、患者家族に状態の説明をしないというのも間違っています。
入院しているのに医師に見捨てられ、診てくれと訴えても、看護師から「大丈夫だから」と言われて医師に取り次いでもらえない。
更には患者の鼓動が止まるまで、家族に現状の説明が一切ない・・・・・・これは、あってはならないことだと思います。
今から書くのは、そういうお話です。
話は 母親を看取った君子さん(仮名)の立場で書きます。
■外交的で活動的なお母さん
君子さんのお母さんは、外交的な性格で、家でじっとしていることがありません。
旅行好きで、定年退職してからは、しょっちゅう海外旅行に出かけたり、日頃も色々なところに顔を出す活動的な生活をしていました。
社交的でエネルギッシュな君子さんのお母さんは、実年齢よりも10歳は若く見えたそうです。
そんなお母さんの最初のトラブルは、80歳を過ぎた頃にやって来ました。
椎間板ヘルニアによる激痛で歩けなくなってしまったのです。
君子さんはそれを機にお母さんと同居することにしました。
だけど、正規で働いている君子さんは仕事をしょっちゅう休むことはできません。
最初の内は、激痛で室内の歩行さえも大変だったので、その時は会社を休んで君子さんが毎回病院に連れて行っていましたが、整形外科の他に、内科や歯医者の通院もあるため、いつまでもこの状態が続くと仕事を辞めざるを得なくなります。
そこで、介護保険が助けにならないか相談したところ、要支援1に認定されましたが、要支援1では病院への移動介助はしてもらえません。
幸い、お母さんは、自分のことは自分でしたいという努力家。
激痛が少しマシになって、室内の歩行が可能になると、「病院は自分で行くから大丈夫よ」と、困っている君子さんを逆に励ましてくれました。
君子さんも、お母さんに甘えて、「タクシー代はいくらかかっても良いからね」と、通院はお母さんに任せました。
だけど、自由に出歩くことができるようになるには時間がかかります。
引きこもり生活は良くないので、週1回のデイサービスに通うことにしました。
最初は抵抗を示していたお母さんですが、リハビリ専門のデイサービスがあると聞いてやる気になったようです。
人と話すのが好きなお母さんは、スタッフの人との会話も楽しみに通所していました。
だいぶ元気になって、少しずつ活動を開始し始めたある日、自宅に酸素吸入器が届いていました。
「なに、これ?」と、君子さんはびっくり。
お母さんも「そうなのよ」と笑いながら「酸素濃度が低いと言われてね・・・・・・」と他人事のように説明してくれました。
若い時から咳持ちだったお母さんの肺はボロボロになっていて、酸素を十分に取り込めなくなっていたそうです。
お母さんには自覚がないため「大袈裟なのよ」と笑っていました。
ところが、2か月経つ頃から、しんどさを感じるようになり、酸素吸入器を時々使うようになりました。
外出の時には酸素ボンベを持ち歩くようにと言われましたが、お母さんはこんな重くて邪魔な物をガラガラ引っ張って出かける気にはならないと、外出の方を控えるようになってしまいました。
幸いデイサービスのリハビリは、酸素濃度を見ながらならOKとの許可が出たので、続けることができました。
送り迎えの時に、施設の人が 酸素吸入器を運んでくれるので、お母さんもデイサービスは安心して通えたようです。
腰の時は、頑張って治して また出歩こうとの意欲のあったお母さんですが、酸素吸入器が必要になってからは、外出に消極的になってしまいました。
だけど、しっかりしていたいというプライドがあるので、ボケ防止で始めたパズルやクイズに夢中になったり、友達を呼んでお喋りしたり、自宅での生活をそれなりに工夫して楽しんでいました。
■体調不良
君子さんのお母さんは、腰も、まだ完全には治っていないので、整形外科の通院も続いています。
これ以上筋力が衰えると、室内の生活にも支障が出るため、病院で教わった座ったままで出来る運動も毎日の生活に取り入れて頑張っていました。
だけど、肺は治りません。
徐々に酸素濃度も上がらなくなっていきました。
血中の酸素濃度は、一般には96~99%が正常とされていますが、お母さんの濃度は96あれば良い方で、90台前半の数値が当たり前になっていました。
最初は「退屈」が口癖だったお母さんですが、その内「しんどい」が口癖になりました。
外出が減ったことで、体を動かす量が大きく減ったことも影響して、1年も経過すると、姿も動きも “おばさん” から “おばあさん” に変わってしまいました。
だけど、頭はしっかりしています。
他の人と接する時は、しんどさを出さず、にこやかに対応するので「お元気そうですね」と言われていましたが、君子さんには甘えて、毎日「しんどい」を連発していました。
徐々にしんどさが増しているのだろうなあと君子さんは思いましたが、こればかりは、どうしてあげることもできません。
そんなある日、ケアマネージャーさんから君子さんの携帯に連絡が入りました。
デイサービスの施設から、「今日は酸素吸入しても酸素濃度が上がらなかったので、ずっと安静にしてもらってました」と報告が入ったそうです。
ケアマネージャーさんは、お母さんに「一緒に病院に行きましょうか?」と声をかけてくれましたが、お母さんは「大丈夫です。夜には娘も帰ってきますし」と断ったそうで、心配したケアマネージャーさんは、君子さんに電話で伝えてくれたのでした。
会社で連絡を受けた君子さんは、翌日の休暇届を出して帰路につきました。
家に帰ると、いつもと変わらないお母さんの姿に、君子さんはホッとしました。
だけど酸素濃度はいつもより低めでした。
「明日、病院に行こうね」と言って、この日は就寝しました。
翌朝、君子さんが起床すると、お母さんはいつも通りに早起きして活動を開始していました。
お母さんが玄関のところに座り込んでいます。
手には小さなゴミ袋を握っていて、家の中のゴミを集めていたようです。
「大丈夫!?」
君子さんが駆け寄ると、お母さんは、はあはあと息をしながら、「ゴミ出せなくて・・・・・・」と言います。
「そんなこといいから」と、君子さんは、お母さんを抱きかかえて椅子に座らせ、酸素を吸わせました。
同時に血中の酸素濃度を測ると74という とてつもなく低い数字だったので、君子さんは流石に焦りました。
取りあえず、君子さんは、お兄さんに電話して、落ち着いたら病院に連れて行くことを伝えます。
しばらくすると、お母さんの呼吸は落ち着いてきました。
血中酸素濃度を測ると90まで回復していました。
低めが日常のお母さんは、90の数値まで戻ると、いつものお母さんです。
かかりつけ医に連れて行くには、まだ早かったので、「ご飯どうする?」と訊くと、「食べる」と言います。
きっと体のために食べなきゃと思っての「食べる」なんだろうなあと思いましたが、食べる気になるぐらいなら大丈夫かなと、君子さんは少し安心しました。
食べ終わって一服していると開業時間になったので、病院に向かうことにしました。
ズボンを履き替えたいというので、着替えを手伝い、外に出ました。
そんな母の姿に、緊急性は無さそうだと思っていましたが、車までの数mの距離で、お母さんの呼吸は激しく乱れました。
君子さんは、ちょっと焦り、急いでかかりつけのクリニックに連れて行きました。
車からクリニックに入るまでが大変です。
引きずるように連れて入ることになりました。
空いている椅子に座らせて、受付で事情を話し、「酸素が必要な状態だけど、あの機械を私は触ったことがないので操作していただけませんか・・・・・・」と、酸素ボンベを指さして伝えると、「少々お待ちください」と受付の1人が奥に入り、直に医師が出てきて、血中の酸素濃度を測りながらボンベを操作し始めました。
ところが、指に装着したパルスオキシメーターの数値を見た途端、「これ(携帯用のボンベ)ではダメだ」と、慌てて看護師に指示を出しました。
パルスオキシメーターの数値は、なんと57!
君子さんも、お母さんも、思わず、信じられないという顔を見合わせました。
すぐに車椅子を持ってきた看護師さんに、お母さんは運ばれて行きました。
■緊急入院
君子さんのお母さんの状態は、検査する必要があるということで、救急車で救急病院に運ばれました。
運ばれた先の総合病院での検査結果は『肺炎』でした。
コロナは陰性。
高齢者に多い誤嚥性肺炎でもなく、何に感染しているかは不明でしたが、抗生物質で様子を見ながら治療するということになり、そのまま入院となりました。
入院期間の目安を聞くと、2週間から3週間とのことです。
君子さんは「よろしくお願いします」と医師に頭を下げました。
「部屋は大部屋と個室どちらにしますか?」
「大部屋も選べるのですか?」
「選べますよ」
「なら人の気配があった方が母は安心だと思うので大部屋でお願いします」
君子さんは、いつもの穏やかな表情を見せている母親の顔を見て安心しました。
お母さんも病院なら安心だと思っているようです。
そんなお母さんを見て、君子さんは退院後のことを考えていました。
まさか2日後に亡くなってしまうなんて思ってもいなかったので、入院で体力が落ちてしまうことを心配し、退院後のことをさっそくケアマネージャーさんと相談しなきゃと考えていたのです。
君子さんが診察室を出ると、医師も一緒に出てきました。
部屋の外に出ると、医師は君子さんに訊きました。
「年齢が年齢なので、容体が悪化することがないとは言えません。万が一のために訊いておきますが、延命措置をしなければ助からないとなった時に、延命措置をしますか?」
「母は、人工呼吸器をつけたりの無理やりな延命は望まないと昔から言っていたので、延命措置は望みません」と答えると、医師が「ここにサインを」と言うので、君子さんはサインしました。
病院はコロナ対策で、面会は待合室で15分だけというルールになっていました。
入院することになったお母さんは、その時から、このルールが適用されるので、君子さんは入院に必要な物を用意して再び病院を訪れた時に、お母さんと15分だけ面会して「また明日来るね」と言って帰りました。
翌日、足りない物を揃えてナースステーションに持って行った時、看護師さんに母との面会を申請しました。
しばらくすると、奥の病室からお母さんが運ばれてきました。
「起き上がれなかったので・・・・・・」と看護師さんは、お母さんをベッドごと運んできました。
昨日、別れる時には元気だったのに、すごくしんどそうになっているのを見て、君子さんは驚きました。
急に悪化しているように見えたものの、病院側からは特に何の説明もありません。
15分経ったからと迎えに来た看護師さんに訊いても「先生から また説明があると思います」というだけなので、大丈夫なのかなと少し心配になりながらも、君子さんは お母さんに「また来るね」と言って帰りました。
■容体急変
翌朝、病院から電話がありました。
「容体が悪いので個室に移しても良いですか」と聞いてきたのです。
「構いません」と伝えて、その後、家族に連絡して、君子さんは急いで病院に向かいました。
到着すると、ちょうど医師が診察しているところでした。
その医師の説明は、入院した時に医師から聞いたことと全く同じで、今がどうなのか、これからどうなるのか、またはどうするのかの説明は一切なく、「主治医が方針を決めますから、主治医が来るまで待ってください」と言って、立ち去ってしまいました。
君子さんにしてみれば、主治医なる人は、初日の検査をしただけで、その後は休みに入ってしまったので、主治医がお母さんの体をよく知っているとは思えません。
薬を試している段階で、悪化した状態を放置して大丈夫なのだろうかと不安になりました。
過去に複数の病院で家族を世話した経験のある君子さんは、担当医に任せているのであれば、緊急時は連絡を取って指示を仰ぐものだと思っています。
それなのに、主治医が来るまで待てと言える状態ということは、そこまでの緊急性はないのかもしれないと、君子さんは一抹の不安を覚えながらも、医師を信じることにしました。
お昼過ぎ、連絡した家族がやってきました。
個室だから、面会の15分ルールは気にしなくて良いと言われたので、病室でゆっくり過ごしました。
久々に集まった息子や、孫の顔を見て、お母さんは嬉しそうです。
しんどそうだけど、笑顔です。
そうこうしている内に、お母さんの話の内容がおかしくなりました。
意識が混濁していることに気付いた君子さんは、慌ててナースステーションに知らせに走りました。
看護師がやってきて、母の腕に装着している機械の酸素濃度を確認すると、出て行ったきり、待てど暮らせど、誰も来ません。
看護師がしていたように腕の布をめくって機械を見ると、酸素濃度が40を切っていました。
どういうこと? これ大丈夫なの?
君子さんは焦って、またナースステーションにSOSを伝えに走りました。
君子さんに問い詰められて困っている看護師に、別の看護師が変わりました。
容体が悪いのでお医者さんに診てもらいたいとお願いする君子さんに、看護師は「大丈夫です」と言います。
「いや、何が大丈夫なんですか? 酸素濃度40切ってるんですよ」
「ちゃんと見てますから、大丈夫です」
何度訴えても、看護師は「大丈夫」としか言いません。
本当に大丈夫なのだろうか?
君子さんには、そう思えないけれど、これだけ訴えても「大丈夫」と言い切れるのなら、大丈夫を信じるしかありません。
それ以上は何も言えず、君子さんは、病室に戻りました。
その後、酸素濃度は20まで落ちました。
君子さんは、また慌ててナースステーションに飛び込みます。
だけど看護師は「ナースステーションにある心電図で、ちゃんと見てますから大丈夫です」と言います。
心電図で大丈夫だと分かるの?
君子さんの心の中は不信感でいっぱいです。
その後は、40から50まで戻り、血中濃度は上がったり下がったりしていました。
夕方になると、看護師が部屋に入って来ました。
「1人だけなら泊まれますが、今晩はどうしますか?」
「泊まれるのですか?」
「検査を受けてもらう必要はありますが泊まれます。但し、検査後は朝まで病室から出ることはできなくなりますが、どうしますか?」
「泊まるかどうかは、何時までに決めればいいですか?」
「8時です」
「それまでに決めます」
血中酸素濃度が20まで下がって以降は、30~50台をうろうろしていました。
素人目では容体は安定しているように見えます。
日が暮れる頃、君子さんだけを残して、皆は帰りました。
お母さんを見つめながら、君子さんは思いました。
この薬、全然効いてないんじゃないかしら? 肺炎の菌が特定できていないのであれば、別の薬に変えるとか、何か他に治療方法があるのではないかしら?
明日、主治医が来たら聞かなければ・・・・・・それまで頑張って!と、祈る思いで、君子さんは苦しむお母さんを見守りました。
その晩、お母さんは、何度も何度も溜息のような叫び声をあげました。
ようやく眠れたのかなと感じた頃、看護師さんが部屋に入って来ました。
夜中の0時を回っています。
看護師さんは、しばらくお母さんを見つめた後、言いました。
「あまり良くないですね」と。
「家族を呼んだ方がいいですか?」
看護師さんは「はい」と言わずに黙っているので、「母の頑張り次第ですか?」と君子さんは訊き直しました。
「そうですね」
良くないと言いつつ、歯切れが悪い。
どういう状態なのだろう?
君子さんには、よく分からない。
看護師が部屋を出た後、君子さんは、お兄さんに連絡しておきました。
「お母さんの容体が良くないみたい。家族を呼んだ方がいいかと訊いたら、そこまで悪くはないみたいなんだけど、何となく心配なので、早めにこっちに来てくれるかなあ」
その後、君子さんは、必死に祈りながら、お母さんを見守りました。
早く朝になれ! 朝になれば主治医が診てくれる・・・・・・。
だけど、1時間後、お母さんの容体は急変します。
呼吸に異変があり、君子さんはナースステーションに走りました。
「呼吸がおかしいです!」
君子さんは、それを伝えて直ぐに病室に戻りました。
やって来たのは、医師ではなく、看護師でした。
「お医者さんは?」
君子さんは切羽詰まった声で訊きました。
ところが、看護師は無言のまま、動こうとしません。
「早く呼んでください!」
叫ぶように、君子さんは看護師にお願いします。
それでも看護師は動きません。
君子さんは何度も「お願いですから、お医者さんを呼んでください!」と懇願しました。
それでも、看護師は、はっきりしない返事を繰り返すだけで、頑なに医師を呼ぼうとしません。
「なぜ呼んでくれないのですか!」
君子さんは必死に看護師に頼みます。
君子さんの言っていることは正論なので、看護師に返す言葉はありません。
看護師の受け答えは「それはそうなのですが・・・・・・」と苦しそうです。
君子さんは感じました。
これは、病院か医師に「何があっても医師に繋ぐな!」と命令されているのではないかと。
そう感じたものの、患者側の君子さんにとって、今の窓口は、この看護師しかいないのですから、仕方なく、きつく詰め寄りました。
看護師は「分かりました」と言って、部屋を出て行きました。
結局、医者は来ませんでした。
ここまで来れば手を打てないのは、素人の君子さんでも分かります。
それでも来てくれることを祈りながら待っていました。
ところが、医師が来たのは、完全にお母さんの呼吸が止まってからでした。
何度もSOSを出して、そのたびに「大丈夫です」と言われ、病院にいるのに一度も医者に診てもらえず、ナースステーションに設置しているらしい心電図が止まったのを確認して、はじめて医師が現れたのです。
病院に治療のために預けたのに、死亡の確認しかしない病院・・・・・・。
君子さんは、死んでからノコノコ現れた医師の姿に切れました。
「なんで一度も診てくれなかったのですか!?」
「なんで放置したのですか!?」
怒りをぶつけられた医師は、「延命措置はしないと聞いてますが」と言う。
「万が一の時に延命措置はしないと答えはしましたが、2~3週間の入院ということで治療してもらうために入院したんですが!」
押し問答が続き、医師も腹が立ったのか、「じゃあ、どうすれば良かったんですか!?」と言います。
「そんなこと、医者でもない私が分かるわけないでしょ! 普通、もうダメなら、覚悟してくださいと説明しますよね。その説明が一切無かったら、家族はまだ大丈夫だと思うでしょ! 医師からの説明が無ければ、家族は覚悟できないんですよ!」
君子さんは声を荒げました。
説明していないという言葉を聞いて、そこは反論できなかったのか、医師は「そうであるなら、それは謝ります」と言いました。
説明が無かったことの非を認めたところで、容体の変化を何度訴えても、一度も診てもらえずに逝かせてしまったという事実は変わりません。
君子さんの中では、今でも、薬を変えたら助かったかもしれないとの気持ちが残ったままです。
君子さんは、悲しさと虚しさと怒りで、心が押しつぶされそうでした。
■君子さんの心に残ったもの
この話を聞いた時、君子さんが言っていました。
昔と今が違うのか、あの病院が最低だったのか分からないと。
君子さんは、お父さんと、お祖母さんも看取っており、看護や介護の期間が長かったので、病院の医師や看護師も色々見てきたそうです。
だけど、どの病院も、危篤に陥ったら必ず医師が対応していたので、今回の放置は前代未聞の驚きだったと言います。
コロナの悲惨な混乱期を通過したせいで、医療現場では人の死に鈍感になっているのかなあと悲しそうに言っていました。
だけど、今回は、病院の方針のせいである可能性が高いと感じたそうです。
看護師さんの態度は、普通の入院だったならば、問題はなく、むしろ親切に感じたかもしれないそうです。
だけど、危篤の患者に対する言動や行動は異常でした。
看護師が患者の容態の変化に「大丈夫」と言い切ってしまうこと、危篤なのに医師に取り次がなかったこと、これは大問題だと思います。
母親の最期の時、医師を呼んでと交渉した看護師さんは、その日見た看護師さんの中でも親切そうな人だったと君子さんは言います。
こちらの気持ちは十分伝わっていることを感じるだけに、頑なに拒絶する姿が不自然で、何かの板挟みに彼女は苦しんでいるように見えたそうです。
後で考えてみて、働き方改革で、医師を守るために、“医師に繋ぐな”とでも指示が出ていたのかなと思ったそうです。
もしかしたら、病院に不満を持つ医師が大量に辞めて、医師が不足していたのかもしれません。
振り返ると、スタッフは全体に若く、医療従事者として未熟な人も多く、高齢者というだけでボケていると決めつけた行動をしている人も目についたそうです。
高齢者だから放置したのかなあと、悲しそうに呟く君子さんを見て、私は慰めの言葉も出ませんでした。
君子さんは言います。
「母はこの1年やっぱりしんどかったと思うし、年齢的には平均寿命に達していたので、きちんと病院が対応してくれたなら『頑張ったね』と気持ちよく送り出せたと思う。――息を引き取った途端に、安らかな顔になったのを見た時、苦しみから解放されたんだなと感じたんだよね。――それだけに悔しい。もしも、容体が悪化した時に、医師から覚悟してくださいという説明があったなら、最期に言いたかった『ありがとう』を伝えることもできたのに・・・・・・。もしも、ちゃんと対応してくれたなら、母の最期を思い出すたび、こんな嫌な気持ちなることもなかったのに・・・・・・」
君子さんの心の中に残ったのは、悲しいかな『恨み』の気持ちだそうです。
昔、病気で亡くなった君子さんのお父さんは、余命宣告を受けていた時期よりも長生きし、前日に脳死に入ったので助からないことは明白だったのに、心臓が止まる時、お母さんが「ありがとうございます。もう結構です」と言うまで、心臓マッサージをしてくれたそうで、今、思い出しても、その時の担当医には感謝しかないそうです。
患者家族の心の中に残る気持ち(記憶)は、医師のちょっとした対応1つで、感謝にも 恨みにもなるのだなあと、君子さんの話を聞きながら思いました。
患者には家族がいます。
人の死は、当人だけの問題ではありません。むしろ遺された人が引きずるものなのです。
家族が納得して故人を送り出せるか否かで、患者家族の心には、天国と地獄ほどの差が生じます。
病院は病気を治すところなので、必要以上に寄り添えとは言いません。
だけど、危篤になったら、患者家族に心の準備ができるように、患者の容体について説明するのは医師の義務だと私は思います。
君子さんの心に残った“投薬を変えたら回復したかも・・・・・・”との思いも、死ぬ前に医師ときちんと話が出来ていたならば、心に残すことはなかったでしょう。
医師の健康を守ることは当然に大切なことですが、働き方改革を優先して、そういう最低限のことさえも省こうとしている病院や医師がいるのだとしたら、これは言語道断だと思います。
君子さんみたいな悲しい思いをする人が二度と出ないように、病院は、最低でも患者の家族にきちんと説明はしてください。
君子さんのお母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
合掌
