年々、時間が短くなる

スポンサーリンク
ひとりごと

[ひとりごと10]

私は勉強嫌いだったこともあって、小学生(低学年)の時の授業の長さは、中学生の時に振り返ったら、1週間位の長さだと思った記憶がある。
現在の体感だと、1週間どころか、1年に匹敵するような長さである。
とにかく、地獄の長さだった。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、退屈な時間は遅々として進まないので、子供の時は、気持ちの問題だと思っていた。
私の勉強嫌いはその後もずっと続いたが、中学、高校と、進んで行くうちに、授業は苦痛でも1時間の体感時間は短くなっていった。
もちろん退屈な授業と、面白い授業では、時間の感じ方は違ったが、それでも今と比べると、1時間も1日も昔の方が遥かに長かった。

この時間の長さ、その後も年々短くなり、社会人になると加速した。
なぜだろう?と、友人と話をしたこともある。
その時の結論は、することが増えて忙しくなるからではないかということになった。
社会に出たばかりの時は、仕事で覚えねばならないことも多く、必死な分だけ 最初の数ヶ月は長かった。だけど直ぐに慣れて 仕事が手際よくできるようになると、今度は仕事に求められる質や仕事量が増して行くので、とにかく忙しい。時間が足りないと感じる事が増えていたので、私もその説に納得していた。

ところが、祖母と話をしていて、矛盾を感じた。
私は 祖母と同居していたのだが、祖母は長年の仕事を辞めて 完全に隠居生活に入っていた。
家事は同居の娘(すなわち私の母)がしていたので、私の目には祖母の毎日はのんびりに見えた。
忙しいから時間が短くなると思っていた私は、祖母の1年はきっと長くなっているだろうと思って「1年は長くなった?」と訊いてみた。
すると帰って来た答えは「短くなった」だった。
「去年より、今年は短かったの?」と聞くと、「そう」と言う。
何もしなくても、1年は短くなるのかあ・・・・・・。有り余る時間を持つようになった祖母の1年も短くなっていると知り、“忙しい説”は完全に消えた。

スポンサーリンク

■あっという間の1年だったのに、振り返ると長い1年

何回も1年を体験していると、年々1年が短くなっていると感じつつも、年末に1年を振り返ったら、今年は長かったなあと感じることが、たまにある。そういう時の1年は、中身が濃い
いろいろなことがあった年は、慌ただしく過ぎるのだが、振り返ると年初の出来事が 遠い昔のように感じられるという体験は誰でも一度や二度はしたことがあるのではないだろうか。

1年の途中で「まだ半年しか経っていないのかあ」と、体感時間が伸びたこともあったが、その長さは、私の場合は後半まで持続せず、1年の終わりに振り返ると、トータル的に前年より長かったと感じることはなかったような気がする。
とはいえ、毎年、年単位で比較しているわけではないので、もしかしたら前年より長かった年があったかもしれない。だけど、数年前に比べれば、間違いなく短くなっている。

私の感覚だと、どうも体感時間は2つあるらしい。
1つは振り返った時に感じる時間の長さ。これは、記憶量”が影響しているようだ。
だけど、時間の流れに対して感じる長い短いは、それとは別の要因がありそうだ。

スポンサーリンク

■自論

人生の中盤を過ぎて、身体の機能が落ちて行く一方の年代に入って思うことがある。
もしかして、”時間の長さは、脳の処理能力の違いが影響している“のではないかと。

記憶力の低下は30代から感じていたが、その頃は、経験による別の能力に磨きがかかっているので、仕事で脳の衰えを感じる暇はなかった。
だけど中年期を過ぎると、集中力も、記憶力も、そしてスピードも、徐々に落ちて行くのを感じる。
長時間の集中が難しくなるため、集中すれば1日で出来た仕事を1日で終えることが難しくなったりする。
新しい事も、昔なら一発で吸収できたのに、調べて理解しても、しばらくしたら忘れてしまってまた調べ直さなければならないということも増え、何度同じことを調べているのだと情けなくなることもある。
脳の機能が落ちると、無駄な時間が増えることを痛感する。

若い時は、脳を鍛えるほど、仕事のスピードはアップした。
それが、ある時期を超えると、同じ仕事量をこなすためには 努力が必要になり、維持するのが精いっぱいになっていく。こういうマイナス体験をし始めるようになって、「これって1年でこなせる仕事量が減っているってことだなあ」と、しみじみ感じる。
体が覚えていることは別として、脳を使う仕事の影響は大きい。
脳の処理能力の低下は、スピードの低下に繋がり、それは、時間を食うことになる。
1時間でできたことに、2時間かかるようになれば、2倍の時間が必要になる。消化量で考えたならば、時間が半分に減ったことになる。
そんなことを考えていて、時間の長さとは脳の処理能力が影響しているのではないかと思うようになった。

祖母は、最後は眠ってばかりの人になった。
食事の時は起きていても、食事が終われば、ベットに横になってテレビを観ながら寝てしまう。
そんな祖母の1年も短くなっていたらしい。
脳を使っていないから短くなっているのだと考えれば辻褄は合う

子供の1日は長い。
赤ちゃんに感想は聞けないが、多分、この世に生まれ落ちた時が一番脳は忙しいと思う。
何せ、生きて行くために、突然飛び込んだ外界に適応すべく、脳は激しく活動しているのだから。
本人は意識していなくても、真新しい情報に 脳は大忙しで、この処理する量は 幼いほど多いと思う。

そんなこんなで、時間とは、脳の働きの状態が反映しているのではないかと考えるようになった。

スポンサーリンク

■体感時間についての様々な説

体感時間については、いろいろな説があるようだ。

【外部からの刺激が多いと、体感時間を長く感じる
同じ空間(環境)にいても、大人が受ける刺激量と、子供の受ける刺激量は違う。子供の刺激量は多いため、子供の体感時間は大人よりも長いという説。

【体験による刺激量の影響】
同じ体験をさせても、子供は初めてのことが多いため、刺激量も多く、体感時間が長くなると言う説。
私は若い頃、転職が多かったため、大人になってからも 環境や仕事に慣れるまでは、その後に比べると時間感覚が長くなることは何度も経験している。
刺激量が多ければ、確かに時間感覚に影響するが、これだけでは年々短くなることの説明はつかない。

【記憶に残る体験が多いと時間は長くなる】
これは上記の【体験による刺激量】とも関連することだが、こちらは記憶に着眼している。
この記憶量による時間感覚の変化については、『■決して長くないのに、振り返ると長い』の項目で触れた通り、私にも体験がある。
ある人が言っていた。ネットサーフィンやゲームをしている時間は、記憶しなければならないと脳が認識しにくいため、記憶に残らず空白の時間になってしまう。そのため、少しだけのはずが「もう、こんな時間!」となり、1日の時間を短くしてしまうと。
こういうことは私にもよくある。何もしなかったと感じる時は、まさにこの状態。
ただ、これも年を追うごとに体感時間が短くなることの説明にはならない。

【代謝の影響】
時間には、「時計が刻む時間」と「自身が感じる体感時間」の2種類がある。
子供に比べて、大人は代謝が落ちるため、体感時間の経過が緩やかになり、実際の時間の経過を速く感じるという説。

個人的には、これはあるかもしれないと思った。

私は、先に書いた通り、脳の処理能力が体感時間に影響していると思っているが、ここで指す処理能力とは、年齢による処理能力の差を指す。
悲しいが、覚えは子供の時の方が良かったし、本人がさほど気にしていなくても、記憶力は年を追うごとに少しずつ落ちる。
代謝も年齢が大きく関わるので、そういう意味で、1年の時間感覚に何らかの影響を及ぼしていても不思議ではないと思ったのである。

スポンサーリンク

■大事なこと

改めて、いろいろ考えていて、年々時間が短くなるのは、脳への刺激量が影響している可能性が大きいと思った。
子供から大人に成長するに連れて、やらねばならない事が増える。生活も仕事も同じことを繰り返していれば刺激は薄くなる。
生きていると、年々、ルーチンの割合が増えて行く
ルーチンの割合が増えると、脳はわざわざそれを記憶しないため、その分の時間が空白となる
その内、脳の処理スピードのダウンがやってくる。身体的にもスピードダウンもする。こうなるとやらねばならない事、すなわちルーチンの時間割合がますます増える
やがては、ルーチンだけになってしまうかもしれない。1日のルーチンさえも完了できなくなるかもしれない。
こうなると加速度的に1年が短くなるような気がする。
それは嫌だなあ。

年々スピードアップする時間。
あれこれ考えても、これを止めることはできないだろう。

だけど、はっきりしていることはある。
時間の体感スピードよりも、記憶に残る体験が大事だということ。
時間の経過が早くても、振り返った時に、記憶(記憶に残る体験)が沢山あれば、過ぎ去る体感時間とは違う“長さ”を感じる。これは充実感であり、この充実感こそが大事なのだと思う。

これから益々1年は短くなるだろう。
だけど、振り返った時に、充実感や 達成感のある人生にしたいと思う。

やらねばならないことに溺れず、記憶に残る新鮮な体験を心がけよう!
今からでも遅くない。
強烈に楽しい時間を作るぞ!

タイトルとURLをコピーしました