ナンチョーな私の気まぐれ日記(11)警報が聴こえない

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ナンチョーな私の気まぐれ日記

聴力を失うと会話が不便になります。
同時に命の危険度も上がります。
前者は常に重要視されるけれど、後者は難聴者本人が危険に気付いていないケースが多いこともあってあまり問題に上がることがありません。

だけど、本当はとても危険です。
私が難聴を発症した当初に怖いなと感じたことの1つは、警報音が聴こえないことでした。

高音から音を喪失した私は、難聴発症当時は、人の声は聴こえるけれど、火災などを知らせる非常ベルのけたたましい高音は聴こえないという耳でした。

今回は聴こえなくてゾッとした話をしたいと思います。

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■避難訓練で1人取り残された私

私の職場が入っているビルでは、定期的に火災の避難訓練をします。
避難訓練は事前に知らせが入るので、当日は皆訓練だと分かって行動します。
私も訓練の日は、それを意識して、その日は周りの動きに注意を払い、人が動き始めたら「訓練?」と訊ねて、「そうだ」と言われたら皆について行きます。

ある日、急ぎの仕事をしていて、集中している内に避難訓練のことを忘れてしまいました。
どうなったか・・・。
ふと顔を上げると人の気配がありません。
立ち上がって事務所内を見渡すと、誰もいません。
正確には離れた場所に1人だけ電話番の人が残っていたので一人ぼっちではなかったのですが、誰にも声をかけられず、取り残されてしまったのです。
これがもし本当の火災だったら・・・と思うと、ゾッとしました

訓練が終わって事務所に戻って来た何人かが「参加しなかったの?」「仕事忙しかった?」とか「出かけていたの?」など声をかけてきましたが、誰も非常ベルが聴こえず、取り残されたとは思っていなかったようです。

完全に聴こえなくなると この人には非常ベルの音が聴こえていないかもと考える可能性が高くなりますが、中途半端に聴こえていると、まさかあのけたたましい非常ベルの音が聴こえていないとは考えないようです。
会話ができるのに 非常ベルが聴こえないなんて 健聴な耳ではあり得ないことなのですが、実際にはいるのです。高音の警報音だけが聴こえない人。

警報は身の危険を知らせるためのもの。
誰でも危険は察知したいです。
ところが世の中の大半の警報音は、高音が聴こえない人は見捨てますみたいな感じになっていて、これはちょっと悲しいことです。

ちなみに低音が普通に聴こえていた頃の私が思っていたのは、警報が大太鼓だったらなあということでした。
但し、これも聴こえていればの話で、全部の音が聴こえなくなってしまえば、音自体が役に立ちません。
切実に思うのは、警報は音だけでなく、光で知らせる工夫もして欲しいということです。

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■火災現場に遭遇。指示が聴こえない恐怖

私は 実際の火災の避難誘導の場に遭遇したことがあります。
それは駅の火災でした。

朝の通勤時に、いつものように駅のホームに入って来た電車に乗り込んだ時のことです。
乗車したものの電車の扉がなかなか閉まりません。
しばらくすると、車内放送があって、皆がゾロゾロ降り出しました。
何度も車内放送が流れているのは分かるものの、何を言っているのか分かりません。

誰かに聞きたかったけど、書いてくださいと頼める雰囲気ではなかったので、取りあえず周りを観察。すると、皆、緊迫した表情を浮かべながら一斉に同じ方向に歩いて行くのです。

まさか火災が起こっているとは知らない私は、周りの人の表情や行動を見て、ただならぬことが起きていることだけは感じるものの、内容が分からないので、頭の中は不安でいっぱいです。

たぶん皆は、放送で火災だと知った時点で、迷わず行動していたと思います。
どこへ向かえば良いのかも指示があったから、皆、一斉に同じ方向に歩き始めたのでしょう。
そういう情報が一切入って来ない私の心の中は不安しかありません。
この時の私の思考と行動は次のようなものでした。

放送前は『何で動かないんだ?』と、これは皆と同じ心境だったと思います。
そのうち車内アナウンスが入ります。
『なんかアナウンスしてるけど、何があったのかなあ』
『あっ、みんな降り始めた。この電車動かないのね。また事故かしら?』
『えっ!? 全員降りちゃうの?』
普段、事故や故障などで電車が動かないことはよくあり、その時は何人かは座ったままの人がいるのに今回は皆が一斉に降り始めたので、いつもと違う状況に戸惑います。

『あれっ!? みんなどこに行くの?』
降りた人が一斉に同じ方角に黙々と歩いて行きます。
こんなことは初めてです。
『みんな どこに行くんだろう。このままみんなについていって大丈夫なのかなあ?』
情報が入らないと、自己判断が出来ません。
火災だと知らない私は、皆が避難しているのだということにも気づいていません。
この時点で私の心細さは一気に跳ね上がります。
『ええい!ついて行っちゃえ』と、腹をくくって 皆に続くことにしました。

私が火災に遭遇したのは通勤時の都心の駅。
構内は広いし、人の量も多い。
集団パニックを起こせば大混乱。
取りあえず、毎日利用している駅なので 自分が向かっている方向がどこなのかが分かっていることだけが救いでした。

情報が入らなければ、自分がどう行動すれば良いのかの判断ができません
右に行くか、左に行くかで生死を分けることもあります。
情報無しでその決断をするというのは、不安を通り越して、これはもう恐怖です。

結局、この集団の流れは、改札を出たところで終わりました。
無事に改札を出ることができても、何が起こったかはすぐには分かりません。
後で ネットで検索して、駅構内の火災だったことを知りました。
普段は電車が止まっていればネットで検索して何が起こっているかを確認して その後の行動を決めますが、たった今発生した火災の場合は、現場の指示や情報が重要です。

この時は幸い、火災現場から少し離れていたため、周りの人もパニックに陥らず冷静に行動していましたが、もしも周りが慌てて逃げだすような状況だったなら、情報の無い私は無事に避難できたか分かりません。
聴こえない事の怖さを思い知った出来事でした。

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■警報音や指示内容が聴こえない人への配慮

緊急時の指示はどうしても音声になります。
健聴者でも放送が聞き取れない事がよくありますが、聴こえる人は そばにいる人に「何が起こったのでしょう?」と聞くことができます。
聴覚障害者は「何が起こったのですか?」と質問することはできても、音声の説明では分からないため、緊急時ほど 聞くに聞けない状況に追い込まれてしまいます

警報音もそうです。
聴こえない人にとっての警報音は、危険を知らせるどころか、注意を促すことすらできません。
不特定多数が集まるビルや駅、また地下街や施設などは特に「音による警報や誘導」に加えて、「光による警報」や「視覚で分かる誘導」も考えてほしいというのが大きな願いです。

ついでにもう1つ要望を語るとしたら、可能であれば 警報音の周波数にも工夫が欲しいということです。
難聴者の聴こえは、全ての音が一律小さいわけではなく、周波数によって聴こえたり聴こえなかったりします。

私は軽度難聴の頃から 8000Hzの高音は失聴状態で、じきに4000Hzも失聴するなど、高音側から音を失っていました。
医療や福祉では軽度の難聴と言われながら、その時にはすでに高音の警報音が耳に届かなくなくなっていたのです。
こういう耳になって疑問に思ったのは、なぜ警報音は高音ばかりなのかということです。
聴こえていた時にはドキッとする音だったので健聴者には適した音ですが、高音が聴こえない者にとっては警報どころか音自体が耳に届きません

低音が聴こえて、高音が聴こえない私にとっての刺激音は、雷のゴロゴロ音や、大太鼓の音です。なんでこの音を混ぜてくれないかなと当時は思っていました。
警報は、どんな人にも知らせる必要があるものです。
音の選択が難しいことは分かっていますが、皆の命の危険を守るためには、できるなら複数の周波数を使うなど 音の高さにも工夫してもらえたらなあと思うのです。

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■難聴の軽度や重度などの区分に疑問

難聴の区分には、軽度、中等度、高度、重度などがあります。
これらは、500Hz~2000Hzの狭い範囲の周波数の聴こえの平均値で区分します。
オージオメーターといって、ピーと聴こえたらボタンを押す検査で測る周波数は125Hz~8000Hzの幅があるのに、難聴度を表す時には、低音と高音は無視されます。
※難聴の基準について詳しく知りたい方は、こちらの記事で説明しています→「オージオグラムの見方と、身体障害者手帳の基準となる平均聴力の算出方法」

私の難聴は、高音から徐々に低音に向かって音を失っている 進行性難聴なので、難聴発症時は 軽度難聴だけど警報音は聴こえませんという耳でした。
安全、危険という問題で捉えると、思いっきり危険に晒されていたのに、なぜ聴力では軽度という診断になるのか、今、振り返っても不思議です。
軽度扱いにするならば、世の中が安全に配慮されている必要がありますが、実際は警報音が聴こえず 危険に晒されながら生きてきたわけです。

500Hz~2000Hzの周波数が正常であるならば、低音が失聴していても、高音が失聴していても、正常扱いという考え方が果たして正しいのか、これは障害に認定されるレベルまで聴力が落ちた今でも疑問に思っています。
高音や低音が失聴している人を健常者扱いにするのであれば、世の中の環境は 安全面に配慮できていなければならないと私は思うのです。

誰しも障害者にはなりたくありません。
聴こえなくても障害を感じなければ、それは障害ではありません。
だけど、今の社会は、障害認定基準に届かないレベルの不自由を抱えている人達が 障害を感じざるを得ないほど、めちゃくちゃ不親切なのです。

これは聴覚に限りません。
誰もが障害を感じない世の中になってほしいと心から願います。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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  ↓
ナンチョーな私の気まぐれ日記(10)音の宝物

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