叔母と時計

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ひとりごと

[ひとりごと3]

今日は叔母の命日である。
叔母は1年前の今日旅立った。
昨年、無性に叔母のことが書きたくなって綴った文章。
書いた後、来年の叔母の命日にブログにアップしようと思ったので、今日それを実行する。
1年はアッという間だった。
だけど、叔母とお別れしたのは遠い昔のように感じる。とても不思議な気分である。
文章は、手直ししようかと思ったが、そのまま載せることにする。

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大好きな叔母が他界した。
鬱を発症し、認知症が進み、階段から落ちて大怪我をしてからは食事も摂れないほど弱り、体力・気力とも日増しに落ちていた。
亡くなる数日前、少し調子が悪いけれど元気だと 送られてきた写真は笑顔だった。
それが突然 容体が急変して亡くなったとの急報。あっけないほどすぐだった。

叔母が亡くなる数週間前、長年愛用していた叔母からもらった時計が突然寿命で止まった。叔母は1年前から随分弱っていたので一瞬不吉な気分になったが、こういうことは考えたら現実になるから気にしないようにしていた。
まさか本当に逝ってしまうとは・・・。
「大きな古時計」という歌があるが、人の寿命と、時を刻む時計が止まることって、何かを感じないではいられない。

私の手元で時を止めたのは「大きな古時計」とは違って、叔母からもらった小さな目覚まし時計である。
15年前、普通の目覚まし時計で起きるのが困難になった難聴の私のために、福祉系の店舗を何軒も回って探してくれた振動式の時計。「いいのを見つけたからきっと気に入ってくれると思う」という言葉通り、もらった翌朝から大活躍だった。
働き者で15年間一度も故障せず、毎日私の枕の下でブルッブルッと震えて起こし続けてくれたのだ。
私にとっては なくてはならない存在だった。

だけど、時計は消耗品。いつまでも元気ではいられない。だんだん振動力が落ちてきて、2~3年前から電池を変えても振動は元の力を取り戻せなくなっていた。とても気に入っていたので同じタイプの物を探したが、同じ時計は生産されていなかったので、その後もこの時計に頑張り続けてもらった。
この1年は、ほんとに止まりそうなほど振動は弱くなっていた。それでも頑張っていた。
いつ止まっても不思議ではなないので、万が一の備えに代替品を購入したのが昨年。
叔母が一時期危篤に陥ったのも昨年。
今思うと、時計と同じように叔母も衰弱していたのだなと思う。
この時は、どうしても会わせたい人がいたので絶対に逝かないでと願っていたら、頑張って持ち直してくれた。その後も叔母は何度も頑張った。
私の時計も頑張った。もうダメかもと思ってから1年頑張った。

叔母が亡くなる数週間前、いつものように明日の起床時のためにアラームをONにしようと手にしたら、ディスプレイの表示が消えていた。作動させてから15年、はじめて表示が消えている姿を見た。故障ではなく、寿命だということは毎日使っている私にはすぐに分かった。
それでも動いて欲しかった。電池を変えてみた。何度も出したり入れたりしてみた。やっぱりダメだった。
頭の中で「おばちゃん大丈夫かな」と不安がよぎったが考えないことにした。
まさか時計が止まって数週間後に亡くなるとは思ってもいなかった。ショックだった。

今、私のそばには動かなくなった時計がある。
毎朝、一発目の振動で枕の下から慌てて時計を取り出し振動を止める。そしてそのまま時計を握りしめたまま眠ってしまう。数分後にスヌーズ機能が作動し、そのたびにボタンを押す。これを数回繰り返して起きるのだが、この動作を15年間毎日繰り返してきたのである。手にすると長年馴染んだ感触を感じる。
毎日押し続けたボタンの文字は完全に消えている。
頑張ったなと思う。
最後までこき使ってごめんねと思う。

今、この時計を見ながら、しみじみ思う。
最後の1年は殆ど寝たきりだった叔母。
叔母も動かなくなった体で最期まで頑張り通したのだなと。

四十九日を終えた今、この時計ともお別れしよう。

叔母さん、時計さん、ご苦労様でした。
最後まで頑張ってくれてありがとう。

また、来世お会いしましょう。

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