ナンチョーな私の気まぐれ日記

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ナンチョーな私の気まぐれ日記(46)障害を受け入れるのは本人より周り?

人生は決して楽ではありません。障害の有無に関わらず、誰もが努力して自分の道を切り拓いていきます。健康でも大変ですが、障害を負うともっと大変になります。障害とは生きるのに必要な機能が極度に足りないか失われているために自力ではどうしようもないこ...
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(45)私が苦痛を感じる聴力検査

大きな音への感じ方は、健聴者と難聴者では異なる。聴こえる人は、大音量に対して 音量が大き過ぎて煩いと感じる。難聴になって音が聴こえにくくなると、聴こえる音量は下がるけど、音量がダウンした分だけ平気になるのかというと、そんな単純なものではない...
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(44)声が・・・・・・

体は使わないと衰える。衰えの速さには年齢も関係しているだろう。私も悲しいかな努力しないと何もかもが重力に負けるお年頃になり、使わない部位は急激に衰えていると感じる。学生時代にスポーツをしていたので、一般的な筋力の低下は20代から感じていたが...
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(43)難聴の人生を振り返る

今年最初のブログです。本年もよろしくお願いします。今年最初のブログは、久々に「ナンチョーな私の気まぐれ日記」です。昨年は、久々に会った人達から「明るくなったね」と言われました。変化した自覚のなかった私は改めて自分を見つめると、確かに私の心は...
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(42)優しさって何だろう

世の中には様々な人がいます。冷たい人もいれば、優しい人もいます。学生の頃、本当の優しさとは何だろう?と考えたことがあります。上辺だけ優しい人が多いなと感じたからでした。逆に、普段の行動には微塵の優しさも感じられないのに、困った時にさり気なく...
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(41)ドラマ『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』を聴覚障害者の私が観た感想③残念過ぎる一言

ドラマの感想は今回が最後となります。※感想1回目 ➡ ①聴覚障害の情報が省かれていたのは残念※感想2回目 ➡ ②音無しで観るドラマと音有りで観るドラマの違い最後の感想は、残念過ぎると思ったことを書きます。ちなみに私は原作の小説のファンです。...
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(40)ドラマ『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』を聴覚障害者の私が観た感想②音無しで観るドラマと音有りで観るドラマの違い

ドラマの感想の2回目です。前回の感想はこちらです ➡ ドラマ『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』を聴覚障害者の私が観た感想①聴覚障害の情報が省かれていたのは残念今回は聴覚障害者の気持ちではなく、物理的に耳が聴こえないと このドラマがどんな感...
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(39)ドラマ『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』を聴覚障害者の私が観た感想①聴覚障害の情報が省かれていたのは残念

2023年12月に聾者の抱える問題を扱ったミステリー小説『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』のドラマが放送されました。耳の聴こえない親を持つ『コーダ(CODA)』が主人公で、聴覚障害者の立場の弱さに焦点を置いたドラマでした。(「コーダ」とは...
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(38)電話の自動音声案内

前回は電話の取り次ぎの苦労話をしました。電話の苦労は取り次ぎだけではありません。プライベートでも苦労しているのが、企業などに問い合わせの電話をかけた時に流れる自動音声案内です。「***のことについては1を」って奴です。どの用件か選べと言われ...
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(37)電話の取り次ぎ

私は社会に出て数年後に難聴になりました。20代の半ばで進行性難聴を発症してしまったのですが、最初は軽度出発で、耳に限界が来るまで電話は取っていました。私が社会に出た頃は、まだ電話は女性が取るものという意識が色濃く残っていました。今はそういう...
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