阪神・淡路大震災から30年、能登地震から1年 =阪神大震災と能登地震の復旧スピードを比較して思うこと=

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ひとりごと

(補足)記事を読んだ方から自治体を責めているように見えるとの指摘を受けて読み返してみると、政府に対してどうにかしてくれとの思いが、確かに自治体含めての批判に見えてしまうことに気が付いたので、そうではないということを補足させていただきます。
私は被災した経験で被災地は自分の所の自治体だけでは到底復旧が追いつかないことを知っています。30年前に比べると高齢化が進み、地方は人も費用もますます厳しくなっています。特にマンパワーの問題は大きいでしょう。
小さな自治体ではそこで働く公務員も少なく、災害の采配を任せっぱなしでは疲弊するばかりで、どれだけ頑張っても限界があります。
これは能登だけの問題ではありません。
今は働き手の問題が浮上しています。お金だけでは解決でいない問題も多々出てきているので、そこは政府が動かないとどうにもなりません。
温暖化もあってこれからは益々災害が増える可能性も高くなっています。南海トラフ地震の確率も上がっています。
能登で浮上している問題は、これからの日本の問題でもあるので、国は真剣に行動を起こしてほしいと思っています。
(以上補足)
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今年は阪神・淡路大震災(以下「阪神大震災」と称する)から30年。
私は阪神大震災の被災者で、当時私が住んでいた家は全壊した。
あの時の揺れは今も覚えている。
私は一戸建の2階で寝ていたが、家がツイストしているような激しい揺れに家が壊れると怯えた。そして家は倒壊した。

昨年の能登地震で当時の記憶が蘇った。
大地震に見舞われた体験があると、とにかく最初に浮かぶのは人命救助。
倒壊した家屋に閉じ込められた人は救助の時間が生死を分ける。
阪神大震災の経験から、能登地震の被害が酷いということは想像がついた。
直ぐにでも救助が必要なのに、政府は最初から地形を言い訳に救助への努力を怠ったように私には見えた。
移動手段の少ない地域なので、人が殺到すると問題なのは分かるが、普通はそれでも何とかしようと方法を必死に模索する。それがとても弱かったように思う。
その後の政府の対応も驚くほど鈍い。
もしも国が真剣に取り組んでいたならば、1年後の現在、いまだ水道が復旧しない地域があるなどあり得えないのではないだろうか。
初動も遅かったが、復旧への政府の反応があまりにも鈍すぎる。

阪神大震災の時も想定外の被害に初動は遅れた。
私はまだ薄暗い中、近所の人に助け出された。
近所の人の「そっちは無事かあ」と叫びながら確認し合う声があちこちで聴こえた。
倒壊した家屋に閉じ込められている人がいないか、皆が確認に走り回っていたのである。
当時は今のように各省庁や都道府県が連携をとる体制がなかったため、救助要請の遅れが救助の遅れに繋がった。
初動の遅れをカバーしたのは住民同士の助け合いや、民間企業の支援だった。

だけど、その後の復旧は能登に比べれば遥かに早い。

それでも、ライフラインの復旧は 電気は早かったものの、水とガスは遅いと感じた。
私は家の倒壊を免れた近所の人の家に世話になったが、毎日水を調達するだけで1日の大半が終わることも しばしばだった。
とにかく ライフラインが復旧しない事には前に進めなかった。
当時は復旧までをとても長く感じたが、今調べてみると4月には全エリアでガスや水道も復旧完了となっており、あの被害の規模を考えれば、能登とは比べ物にならないほど早い。
たった数カ月でも辛かったのに、1年も不便を強いられている人はどれだけ辛いだろう。

阪神大震災の時に特に驚いたのは道路復旧のスピードである。
横倒しになった高速道路があっという間に解体されて更地になる様子に“人間ってやる気になったら出来るのだなあ”と感心した。
言葉で話をしても阪神大震災を知らない人には分からないと思うので、私にとって永久保存版の阪神大震災の翌月に発行された雑誌と、1年後に販売された本から一部写真を抜粋して掲載させていただくことにする。

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■阪神大震災の復旧スピード

下記は当時を知っている人なら繰り返しニュース映像で流れたので覚えている方も多いと思うが、高速道路の倒壊写真である。
上は震災当日の1月17日の写真。
下は2月8日に同じ場所を撮った写真である。
3週間程度で高速道路は解体されて更地になっている。

下記は同じく定点観測で高速道路の様子を撮った写真だが、10月には新たな高速道路の橋桁工事に入っている。
1年経っていないのに、このスピードには改めて驚いた。

鉄道の復旧も早かった。
高架が崩れ落ちた線路もあったが、大掛かりな修繕が必要な部分は仮の線路を作って取りあえず早期の全線開通を目指してくれたのは有りがたかった。

道路や商店街なども1年経たずで大きく変化。

道路やビルなどの復旧スピードに比べると民家は遅かった。
突然の災害に解体費用が出ない家も多く、そのまま放置になる可能性が高かった。
倒壊家屋がそのままになるのは危険なため、解体と撤去については役所に申し込めば公費でやってくれることになった。すると住宅地も一気に更地が増えた。
復旧には全国各地から業者さんが来てくれた。
我が家の解体は、母の記憶によると、九州の業者さんだったそうだ。

倒壊家屋や、危険判定を受けた建物がなくなるにつれて、広大な更地が目の前に広がり、震災の被害の大きさを思い知った。
更地の風景も悲しいが、まずは危険な建物や瓦礫が取り除かれないことには被災地の復興は始まらない。
このことを思うと、能登の人が気の毒でならない。

人口が少ない自治体は予算も少なく力がない。
その違いが出ているのは分かるけれど、日本は先進国。
この事態を国が放置して良いわけがない。

実は今回震災のことを書くことにしたのにはきっかけがある。

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■『能登地震の「言い訳」論外』との記事

1月12日の日経新聞の記事を読んだことがきっかけである。
私はどうしても自分が体験した阪神大震災の時と 能登地震とを比べてしまう。ふと私が記憶している阪神大震災の時の復旧スピードは正しいのだろうかと思って、保管していた当時発行された震災の特集雑誌に目を通してみたのだが、復旧の速さは私の思い違いではなかった。
私はそれを見ながら、やっぱり能登地震への対応は遅いと改めて憤った。

記事は元内閣危機管理監への取材を問答形式でまとめていて、私はその記事にいたく共感した。
私は紙で読んだが、ネットでも見れるようなのでURLを記載しておく。https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD0478L0U4A201C2000000/

有料記事なのであまり紹介はできないが、共感したポイントとなる最初と最後を少し引用させていただく。
詳細を読みたい方は記事を読んでください。

ーー能登は半島の山間に集落が点在している。被災状況の把握や支援部隊の展開に、ある程度の遅れが出るのはやむを得ない面があるのか。
「被災地の自治体職員や派遣された警察、消防、自衛隊は精いっぱい活動した。問題は事態を俯瞰して指揮を執るべき政治家や国の判断の甘さ、力不足。現場がいくら頑張っても全体の指揮が不十分だとうまくいかないということだ。『半島だから難しい』など言い訳にならない。(以下略)
(出典:日本経済新聞 2025年1月12日)

記事は、記者との問答で進む。
「道路寸断で活動量が限られるのでは」との質問に対して、本来こうすべきという方向性を対応例を挙げながら話は進む。
これを読みながら思った。
従来の方法で出来ないのであれば、出来る方法を出来るまで模索する。それが本来あるべき姿勢だということを。
諦めないことが、災害時の人命救助やインフラ復旧には必要なのだが、能登ではそういう努力をしたようには到底思えない。

記事の最後の質問は「現行の災害対策基本法は災害応急対策の主体を市町村としている。この点をどう考えるべきか」だった。
これについては、能登の復興が進まない問題の1つでもあるので、引用させていただく。

「役所にせいぜい数十人から数百人しかいないような小さな自治体までが主体となることには無理がある。このことは東日本大震災で実証済み。町長も助役も総務課長も亡くなっているところがいくつもあった。なぜ法律の立て付けを変えようとしないのか」
「インフラの復旧も市町村任せになってしまう。国が全国から業者を集め、代わりにどんどんやっていくしかない。市町村が機能しない場合は県が代替できるよう規定されているが、県は市町村の仕事の中身を知らない。大災害が起きた場合には、やはり国がもっと前面に出るべきだ」
(出典:日本経済新聞 2025年1月12日)

本当にその通りだと思った。

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■私が感じた両地震の大きな違い

ちなみに私は阪神大震災は民間の支援に助けられたと感じている。
毎日のようにマスコミが流す衝撃的な映像に全国から支援物資が大量に送られてきたし、避難所の悲惨な現状が報道されることで、その後ボランティアさんも沢山入って避難所を支えてくれたし、何より毎日のようにテレビで義援金や寄附金を募る呼びかけをしてくれたので多分集まった額も大きかったと思う。
噂では私が住んでいた自治体では、寄附金はまずは道路の整備に当てたと聞いた(噂なので違うかもしれないが)。
能登では、あの時のような寄附への呼びかけをしているのはあまり目にしない。
復旧にも復興にもお金はかかる。
国や自治体の予算だけで足りないことも多く、寄附金や義援金も被災地の大きな助けになる。

能登地震では、救援に行くと迷惑になるとのSNSの投稿がすごく多かった。
最初は分かる。道路もめちゃくちゃなので、人命救助のプロを優先して入れねばならないから。
だけど被災地の人からボランティアを求める声が聞かれるようになってからも「行くな」と言う人がいたのは悲しいと思った。

一番気になるのはやはり復旧のスピード。
復旧が進まなければ、復興も始まらない。
これについて昨年の終わりの報道で、工事が進まない理由の1つに 工事関係者が泊まれる施設がないから毎日数時間を移動に費やしていることを挙げていた。
これが事実ならばやはり災害対策にはプロが指揮を執る体制が必要であろう。

能登は間違いなく マンパワーが足りていない。
外部が支えなければ前に進めないのは明白。更に少ない人材を有効に使うには無駄な時間を如何に短縮するかの工夫も必要。なのに人を入れる対策がなされていないのは問題である。

阪神大震災から30年、この30年間で国も人の心も随分変わったように感じる。
「助けなければ」との多くの人の思いに支えられた阪神大震災の時に比べると、そういう思いやパワーがダウンしていると感じる。
災害が多過ぎて、国も人も災害に鈍感になってしまったのかもしれない。
だけど、国が鈍感になってもらっては困る。

如何なる時も、人を助けようと奮い立つ心は活力に繋がる。
人を助けようと工夫することで技術も経験も高まって行く。
そういう”心”を失ってしまえば 国は沈む。
30年前との大きな違いに高齢化があるが、高齢化を言い訳にしていたのでは今後増えるであろう災害に対応できない。

私は「言い訳するな」と言われて育った。
それは今も同じだと思う。
言い訳や諦めが増えると国は衰退する。
そういう悪い姿勢に国が変わってきているとしたら・・・それは危機である。

今年は能登の復旧が一気に進み、復興に向けて前進できる年になることを心から願う。
何より災害が起きない年であってほしい。

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