ナンチョーな私の気まぐれ日記(22)「障害を受け入れる」のは当事者よりも周り

スポンサーリンク
ナンチョーな私の気まぐれ日記

誰でも昨日まで当たり前に持っていて、当たり前に使っていた身体機能や能力を失えば落ち込む。
ある日突然失う衝撃はとてつもなく大きい。
少しずつ失う運命というのも残酷で、1回の衝撃は小さいものの、それが永遠に続くため不幸の道をまっしぐらみたいな不安な道を歩くことになる。

有って当たり前の機能を失って嬉しい人はいない。
もがき苦しみ、ある人は立ち直り、ある人は立ち直れず、中には人生を放棄してしまう人もいる。
障害の感じ方は人それぞれ。
同じ障害でも障害の度合いや周りの環境によって打撃は大きく異なる。
特にその機能が仕事や生きがいに不可欠だったりすると、機能を失った現実を受け入れるのはなかなか容易ではない。

私の場合は聴覚。
進行性の難聴を発症してからの私は毎日が不安との闘いだった。
だから「障害を受け入れる」とは本人の問題だと思って深く考えてこなかったが、改めて考えると“そうなのかな?”と疑問に思う。
「障害を受け入れる」ってどういうことなのだろう?

スポンサーリンク

■私が自分を障害者だと思うようになったのは

今の私は身体障害者手帳を持つ立派な聴覚障害者です。
難聴を発症したのは20代半ばだけど、徐々に聴力を失う進行性だったので、手帳を取得したのはそんなに昔のことではありません。
手帳を取得した今も聴力低下は進行しています。

世の中には手帳を持っていても、自分は障害者ではないと言う人もいます。
生まれた時から今の状態の人にとっては失う感覚はないので、その場合、皆も自分と同じなら私は障害者ではないとの考えがあっても不思議ではありません。

では、昨日まで持っていた機能を失い続けている人間がそういう感覚になれるかというと、これはちょっと厳しいです。
人は日々向上することに喜びを感じます
失うというのはその逆です。
昨日まで出来たことが今日は出来ない。
努力しても失った機能は取り戻せない。
そういう後退する運命というのは絶望感でいっぱいになります

ちなみに、私の場合は最初から難聴を障害と思っていたわけではありません。
ゆっくり進行する難聴だったので、社会で誤魔化しながらも自力で頑張れている間は難聴という病気だと思っていました。
発症当時、医師は今の医学では治せないとは言ったけど、治らないとは言わなかったので、患者としては、治すことを諦めることはできませんでした。
もしもいきなり失聴したならば、ある程度の期間を経て諦めたかもしれません。
だけど、軽度から出発した難聴だったので、進行を止めさえすれば今の生活は最低でも維持できると思うと必死です。
いろいろな民間療法を試しました。
いろいろなサプリメントも試しました。
それでも聴力は徐々に落ちて行きました。
不便なことが日増しに増え、明日は聴こえているだろうかと涙が出るほど不安な毎日を送りましたが、それでも「障害」という言葉は浮かびませんでした。

それがある段階を境に、自分は障害者なのだと自然に思い始めました。
それはいつかというと、どうあがいても人と会話するのが困難になり、同じ仕事を続けるには聴こえのフォローが不可欠になった時です。
その頃には耳に入って来る音は完全に壊れていて50音すべてが不鮮明でした。
ここまで破壊された音が元に戻るとは到底思えません。
そしてここで進行が止まっても、もう耳は役立たずなのです。

それまでも綱渡りでしたが、20%程度でも単語を拾えたならば、経験と知識で勘を働かせ、相手の質問を逆質問で確認するという離れ業を使いながらギリギリ凌くことができました。
だけど、相手の声が100%届かない、言葉が10%も聞き取れないとなると何の話かを勘で探ることさえできません。
重要な商談の席でフリーズしてしまうことが増え始めました。
どれだけ努力しても、誰かにフォローしてもらわねばもう無理なのだと感じた時「ああ、私は障害者なのだ」と感じるようになりました。

限界を感じた私は、致命的な失敗をする前に第一線から退くことを決意しました。
この時の私は、福祉の上では 障害者ではありませんでした。

スポンサーリンク

■聴覚障害の認定基準は厳し過ぎる

話が少し逸れますが、聴覚の認定基準の厳しさについて少し触れさせてください。
日本の障害認定基準はとても厳しく、私の場合は国が定めた障害基準に満たない段階で、すでに補聴器やその他機材ではカバーしきれないほど耳が役立たずになっていました。
ちなみに日本の聴覚障害の最低認定基準を参考に記すと下記の通りです。
*両耳の聴力70dB以上(6級)
*片耳90dB以上かつもう片方が50dB以上(6級)
*両耳による普通話声の最良語音明瞭度が50%以下(4級)

私は両耳の聴力が60dBを超えた時、すでに語音明瞭度が50%前後しかありませんでした。
もう無理だと悲鳴を上げた時は、片耳は70dBを超えているのに、もう片方が70dBに数dB届かなかったため障害者とは認めてもらえませんでした。

ちなみに50音を聞き取る語音明瞭度の検査の正答率は、補聴器を装着することで聞き取りの向上を見込める限界の聞き取り率です。
私が聴力60dBを超えてからの語音明瞭度の検査では、65dB、80dB、90dBの音量で検査しました。
普通の会話の音量は60dB程度です。
70dBで大きな声程度、80dBはかなり大きな声で、90dBは怒鳴り声レベルです。
この検査は静かな環境(防音室)で行い、例えば大音量の90dBの正答率が一番良ければ、それが検査結果となります。

検査室は外部の雑音が完全遮断されていますが、実際の生活ではそんな静かな環境はありません。話している人が常に目の前にいるわけでもありません。
自分の経験値では日常での語音明瞭度は検査値より20~30%低い印象です。
例えば語音明瞭度60%ならば30~40%、50%なら20~30%、せいぜいそんな感じです。
ちなみに当時の私の耳では90dBの音は拷問に近いレベルなので、補聴器でそこまで音を入れて生活はできません。(聴力が低下すると、同時に大音量に対する許容力も落ちるので、聴こえないからと単純に音を大きくすれば良いというものではないのです)
だから、私が感じた実生活での明瞭度の感覚は、決して大袈裟なものではありません。
今の認定基準は、語音明瞭度が低い人にとっては本当にキツイ基準なのです。

そのため、私自身が障害を自覚して悲鳴を上げ始めたのは 障害認定基準に達する前だったのです。
障害を感じることと、手帳の有無は関係ありません。
限界が来ると心の中で『助けて~!』と叫ぶことが増えます
そうなった時、 “私は障害者なのだ” と自覚するのです。

スポンサーリンク

■障害を受け入れるってどういうことだろう

本題に戻ります。
障害を負うと、よく耳にするのは「障害を受け入れる」という言葉です。
私はずっと「障害を受け入れる」とは、当人の気持ちのことだと思っていました。
それはそれで間違っていないのですが、障害を負った自分を受け入れるのは、毎日少しずつ機能を奪われて行く変動型の場合は、かなり難しいことでした。
昨日より今日の方が不利な状況になり、未来はもっと不便になるだろうと思いつつも、その不便がどんなものかは未経験なので分からないのです。
なので、私はまだ来ぬ未来に備えることができませんでした。
私の場合は、“ここで進行を止めるのだ!”という願いの方が強かったので、尚さらだったかもしれません。

自分が障害者だと自覚した経緯については前述した通りですが、自分が障害者だと自覚してから最初にしたことは、今までの自分を“諦める”ことでした。
“聴こえないのに聴くなんて無理!”と開き直ったことで、精神的には楽になりました
そしてこれが「障害を受け入れる」ということなのかなあと当時の私は思っていました。

だけど、実際にはキツかったです。
諦めた時、会社に事情を話して今までやっていた仕事とポジションを手放しました。
こうなると周りの態度も変わるので、ちょっと屈辱的です。
聴こえない事が劣等感になって、最初は自分のことを卑下してしまう言動が増えてしまったのですが、これが良くなかったようです。

障害を負うと助けてもらいたいがために気弱になるけれど、弱さを見せると、弱い人ほど弱い者いじめをするのだということを知りました。
弱いというより下っ端の捌け口にされただけかもしれませんが。
あまりの意地悪な態度に腹を立てた私は、開き直って元の自分に戻りました。

元の強気な自分に戻ってみると、態度が偉そうに変化した人も元の態度に戻りました。
弱さを見せると、同情するより攻撃に転じる人がいることを知りました。
もちろん全く変わらない人もいれば、親切な人もいます。
弱者になってみると人間性がよく見えるものだなと思いました。

改めて思います。
「障害を受け入れる」って何だろうと。
周りの人の厳しい態度に負けない心なのか?
いや、それは違うだろう。
障害を思い知らされる過酷な状況を受け入れることが「障害を受け入れる」ことなのだとしたら、そこには我慢しか残らないではないか。

スポンサーリンク

■「障害を受け入れる」のは当事者ではなく周り

私は障害者に認定された後も、そのまま一般雇用で同じ会社に勤めました。
得意先への訪問は大幅に減りましたが、それ以外は基本的に同じ仕事です。
そのせいもあって、相変わらず耳への配慮は全くなく、苦労の日々は続きました。

周りから見れば、呼ばれても返事をしなくなったことで難聴だということは分かっていたと思います。だけど、私が話す分には問題がないため、私の内部で起こっている変化(聴力低下)には気付いてもらえず、音声のみで接してきます。
「聴こえない」と伝えても、「?」という反応です。

なので、自力でなんとかしなければならない状況は続きました。
補聴器だけで聴くのは厳しいので、集音マイクを使って補聴器に飛ばしたり、いろいろな機材を買っては試しました。
音声を文字変換するアプリも使っていますが、少しでも距離があったり、騒がしい環境では役に立ちません。
あれこれ機材を試す姿を見せている内に、周りの人にも私がほんとに聴こえないのだと伝わりはじめ、聞き返して嫌な顔をする人は減りました。

そんな時、新型コロナウイルスが発生し、2020年からマスク生活に突入し、完全に音声の聞き取りはできなくなりました。
最初は苦労しかなかったけれど、ここで私ははじめて完全な開き直りを見せました。
「口の動きが見えないから分からない」とはっきり言うようになったのです。
これを伝え続ける内に、用件を紙に書いて持ってくる人、メールを送ってくる人、マスクを下げて話してくれる人、誰もが私と会話するために何らかの配慮をしてくれるようになりました。
もちろん一切配慮してくれない人もいますが、「ごめん、聞き取れてない」と伝えて露骨に嫌な態度を見せる人はいなくなりました。

いつの間にか 私が聴こえないことは 当たり前になっていて、「聴こえない」が言いやすい職場になったのです。

「聴こえない」を抵抗なく言えるということは、周りが私の障害を受け入れたということなのだと思います。

今までは、周りが私の障害を受け入れないから、聴こえないと伝えると嫌な顔をされ、いくら努力しても乗り越えられない厳しさを毎日のように感じていたわけです。
周りが受け入れてくれると、こんなにも楽に生きられるのかと、今はちょっと職場のみんなに感謝しています。

『障害を受け入れる』のは当事者よりも周りなのだと、今ははっきり言えます。
『障害を作っているのは社会』という言葉もよく聞きますが、今までの私はその言葉に物理的な発想ばかりしていましたが、今は少し違って、『周りの人が当たり前に障害を受け入れる』ところから、障害の壁は低くなるのだと思っています。

スポンサーリンク

■最後に

自分の体験を通して思うのは、障害を持つ人の存在が当たり前になるためには 子供の頃からさまざまな人と普通に触れ合う必要があるということです。
本来は学校で共に集団生活を学べるのが良いのでしょうが、今の教育現場の人員や体制、考え方だと特別支援学校へと切り離してしまいがちです。
だけど理想を言えば、共に学ぶために必要な人員を補充して工夫すれば一緒に学ぶことは不可能ではないので、そうなればいいなと思います。
学校で障害児への配慮や工夫をするのを見て育った人は、社会に出てからも障害者を排除するのではなく、共に働き成果をあげるよう工夫する思考も身につきます。
世の中に子供や老人がいるのと同じように、障害者がいることが当たり前になることが、『障害を受け入れる』ということなのだと私は思います。

今回も最後まで読んでくださりありがとうございました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[前回のナンチョー日記]
  ↓
ナンチョーな私の気まぐれ日記(21)踏切音が聴こえなくて

[次回のナンチョー日記]
  ↓
ナンチョーな私の気まぐれ日記(23)障害児教育について思うこと

【難聴関係の記事】
■聴覚関係の知識
■商品紹介・レビュー

タイトルとURLをコピーしました