ナンチョーな私の気まぐれ日記(50)変動の地獄、安定の幸せ

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ナンチョーな私の気まぐれ日記

私は20代の時に、進行性の難聴を発症しました。
今は障害者ですが、発症時は軽度で、ゆっくり進行したため、仕事も生活もそのまま健聴者として生きてきました。
そのため、障害者の仲間入りをした時も 難聴の知人は1人もおらず、あまりの孤独感から難聴者の集まりを探しては参加して、今は難聴の友人や知人も沢山できました。
難聴者と出会うと最初にするのが、互いの聴こえの状態の確認です。
先天性、後天性、突発性、メニエール、片耳など、いろんな人がいて、私のような進行性難聴の人も少なくありません。
だけど、私ほどゆっくり進行している人に出会ったことはありません。

私はずっと、ゆっくりで良かったと思って生きてきました。
いきなり落ちる人や、数年で障害者になってしまう人に比べたら、生活を変えずに生きていけるのはゆっくりのお陰だと思っていたからです。
ところが、重度障害直前まで悪化してしまった今、過去を振り返ると、その記憶は濃いグレーで塗り潰されています。
私の過去は、聴こえが変動し続ける不安定な日々。
振り返ると、一気にここまで来てしまった方が、人生をもっと楽しめたのではないかとさえ思ってしまいます。

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■難聴は一人一人違う

「難聴」と聞くと、多くの人は、単純に「音量不足」を思い浮かべます。
でも、実際はもっと複雑です。
聴こえる音が崩れて、その崩れ方は、一人として同じではないからです。
楽器の調律を想像してみれば分かると思います。
正しいバランスは一つですが、狂い方は無限にあります内耳に問題を抱える感音難聴者の聴こえは、まさにそれです。
しかも、現実の楽器では作り出せないような破壊音が混じる人もいるので、難聴と言っても抱える問題は多様です。

耳の知識が無いと、楽器の調律を例に挙げてもよく分からないと思うので、耳のことを簡単に説明した記事を紹介しておきます。
耳は、音をどのように聞き分けているのか?
耳の有毛細胞の姿と働き

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■音が狂っていく恐怖

私が「難聴者の聴こえは全員違う」と断言できるのは、理屈だけでなく、自分自身が音の変化を細かく体験してきたからです。
私の難聴の進行がゆっくりだったため、ほんとに沢山の音の狂いを味わいました。
高音から音を失っていった私には、低音を失った人の聴こえは想像できませんが、音が蝕まれるたびに変化することは、十分過ぎるほど味わったのです。
聴こえの症状は、私特有のものですが、周波数の聴こえのバランスによって音が変化してしまうことから、難聴者の聴こえは皆違うのだと確信しました。

余談ですが、発症初期の私は、一部の周波数を除けば他は正常でした。
そのため、当時の私には 不鮮明という感覚はなく、これまで通り 普通に聴こえているつもりでした。
ところがある日、自分が認識している言葉が、間違っていることに気づかされたのです。
人と話をしていて、言葉の食い違いで発覚したのですが、私にははっきり聴こえている言葉が違ったのです――最初は信じられませんでした。
納得できず、数人に確認してみましたが、結果は私が間違っていました。
これは、大変ショックでした。

そこからは、どんどん音は狂い続け、やがては全ての音が不鮮明になりました。
その過程は、地獄でした。

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■最も辛かったのは「変動」

今の私の平均聴力は80dB後半(高度障害)です。
ここに至るまで何十年もかかりました。その間、一度も安定したことがありません。
難聴発症から2年もすると、耳の調子がおかしいと感じることが増えてきました。
ここからはどんどん不安定になり、その内、毎日のように聴こえ方が変動するようになりました。
小康期もあるにはありましたが、長くても1ヶ月、大抵は1週間程度です。
難聴が酷くなってからは、1週間の休憩さえも無くなり、毎日大きく変動するという過酷な状態でした。

難聴が進行する時、様々な症状が出ます。
耳が詰まったり、過敏症状が現れたり、耳鳴りが酷くなったり。
どれも辛いものでした。
でも、精神的に私を最も苦しめたのは、毎日の聴こえの悪化状態が変動することでした。
明日の自分の聴こえは、今日と同じなのか、今日より悪化しているのか? 悪化したとして、その聴こえ方はどんな風になるのか?
これが、毎日 予測不能なのです。

因みに、この不安定さに最も悩まされた時期は、中等度の時。
今も聴こえは変動していますが、中等度の時が、最も 音の変動や 音の壊れ具合が激しかった上に、音声会話主体なので、毎日の仕事への影響が非常に大きかったのです。

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■ゆっくり進行する地獄

私はつい最近まで、「ゆっくり進行したおかげで仕事のスキルを身につけられた」と、ゆっくりだったことに感謝していました。
正直に言えば、そう思うことで自分を励ましていました。
なので、もしも、医師が「あなたの難聴は進行性です」と言ってくれていたなら、私は違った道を選んでいたかもしれません。
でも、どの医師も「様子を見ましょう」とは言うけれど、「進行する」とは言いませんでした。
そのため、かなり悪化するまで、私は自分の難聴が進行性だとは思っていなかったのです。
しかも、医師は「今の医学では治せません」とか「聴こえが固定してしまうと治せません」という表現を使うので、揺れ動いている私の耳なら治す方法がきっとあると信じて、ありとあらゆる民間療法やサプリメントを試しながら、耳を諦めなかったのです。

結果として、その期待が、私の苦しみを助長しました。
「今、進行が止まればやっていける」――そう考えて、健聴者と同じ道を歩むことを諦めず、聴力が落ちるたびに、何十倍もの努力と時間を費やして低下分のマイナスをカバーし続けたのでした。
ところが、私の期待は裏切られ、結局、進行は止まりませんでした。
やがて、努力でカバーすることができなくなり、頑張っていた仕事を途中下車せざるを得なくなりました。

自分の選択を悔いたくはないけれど、必死に聴力低下に抗いながら歩んできた人生は何だったのだろうとの思いは消えません。
「ゆっくりのおかげでスキルを身につけることができた」と私は自分に言い聞かせてきたけれど、実はこれは嘘。
確かにスキルは身についたけど、それは聴こえとは関係ありません。むしろ、聴くことにしがみついたことで失った時間の方が多いのです。分かってはいるけれど、そう思わないとやっていられないから そう思い込もうとしていただけです。
「結局、こうなってしまうのだったら、一気の方が良かったかなあ」と考えてしまう情けない自分が、正直な姿です。

聴力を失うのは、とても恐いことです。
一気に聴力を失ったら、間違いなく絶望感に打ちひしがれます。
私はその大きな絶望感に耐えられる自信はありませんでした。
だからマシだと思っていました。

だけど、ゆっくり進行にも絶望はあります。
私の場合はこんな感じです。
少しずつ崖に追い詰められ、崖から突き落とされてからも、途中で枝に引っかかっては助かり、その枝が折れてまた落ちる――それを繰り返してきました。
這い上がろうと努力するも、全く這い上がれず、枝が折れては落ちて行くことの連続で、常に恐怖に晒されていました。
1回の絶望感は確かに小さいです。でも、回数は多い
小さな絶望の方がマシだと思っていたけれど、実際は、低下が止まらない恐怖と不安で、毎日は針の筵でした。
私の場合、枝に引っかかっている時でさえ、その枝が折れそうでグラグラしている状態(聴こえが不安定)なので、不安と恐怖から解放されたことがありません
思えば、ずっと地獄でした。

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■安定(固定)のやすらぎ

そんな私に、最近、新たな心境の変化がありました。
今の私は補聴器を外すと殆ど聴こえません。
補聴器をしても、さっぱり言葉は聞き取れません。
昔よりも聴力は低下し、聴力面での不便度は増しています。
だけど、聴こえに対し、今までにはなかった前向きな気分になっています

実は80dB台に入ってから、平均聴力の計算外の周波数(これまで聴力を維持していた低音)の低下は進んでいますが、会話でよく使う周波数(平均聴力の計算に使う周波数)はあまり進行していません。
低音が落ちたことで全体の音量は減ったけれど、周波数のバランスはむしろ良くなったと言えます。
周波数の極端な差が縮まったせいか、高音の低下時ほど破壊的な音の変動を感じないせいか、会話でよく使う周波数が安定しているせいか・・・・・・理由は分かりませんが、難聴になって初めて、自分の聴こえの状態に慣れ始めている自分を感じます。
言葉が聞き取れない状況は今も変わらないのに、毎日の聴こえの変動が小さくなったことで、音による勘が働くようになってきたのです。

昔、自分より聴力の低い人が、積極的に人と話たり、行動するのを見て、「すごいなあ」と思っていました。
それが何故だったのか、ようやく分かった気がします。
それは、聴こえが安定しているからです。
明日の自分の聴こえが全く分からないという不安が、少し軽減しただけで、こんなにも気持ちが積極的になるとは思っていませんでした。

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■安定という土台

一気に聴力を失う大きな絶望と、小さな絶望の連続のどちらが良いかは、一気に落ちる体験をしていないので分かりません。

だけど、確信したことがあります。
“聴こえが安定しないと、慣れることができない”ということ。
そして、聴力の程度は最悪であっても、安定すれば、その状態に慣れることができるということ。

変動し続ける(壊れ続ける)状態では、どれだけ努力しても音に慣れることはできません。
慣れることができない状態ほど不幸なことはないと、今の私は思います。
人間は生きるのに必要な機能に対しては、本能的に適応しようとします。
私の脳も聴力が低下するたびに 適応しようと必死に頑張りました。毎日揺れ動く状態であっても、それに慣れようと頑張ります。だけど、少し慣れてきたかなと思う頃にカタッと聴力が落ちて、リセットされてしまうのです。
私の人生はそれの繰り返しで、常に“初めて”の状態を生きてきました。
今、振り返っても、よく頑張ったなあと思います。

そして、今、私はこれまでとは違う耳の体験をしている最中です。
難聴体験で初めての “慣れる”という感覚を味わいつつあり、非常に前向きな気分になっています。
聴力が戻らなくても、聴こえの状態に慣れてくるだけで、自信が少し回復してきました。
不自由は変わらないのに、安定しているだけで積極的になれる自分を感じます。

毎日聴こえが変動するというのは、常に足元がグラグラしているようなもの
どんなに頑張っても、立っている台そのものが揺れていたら、バランスを取ることすらできません。
自分の立つ台が安定していることが、どれほど大切なのかということを、今、噛みしめています。

私の難聴は今も進行中です。小さな変動は毎日のように感じており、完全失聴への不安も消えてはいません。だから、その内、以前のような大きな変動に悩まされるかもしれません。
だけど、土台さえしっかりしていれば、そこから立ち直ることは可能なのだと思えるようになったことは大きく、本当の意味での覚悟ができた気がします。

今後、耳の土台が不安定になっても、その分、精神の土台をしっかり固めておくことで、無理に前向きにならずとも、今のように自然に前向きになれる気がしています。
「安定万歳!」
ここから リスタートです!

今回も最後まで読んでくださりありがとうございました。
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  ↓
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