「仕方がない」で 思考停止させないように気をつけよう

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ひとりごと

[ひとりごと5]

「仕方がない」という言葉はいろいろなところで使われます。

例えば、自然災害で被害を被った時、「仕方がない」を口にする人が増えます。
自分ではどうしようもない不幸に見舞われると、感情の行き場がなくなります。
そんな時、誰かを恨んだり、自分を責めたりといった負の感情を持ちやすくなりますが、「仕方がない」と思うことで、負の感情に流れるのを防いだりします。
これは諦めに近い「仕方がない」ですが、どうしようもないことに遭遇した時はこの「仕方がない」に救われることがあります。
前向きなところでは「済んだことは仕方がない。前へ進もう」と気持ちの切り替えに使うこともあります。

こういう「仕方がない」は、生きて行くために必要な思考法です。

だけど、後ろ向きに使う「仕方がない」は、残念な思考です。
やらなかったことへの言い訳や、やりたくないがための言い訳などで使っている「仕方がない」は、未来への思考を完全にストップさせているようなものです。

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■「仕方がない」という思考から、未来は生まれない

今回「仕方がない」の言葉を取り上げたのには、きっかけがあります。

「健常者と同じ教育を受けたい」という障害者の願いが記事になることがありますが、その記事のコメント欄に「同情はするけど、障害があれば皆と同じようにはできないのだから仕方がない」といった残念な書き込みが多いのです。

「人に迷惑がかかるのだから仕方がない」「学校に受け入れる設備がないのだから仕方がない」「必要な能力が足りてないのだからしょうがないだろう」など、読んでいるといつの時代の人たちだろうと思うような書き込みが多く、そこにはいっぱいの「仕方がない」が並んでいました。

これらの書き込み内容は、すべて過去しか見つめていません。
改善を考える気は全くなく、過去のままの思考で停止しています。

これは思考停止ではなく、障害者への無意識の差別反応かもしれません。
だけどそれ自体が時代遅れだということに気付かないことが、やはり思考停止状態だと言えます。

これを書き込んだ人たちは、平成25年に障害者差別解消法が制定され、日本も「障害の有無で分け隔てることのない共生する社会を目指そう」ということになっていることさえ知らないのかもしれません。

「仕方がない」を使う人の思考は、どうしても時代から取り残されることになります。

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■時代は常に流れている

私たちが過去の記憶や意識に縛られ、立ち止まっている間も、世界は時代とともに変化しています。

近年の日本はちょっと活気がありませんが、世界は目まぐるしく進歩しています。
世の中が進化しているということは、ちょっと努力したぐらいでは、せいぜい現状維持止まり。
努力が足りなければどんどん追い抜かれて衰退の一途ということになります。
これは国においても、会社においても、個人においても同じです。

進化のスピードがアップしている今の時代では、新しい発想にエネルギーを使っていかないと直ぐに衰退してしまいます。

物質界の時間は常に一方向に流れています。
過去から未来への一方通行です。
過去に繁栄していたところで、今の努力が無ければ、先は衰退です。
未来が、繁栄するか、衰退するか、それとも現状維持なのかは、今この瞬間を生きている私たちが決めているのです。
繁栄の選択肢はたくさんあります。
価値観の数だけ、繁栄の形はあると言えるでしょう。
どの選択肢を選ぶかは、個々の自由です。

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■「仕方がない」は 思考停止

衰退傾向の会社では、斬新な意見が出ると、知恵を絞りあう前に「無理だ」という意見が出てきます。
「このままではまずい」という話になれば、「仕方がない」という言い訳も出てきます。
実績のないことをするのは誰でも怖いし、損失を出すのも怖い。
痛い所をつかれれば言い訳もしたくなるでしょう。
だけど、そういう姿勢では 先には衰退しかありません。

個人の能力も同じで、「仕方がない」を言い出したら要注意です。
「仕方がない」というのは思考の打ち止めです。
「仕方がない」ことが出てきた時こそ、従来にない方法やアイデアを考えるチャンス。
考え抜いた末に「それはやはり無理」という結論に至ったとしても、最初から放棄して何も考えないのとは違います。
知識も増えているし、その知識がほかで新しい発想を生むかもしれません。
何より考える力は着実に身に着いています。

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■過去の私と、2022年の私

私は進行性の難聴で 今の聴力は障害レベルに達していますが、ここに至るまでは難聴との闘いでした。

難聴が悪化しても健聴者と全く同じ仕事を続けていたのですが、それにはやはり限界がありました。
限界を超えるまでの私は、聴こえなくても「聴こえる人と同じことをしなければ」というプレッシャーで、毎日は過度の緊張状態でした。

やがて努力で埋められない段階まで悪化したわけですが、その時の精神的ダメージはとても大きかったです。
諦めることが、負けることのように感じていたので、ギリギリまで頑張りましたが、さすがに聴こえないのに聴くことが必要な仕事は無理です。
多少でもフォローがあれば続けられたかもしれませんが、周りは厳しく、得意先との会話で聴こえなかった時のフォローをお願いしても、助けは入りませんでした。
やがて私は降参して、第一線の仕事の場から降りる事にしました。

最初はみじめでした。
自尊心は深く傷つき立ち直れないかと思いましたが、その時に「仕方がない」と自分に言い聞かせました。そう、こればかりは仕方がないのです。

一旦、聴こえないから「仕方がない」と諦めてしまうと、すごく楽になりました。
周りにも「聴こえないから仕方がない」と言えるようにもなりました。

その後の私は、聴く仕事ができない分を ほかの仕事でカバーしていますが、どこか気が抜けています。
一度でも「仕方がない」の「楽」を味わってしまうと、ずるずると自分を甘やかしているような気がします。
聴こえない耳で、聴く仕事をうまくやり遂げようとのプレッシャーは二度とごめんですが、新たなことへのチャレンジ精神も後退するのはまずいです。
このままでは私も衰退への道を歩むことになってしまうので、今年は「仕方がない」が頭に浮かんだ時は「ほんとうに仕方がないのか?」と自問することを心がけたいと思います。

世の中に「仕方がない」ことは 確かにあります。
だけど「仕方がない」で立ち止まってしまうのは甘えです。
方法が変わっても、道を変えても、前を向いて歩く努力は大事です。
なので、今年はちょっと活を入れて 気負わない程度に頑張る1年にしたいと思います。

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