ナンチョーな私の気まぐれ日記(39)ドラマ『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』を聴覚障害者の私が観た感想①聴覚障害の情報が省かれていたのは残念

スポンサーリンク
ナンチョーな私の気まぐれ日記

2023年12月に聾者の抱える問題を扱ったミステリー小説『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』のドラマが放送されました。
耳の聴こえない親を持つ『コーダ(CODA)』が主人公で、聴覚障害者の立場の弱さに焦点を置いたドラマでした。
「コーダ」とは聾の親を持つ聴こえる人のことです)

今回は中途の聴覚障害者である私がドラマを観て感じた感想です。
思いつくままに自由に書いているとどんどん長くなるので、書きたいことを3つに絞り、3回に分けて書くことにしました。
感想は聴覚障害者としての感想で、ストーリーの感想ではありません。

単純に一視聴者として感想を述べると、私が期待していた内容とは少し違ったのですが、ストーリーはきちんと伝わるように組み立てられていて、ドラマとしてはこういうまとめ方も有りだなと思いました。
そして、何といってもこのドラマをおすすめしたくなる要因は、聾の役者さんの演技です。
聾者の役を聾の役者さんが演じているので不自然さがなく、手の動きや表情につい引き込まれてしまいます。
理屈ではなく、役者さんの演技から聴覚障害の実情が伝わってくるので、観る機会があるならば一度はぜひ観てほしいドラマだと思います。

スポンサーリンク

■聴覚障害の情報が無かったのは残念

ドラマと小説の大きな違いは、時間の制約もあって、やはり情報量。
小説は聴覚障害の事を知らない人にも聴覚障害の世界が分かるように、丁寧に説明しながらストーリーが進んで行くのですが、ドラマではその情報部分はバッサリ省かれていました。

私は聴覚障害者の抱える複雑な状況を多くの人に知って欲しかったので、これはすごく残念に思いました。
というのも、聴覚障害の世界は知れば知るほど複雑だからです。
ドラマでも感じたと思いますが、聴覚障害とはコミュニケーション障害です。
だから、聴覚障害者というだけで一括りにはできません。

例えば、聴こえの障害なので 音声会話が厳しいのは共通です。だけどそれをカバーする方法は人によって様々です。
手話を使う人もいれば、筆談オンリーの人もいます。
人によって求めるフォローが違うのですが、これはあまり知られていません。
なので、そういうことも伝わるように描いてほしいという願望はありましたが、ドラマであれこれ情報を入れ過ぎるとストーリーのインパクトが薄れてしまうので、ドラマの場合はこうなってしまうのは致し方のないことです。

スポンサーリンク

■言語の違い

聾者が使うのは「日本手話」です。
これは日本語ではありません
独特の表現法を使う外国語のようなものです。
親が日本手話を使うなら、子どもは自然にそれが母語となります。
コーダは聴こえる人だけど、親が日本手話で話すので自然に日本手話が母語として身につきます

よく聴覚障害者は手話を使うと思われがちなのですが、聴覚障害=手話ではありません
実際に手話を使う聴覚障害者は多くないですし、特に日本手話で育った人となるとかなり少ないです。

普通に考えたら分かると思いますが、周りに日本人しかいない環境で見知らぬ外国語を話す子どもが育たないのと同じで、聴覚障害児の親の多くは手話を使わない聴こえる人(聴者)。なので、数の上では「日本語」で育つ難聴児が圧倒的に多いのです。
日本語で育った人にとっては、日本語をそのまま手話に置き換える「日本語対応手話」の方が分かりやすいということで、手話には「日本手話」と「日本語対応手話」の2種類があるのです。
ちなみにどちらにも「日本」と名称がついているけれど、2つの言語は全く別物です。
そして、これとは別に数の上で最も多いのは手話を使わない聴覚障害者です。

スポンサーリンク

■聴覚障害者のコミュニケーション手段はバラバラ

聾学校では長年手話が禁止されていました。
口話教育が重視されたためですが、その頃に聾学校に通っていた人には手話を使わない人は多いです。
当然、音声日本語で育った中途難聴・失聴者の多くは手話とは無縁で暮らしています。
聴覚障害者と言っても、コミュケーション手段はバラバラです。
筆談や、今であれば文字起こしアプリを使って会話する人。
口話ができる人。
手話を使う人も「日本手話」「日本語対応手話」そしてドラマにも出てきた「ホームサイン」程度しか使えない人もいます。
家庭の状態や取り巻く環境がコミュニケーションに直接影響してしまうのが聴覚障害なのです。

小説では中途失聴の弁護士が使うのは日本語対応手話で、日本手話の人と日本語対応手話の人がいること、そして両者の間では結構ややこしい問題を抱えていることも読み進めて行くうちに分かるのですが、ドラマではそのややこしい事情には触れずにストーリーが進みます。
特に聾文化についての説明がドラマではバッサリだったのは残念でした。
とはいえ、中途半端に触れると誤解を招く問題なので、あの長さのドラマではバッサリが正解だったとは思っています。

ただ気になったのは、ドラマで何度も出て来る「仲間」という言葉。
この言葉は、使う人によっていろいろな意味があると思うのですが、そのニュアンスは当事者や小説を読んだことのある人と、ドラマで初めて聾者を知った人とでは感じ方に違いがあるかもしれないと思いました。

短い時間で視聴者の心に何かを残すことを考えれば、今回のドラマのように大筋のストーリーのみに焦点を合わせた展開が正解だと理解しつつも、私がこのドラマの原作(小説)に心惹かれたのが聾者を取り巻く様々な情報の方だったので、気持ちとしてはやっぱり残念でした。

スポンサーリンク

■原作の魅力とドラマの評価

ちなみに、原作(小説)は、聴者と聾者の狭間で生きるコーダを主人公にすることで、どちらの側にも寄ってしまわない絶妙なバランスが魅力となっています。
説明を抜いたにも関わらず、そのバランスを保てたのは、聾者の役を聾者が演じたからだと思います。これはかなり高く評価できます。
聾者の場面が不自然になってしまったら、ドラマでこの絶妙なバランスは保てなかったと思うので。

ただ、高く評価しつつも、大きな不満点もあります。
そのことは感想の最後(3回目)に書きたいと思います。

・・・・・・
参考に原作の小説を初めて読んだ時の感想記事のリンクを張っておきます。
私はドラマでは描かれなかった情報の方に強い興味を惹かれ、感想はその情報のことを書いているので興味がある方は読んでみてください。
「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」を読んで思ったこと

当時の私は、聴覚障害者との交流を始めて間もない頃だったので、聾者同士がなぜ揉めるのか、なぜ福祉的援助を受けながら「私たちは障害者じゃない」と主張する人がいるのか、疑問だらけでした。
小説を読んだからといって、いきなり理解できるわけではなかったけれど、この小説は聾者のことを理解するための最初の一歩になりました。

次回は聴覚障害者の私がこのドラマを「音無し」と「音有り」で観た時に感じたドラマの印象の違いについて書きたいと思います。
・・・・・・
原作の小説は、ドラマ以上に聴覚障害の世界を味わえるので、読んだことのない人は、ぜひ小説も読んでみてください。
こちらに本を紹介しています。
 ↓
【デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士】 聾者のことを知りたい方にお薦め

今回も最後まで読んでくださりありがとうございました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[前回のナンチョー日記]
  ↓
ナンチョーな私の気まぐれ日記(38)電話の自動音声案内

[次回のナンチョー日記]
  ↓
ナンチョーな私の気まぐれ日記(40)ドラマ『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』を聴覚障害者の私が観た感想②音無しで観るドラマと音有りで観るドラマの違い

【難聴関係の記事】
■聴覚関係の知識
■商品紹介・レビュー

タイトルとURLをコピーしました