ドラマの感想の2回目です。
前回の感想はこちらです ➡ ドラマ『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』を聴覚障害者の私が観た感想①聴覚障害の情報が省かれていたのは残念
今回は聴覚障害者の気持ちではなく、物理的に耳が聴こえないと このドラマがどんな感じに見えるのかをお話したいと思います。
私は中途の聴覚障害者で、このドラマは2回観ました。
1回目(初回)は、補聴器を着けずに無音で観ました。
2回目の再放送は、補聴器を装着して観ました。
補聴器を装着しても、聴こえる音はめちゃくちゃなので健聴者として観ることは出来ませんが、音無し、音有りで、随分感じ方に変化があったのでそのことを語りたいと思います。
※このドラマは 2月に手話付版でも放送していますが、この感想は一般向けの同じ映像を見ての感想です。
■私の耳のこと
音有り、音無しの違いを話す前に、私の耳の状態を少しだけ説明しておきます。
私は20代で進行性難聴を発症した中途難聴者ですが、今は補聴器を取るとテレビの音は聴こえません。
まだ失聴には至っていないので、補聴器をすれば音は聴こえます。
だけど、音がめちゃくちゃなので、補聴器を着けてドラマを見ると、ドラマが台無しになります。
どんな風かというと、普通に話す声は音声があまり届かず、少し大きな声だと怒鳴っているように聴こえます。正確には音が割れて聴こえるので、がなり立てているように聴こえ、かなり不快です。
しかも、言葉としては聞き取れないので、字幕が無ければドラマの内容はさっぱり分かりません。
要するに、補聴器を着けると、ただ煩いだけなので、例えば名優と言われる役者さんの演技でも声を入れた途端に大根役者に早変わりするほど音が演技を台無しにしてしまいます。
なので、普段の私は補聴器を外してしかドラマは見ません。
今回はその苦痛に耐えてでも、音が入ったらどんな風に感じるのか知りたくて、2回目は頑張って最後まで補聴器を外さずに視聴しました。
■音無しで観た『デフ・ヴォイス』
初回は補聴器を外して観たのでほぼ無音でした。
映像と字幕だけだと、どのように感じたか・・・。
簡単に言うと、淡々と描かれているように感じました。
聾者役を聾の役者さんが演じているので、普段ありがちな不自然さもなく、良いドラマだと感じました。
だけど、こんなに重いテーマを淡々と描いて、健聴者は興味を持って見てくれるのだろうかと、映像だけ(音無し)で観た私はそれがちょっと心配でした。
ところが後日ネットやSNSで評価を観ると、感動の声で溢れていました。
その感想に、手話の場面や、静けさを挙げている人が多くて、どうやら聴こえている人には、このドラマは違って見えているらしいと気付きました。
残念ながら録画しなかったので、再度補聴器を装着して見直すことはできません。
いつか再放送するだろうから、その時は補聴器を装着して観ようと思っていました。
まさか、その機会が年明け早々訪れるとは思っていませんでした。
たまたまテレビ番組欄を見ていて『デフ・ヴォイス』の文字を観た時には嬉しさで飛び上がりました。
まだ、記憶が鮮明に残っている時なので、これならストーリーに集中できなくても、観ることは出来そうです。
■音を入れて観た『デフ・ヴォイス』
2回目の視聴は、補聴器を装着して観ました。
音が入ると、音声を話す人たちが急に下手くそに見えるようになりました。
怒鳴るように聴こえる声も不快だけど我慢です。
ちなみに、普通に話す声が届かない私にはバックに音楽が流れていたとしてもそれに気付くことはできません。このドラマは台詞以外の音情報を字幕に表記していなかったので、音の有無の全てが分かったわけではなく、また私の耳では音声で言葉を聞き取ることができないので、健聴者と同じ条件で観ることはできません。
だから、健聴者とは感じ方にズレはあると思います。
だけど、音を入れてみると、音声会話のやかましさと、手話の会話の静けさの対比に、ドラマが立体的になるのを感じました。
例えば、父親の法事の後、主人公と主人公の兄の家族(全員が聾)が一緒に食事をとる場面があるのですが、レストランでメニューの通訳をする主人公に 兄の妻が感謝を伝えると、兄が机を叩いて怒り出すシーンがあり、テーブルを叩く音の大きさにドキッとしました。
この場面は音無しで観ていても、テーブルの叩き方や、周りの客の振り向き方で音が大きいことは分かっていたのですが、頭で推察して見るのと、実際の音が耳に入るのとでは全然違いました。
音が聴こえると、その音に勝手に体が反応します。いちいち考える必要がありません。これは大きな違いです。
音無しで観た時の平坦な感じは完全に消えて、ドラマの流れにメリハリが出て、自然に感情に訴えて来るものを感じました。
また、音無しで観た時とは違って感じた場面に、最後の犯罪の告白シーンがあります。
原作では手話のみで伝えるのですが、ドラマでは手話と音声の両方で伝えます。
この場面は小説を読んだことのある人には不評で、私も「えっ?音声で話しちゃうの?」とは思ったのですが、字幕で観ている時には、健聴者への配慮でこの演出になったのかなと好意的に捉えていました。
だけど、音を入れてみると・・・ここは小説の意図通り、手話だけ(手話の分かる仲間にのみ告白)の方が良かったなと思いました。
なぜ原作と同じにしなかったのかを勝手に想像するに、告白するコーダ役の女優さんが聾者ではないので、音声を入れた方が演じきれるとの判断でこうしたのかもしれないと思いました。だけど、あれだけの表情表現ができる女優さんなのですから、手話だけの方が良かったと思います。
とはいえ、文字を読むのが苦手な人には少々台詞が長いですし、文字だけだと視覚障害者が俳優さんの演技を感じることができませんから、いろいろ考えてああなったのだろうと思います。
今回、日にちをあまり開けずに、音無し、音有りの両方を比較することができて改めて思いました。たとえ 聴こえる音が狂っていたとしても、音が有るだけで、感じ方に随分変化が出るものだなあと。
この音の無い味気なさは、テレビの音量を0にしてドラマや映画を観れば体験可能なので、どんな感じなのか興味があれば一度消音で観てみてください。
特にオカルトやアクション映画は、音響効果で盛り上げている部分が大きいので、ガッカリなほど迫力はダウンします。
次回は感想の最後です。
私がこのドラマでこれだけは残念だったと感じたことを正直に書こうと思うので、ちょっと辛口なコメントになると思います。
今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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[前回のナンチョー日記]
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(39)ドラマ『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』を聴覚障害者の私が観た感想①聴覚障害の情報が省かれていたのは残念
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