きっかけは難聴。誰もが暮らしやすい社会を考え始める。Vol.1 の続きです。
3.人は自分のことしか分からない
私たちは自分の感覚器官から得た情報を脳で処理して 物事を認識しています。
誰もが自分のフィルター(感覚器官と脳)を通してでしか世の中を見ることはできません。
なので、例えば赤いカバンを見て「赤」だと共通の言葉で認識し合ったとしても、お互いが同じ赤色を見ているとは限りませんし、互いに頭をぶつけ合った者同士でも 痛みの強度や痛みの感じ方は人それぞれ異なります。
また、毎日通る道なのに「こんな家があったとは知らなかった」ということがあるように、脳が注意を向けなければ、存在にすら気が付かないということも多々あります。
すべては脳の認識次第なので、現実をありのままに見ていると思っていても、実は誰もが自分の脳に処理された世界だけを見ているのです。
4.当たり前のことはきっかけがないと考えない
人は生まれてから当たり前のように身に付いた身体機能については、きっかけがない限り真剣に考えることは、まずないと思います。
見る、聴く、嗅ぐ、味わう、握る、歩く、跳ぶ、覚える、考える、などなど・・・どれもあって当たり前の機能なので、失った人の悲しみと苦労を想像するのはとても難しいことです。
でも、たくさんの人がいろいろな問題を抱えて生きていて、それぞれが周りの理解不足によって必要以上に傷つき、苦労をしているであろうことは、1つでも障害を抱えた人ならば容易に想像がつくことでしょう。
それでも、どのような苦労をしているのかまでは誰にも分かりません。
そして、苦労していることに気付いていない病気や障害も、きっといっぱいあるのだと思います。
5.少しでも共感力を養えば、新しい何かが生まれるのではないだろうか。
(1)心を理解するためには、共感力を養う必要がある。
(2)そのためには体のことを もっとよく知る必要がある。
この社会は、健常者を標準と考えて設計されています。
いわゆる健康な人向けの仕様なので、身体のどの部分を病んでも標準からはみ出てしまえば不便がいっぱいだと思うのです。
前述の脳の話でも分かるように、まず知らなければ、他の人に生じている(将来自分がならないとは限らない)不便を解消することはできません。
逆に皆が考えるようになれば世の中が変わる可能性は格段に高くなるのだと思います。
そのためには、まずは自分自身が様々なことを知り、いろいろな不便を抱えている人に共感できる力を身につける努力をしなければならないと考えました。
自分が体験していないことに真に共感することは無理ですが、知識→想像→知識→想像の積み重ねで、体の状態からその人の状態を推測していくことは可能だと思いますので、そこから想像を広げていけばやがては共感できる力となって、自然に人の立場でものを考えることができるようになるのではないかと思っています。
このブログは、まずは自分が実践するための学習帳です。
だけど、同時に多くの人が同じように共感力を高めようと思っていただき、共に学んでいただけるならば、こんな嬉しいことはありません。
多くの人の知識→想像の積み重ねは、きっと正しい想像の力を生むことでしょう。
そしてやがては 誰もが暮らしやすい新たな社会の創造に繋がるのではないでしょうか。
そんな期待と願いを込めてのスタートです。