ナンチョーな私の気まぐれ日記(23)障害児教育について思うこと

スポンサーリンク
ナンチョーな私の気まぐれ日記

インクルーシブ教育についての記事を最近読んで、自分が小中学校の時にクラスにいた障害児童のことを考えた。

私はインテグレーション教育はよく耳にするけど、インクルーシブは知らなかったので、何が違うのだろうと調べてみた。
インクルーシブ教育とは「身体や精神などに障害のある子どもも、障害のない子どもも、すべての子どもが同じ場所で共に学ぶ仕組み」のことらしい。
インテグレーションは障害がある子どもも障害のない子どもも「同じ環境で学ばせる」こととある。
”いったいどういうふうに違うのだろう?”
“う~ん、そこに合理的配慮を加えたという感じなのかなあ?”
どの説明も抽象的過ぎて今一具体的な風景が浮かばない。

こんな分かりにくい言葉ばかり並べて前に進めるのかなあ?と思いながら、自分が小中学生の頃、障害児に対してどういうふうに感じていたのかを思い出してみた。

ちなみに私が通った学校では、小学校は聴覚障害、中学校は知的障害を担当していて、私は小学校では2年間、中学校では1年間、障害児のいるクラスを体験した。
両方話すとめちゃくちゃ長くなるので、ここでは小学校の時の話だけ取り上げたいと思う。

スポンサーリンク

■障害児教育の歴史

その前に、ふと障害児の教育のための養護施設はいつ出来たのかなと思って調べてみた。
(歴史に興味のない人は、ここは読み飛ばしてください)

障害児の教育が義務教育になったのは1947年で、法的に養護学校の設置が決められたのは1956年のこと。
だけど、実際に養護学校の義務が施行されたのは1979年で私が想像していたより歴史は浅かった。
但し、盲と聾の児童の学校は大正時代からあり、そのまま就学義務となっていて、実施が遅れたのは実績の無かった知的障害、肢体不自由など対象の養護学校だったようだ。
当時は、学校を障害種別で「盲学校」「聾学校」「養護学校」に区分していて、これらを「特殊教育」と称していた。
2006年になると学校教育法の一部が改正され、2007年より新たに学習障害や自閉症などの発達障害にも適切な教育指導の支援を行うこととなり、教育の名称も「特殊教育」から「特別支援教育」に変わった。
障害種別で分かれていた「養護学校」などの名称も、「特別支援学校」に統一され 現在に至る。

歴史を振り返ると、1979年に養護学校の義務化が実施されたことにより、それまで教育を受けることのできなかった重度の障害児も教育を受けられるようになったが、その一方で、障害児は養護学校へという分離意識が芽生えることになり、それまで通常学級で学んでいた障害児を排除する動きも見られたようだ。
そのようなことがあったため、障害児と健常児を区別した上で同じ場所で教育するインテグレーション教育へ移行。
そして、現在はインクルージョンの原則に基づく教育システムの構築が世界的な流れとなっているようだ。

こうやって振り返ると、インクルーシブ教育とは分離をなくそうとの動きなのだろうと思うが、日本の現状はまだまだ過ぎて、やっぱり具体的な教育のスタイルが浮かばない。

ここから先は、私の過去を振り返っての話である。

スポンサーリンク

■小学校で同じクラスにいた聴覚障害児

私は今でこそ聴覚障害者だが、難聴の発症は大人になってからなので、学生時代の私は障害への関心は低かった。

私が通った学校にも障害児対象の学級はあった。
但し、私が小学生の頃は特別支援学級という名称ではなかったし、今で言うインテグレーション教育と同じなのかも分からないが、小学校は聴覚障害を担当していて、中学校は知的障害を担当していた。
振り返ると私が障害者と接触したのは、小学校5・6年生の時に同じクラスになった聴覚障害の女の子がはじめてだったかもしれない。

耳がほとんど聴こえないことは先生から説明を受けた。
補聴器にいたずらをしてはいけないという注意事項も聞いた記憶がある。
だけどそれ以上の説明はなかった。
先生の説明から多少は聴こえるらしいと察した私達は、最初の内は大きな声で話してみたり、大きな口で話してみたり、あれこれ工夫して会話しようと試みた。
その子は、話しかけるといつも眉間に皺を寄せながら話している人の顔を凝視した。
今思えば、彼女は聴くことに集中していたというより、口の動きに集中していたのだと思うが、当時の私がそれに気付いていたかは覚えていない。

しばらくは言葉を発することのなかった彼女だが、クラスに慣れてきた頃、はじめて声を発した。
健康な耳を持つ私達にとって音声で話すことはあまりに当たり前のことだったから、耳が聴こえなくても話すことはできると思っていた。
だけど発声した彼女の声はくぐもっていて、発音も独特で、何を言っているのかよく分からなかった。
子どもはある意味残酷である。
「えー!?」と思えば、いじめのターゲットになりかねない。
男子の中に、彼女の声をからかう子が出てきた。
後ろからいたずらの振りをしては、気付かない彼女を笑ったりして遊ぶ子もいた。
だけど、聴こえなくても繰り返しゴソゴソやっていれば空気も動くし、周りの様子に何かを感じ取りもする。
振りむいた時にそこに悪意のある表情を浮かべた子がニヤニヤ立っていれば、何をされたのだろうと不安にもなる。

今ならば彼女の気持ちを察することができるが、当時の私にはそれが出来なかった。
周りもそう。
先生から「仲良くしてあげて」と言われれば、仲良くしようとするけれど、それは子どもの感覚レベルでしかできない。
後ろからのいたずらは当時流行っていた悪ふざけだったので、彼女だけでなく油断すればだれでも被害に遭った。
私も油断して、背中にゴミやら張り紙を付けられたことがある。
彼女がされているのもその類だったので、私達と同じ被害という感じである。

だけど今思い返してみると、健聴だった私達は後ろからのいたずらに音で警戒して、誰かが近付いて来る音を感じたら、パッと振り返って「やめて!」と叫んでストップをかけていた。
気付かれたらゲームセット。
なので、不快だったけど特定の人を攻撃しているのではないことは知っていた。
聴こえない彼女はどうだっただろう。
音で警戒はできないし、周りで「やめてよ!」とやっているのも前の席に座っている彼女には見えていないから、皆も同じいたずらをされていることに気付いていなかったかもしれない。
すると感じ方は私達とは全然違った可能性があるが、そんな内面のことに小学生だった私達が気付けるわけもなく、彼女も私達と同程度に不快なだけだと思っていた。

それからしばらくして、徐々に彼女は怒りをあらわにするようになった。
声をかけただけで怒るし、伝達事項があるのに聴きたくないと耳も目も塞いでしまう態度が増えた。
何かきっかけがあったのかもしれないが、そもそも会話が成立していない私達には分かるはずもない。
必要事項の伝達でさえ頑なに拒む彼女の態度に困り果て、私達は「聴こえないからって 我が儘過ぎるよね」と腹を立てていた。
今思い出してみると男子の悪ふざけの中に用事も無いのに後ろから背中をつついて「やめて」と彼女が声を出すまで続けて笑い者にする子がいて、さすがに周りも注意する場面があった。
こういうことをする子がいたということは、知らない所でいじめがあったのかもしれない。
だけど、私達が目にする場面では、私達の日常と同じである。
いたずらをする子もいれば、止めに入る子もいて、特に問題を感じるほどではなかった。
実際、クラスのほとんどの子は彼女との接し方に戸惑って距離を置くことはあっても、おおむね彼女には好意的で、彼女さえ拒まなければ彼女が孤立することは無かったと思う。

人は自分の知覚を通してでしか人の痛みは測れない
経験も知識も少ない小学生には障害児の苦悩は分からない
小学生だった私達は聴くこと以外の感覚は彼女も同じだと思っている
自分と同じだと思っているから、触って呼びかけただけで 怒り出す彼女を理解することはできなかった

だけど 今 思い出すといろいろな問題点が見えて来る。
席に座っている彼女を後ろから突く子がいて、それに対して怒った後は、机に俯いて座る姿に戻るか、机に突っ伏してしまう。前から1番目か2番目の席に常に座っている彼女にはクラスの出来事は見えない。
彼女にちょっかいを出す子に、周りが注意することもあったけど、聴こえない彼女は自分のために言い争っている子がいることに気付いていなかったのかもしれない。
するとどうなるだろうか。
たぶんではあるが、体に触れて来る全ての人が悪意を持っているように感じた可能性はある。

今となっては、クラスの全員を拒絶した理由を知ることはできない。
そして今だから思うのは、この問題は小学生だけで解決することなどできない。
こうなるまで放置した教師に憤りを感じる

スポンサーリンク

■振り返って思うこと

知識も経験も未熟な小学生が、はじめて接する障害児の状況を何の情報も無く、自ら理解して問題を解決するのは無理である。
私が小学校で巡り合ったのは聴覚障害児。
本人からいろいろ聞いて理解を深めたくても、そもそも会話が成立しないから聞き出せない。

結局、仲良くしようとしていた女子も、すぐに怒り出す彼女に閉口して、いつしか接触しなくなった。
私もほとんど接した記憶はない。
だけど、他の同級生の名前や顔はどんどん忘れていったのに、なぜか彼女の名前と顔だけは忘れることができなかった。
何十年も経つ今でもはっきり顔を思い出すことができる。
なぜなのだろう。
それは彼女がいつも一人ぼっちだったからかもしれない。
彼女が笑った顔を私は見たことがない。
それとも、いつも険しい顔をしている彼女が、支援学級に移動する時だけ少し表情が和らぐことに気付いてしまったからだろうか。
難聴の辛さを知る今、改めて振り返ると、私達のクラスは彼女にとってとても残酷な空間だったことに気付かされる。

学校の先生は、なぜ彼女と話す手段を私たちに教えてはくれなかったのだろう
聴こえない子にとって発音が難しいことも、先生からきちんと説明してほしかった。
“会話は音声でするもの” そう思い込んでいる私達は聴こえなくても話せると思い込んでいたからその分衝撃も大きかった。

学校の先生は、児童や生徒にきちんと彼女の状態を説明すべきだったと思うし、どのように接すれば良いのかは先生が率先して筆談やジェスチャーなど態度で示すべきだったと思う。
そうすれば、私たちの何人かはそれを真似し、彼女も心を開いて友達になれたかもしれないのに・・・と、今更ながら後悔にも似た気持ちになるのである。
たぶん当時の先生は、先生自身が障害には無知だったのだろうと思う。

実際に聴覚障害者になって感じるのは、大人でも障害者のことを知らないし、無関心な人が物凄く多いということ。
学校の先生さえも障害のことを理解しなくても許されるみたいな感じだから、児童に説明することなく、クラスに障害児を放り込むだけという行為をしてしまったのかもしれない。
だけど、これって当事者にとってはすごく残酷なこと。

スポンサーリンク

■変わって欲しい教育現場

上記の体験は何十年も前のことなので、今は少しは変わっているのではと期待していたが、今もあまり変わっていなさそうだ。

最近読んだインクルーシブ教育の記事に、障害児と一緒に学んだ経験がある人にインタビューした内容が書かれていた。
インタビューを受けているのは20歳前後で、中学校の時のことを話しているのでそんなに昔のことではない。
知的障害児の特別支援学級があったという人は次のように語っていた。
「障害があるから勉強が出来ないのは仕方がない」し、「障害の無い自分とは別の教室だから気にかける必要はないと思っていた」と言っている。
別の経験談の中に障害のある生徒と同じクラスで学んだという人がいた。
「障害を持つ子には支援の人が常についていたが、同じ教室に居ながら別の空間があるようだった」と感想を述べている。さらに「その子には突然大声で叫んだり暴れたりすることがあったけれど、学校からその子に対する説明は一切なく、ただ仲良くしてくださいとしか言われなかった」そうで、結局、いつ暴れ出すか分からない恐怖のため最後は嫌悪感を抱くようになったと言っている。

インクルーシブ教育というのがどんなものなのかは私には分からない。
だけど、その体制云々の前に教師や教育関係者の意識改革が必要なことは分かる。

話はちょっと逸れるが、2013年に障害者差別基本法が制定され、この頃より「合理的配慮」という言葉を耳にするようになった。
但し、私がこの言葉を耳にするのは障害者が集まる場だけ
健常者ばかりの日常で耳にすることは無く、私も最初は「何のこと?」と思っていた。
そして、障害者への配慮のことを言っているのだと分かったあとも「具体的にどういうこと?」と思っていた。
分かりにくい言葉である。
そんな言葉より、実践の方が重要で、その実践は意識の変化無しには生まれないと思う。

インクルーシブ教育。
この言葉も分かるようで分からない。
結局、言葉ばかりが独り歩きしている感は否めない。
“どうしたら他の子どもと同じように、この子にも同様の体験や教育を受けさせられるだろうか”と具合的に考え行動する意識が乏しいように思う。
実行が大変なのも分かるし、面倒くさいのかもしれないけれど、どこかで変化しないといつまで経って前には進めないと思う。

学校は勉強を教わる場であるが、同時に社会で必要な集団生活を学ぶ場でもある。
社会には様々な人がいることを知り、どうすれば良いのかを考える力をつけるのも学校の役割である。

もしも教育現場が変わり、子どもの時に「どうしたらこのお友達も自分と同じように楽しい思いをしてもらえるかな?」とか、「どうしたら一緒に体験できるかな?」とか、「どうしたら理解してくれるかな?」「どうしたら伝わるかな?」など、普通に大切な友達として相手のことを考えることが当たり前の環境で育ったならばどうなるだろう。
その子ども達が社会に出た時、社会全体に大きな変化が生まれると思う。

願わくは、1日でも早く、教育現場の意識改革が進みますように。

(追記)
このブログを書き終えたあと、発達障害を扱ったドラマを見た。
この日は文字の読み書きができない子どもの話だった。
その子は読み書き以外は問題ないので、読み書きの部分だけ工夫すれば普通に学べる。
この子の場合はタブレットを使えば 今よりも学習がしやすくなるので、親が担任の先生にタブレットを使わせて欲しいと頼む。
だけど先生は「この子だけ特別扱いはできない」と断る。
他の子は紙なのに、1人だけタブレットを使えば、周りの子がずるいと言い出すというのが理由。
これが現実ならば、日本の教育現場は非常識レベルで大きく遅れていることになる。
障害のある子に配慮するどころか普通を強いる。これは他の大勢の子のために我慢しなさいと言っているわけで、障害を持つ子の学ぶ権利を奪っている。
機材を使えばカバーできるなら、今すぐ配慮は可能なわけで、それは直ちに配慮すべきである。

小学生の多くは、説明すれば ”ずるい”とは言わない。
納得しない子がいたとしても、丁寧に何度でも説明すれば大抵の子は理解する。
もしもドラマの中の教師のように、配慮を特別扱いだと思っている人がいるならば、直ちに考えを改めてほしい。
教師がそう思っている限り、綺麗ごとを並べても、子どもには伝わらない。
改めて教師を含めて教育関係者の意識改革が重要だと思った。

長くなってしまいました。
今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[前回のナンチョー日記]
  ↓
ナンチョーな私の気まぐれ日記(22)「障害を受け入れる」のは当事者よりも周り

[次回のナンチョー日記]
  ↓
ナンチョーな私の気まぐれ日記(24)聞き取れないってどんな感じ?

【難聴関係の記事】
■聴覚関係の知識
■商品紹介・レビュー

タイトルとURLをコピーしました