ナンチョーな私の気まぐれ日記(48)親切なようで、残酷な言葉

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ナンチョーな私の気まぐれ日記

健聴者が 大して深い意味もなく話すことの中には、難聴当事者が不快だったり、傷ついたりする言葉があります。
残酷な言葉は沢山ありますが、今日、取り上げるのは、親切で言っているかもしれないので、言い返しにくい言葉についてです。
ちょっと反論しただけで、「心配して言っているのに」と、怒り出す人もいるような言葉。
その中には、とても残酷な言葉があります。

言葉の感じ方には個人差があるし、それを言う人の気持ちも様々で、心の底から心配してくれている人もいれば、社交辞令だったり、どう反応すれば良いのか分からないために出て来た言葉だったり、様々です。

健常者だと、なぜ傷つくのか分からないかもしれませんが、治せない障害や、不治の病で苦しんでいる人にとっては、知識も無いのに、こうしろ、ああしろと言われるほど不快なことはありません。酷いのになると、説教してきますから、「勘弁してください」と逃げ出したくなることもあります。

私は、難聴に興味を持ってくれることは嬉しく、それは大歓迎なのですが、知識もないのに、説教されるのはごめんです。
どうしようもなく追い詰められているのに、説教されて嬉しい人は、多分いないと思うので、今日は親切なようで残酷な言葉をテーマに、私は言われたくないと思うことを話します。

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■「病院に行きなさい」

不調を訴えると、人はよく、「病院で診てもらいなさい」と言います。
不調が続いていて 無理している人に、「一度、診てもらえ」というのは、適切なアドバイスではあります。
だけど、病院で匙を投げられている人に、この言葉は残酷です。

私は、この「病院に行きなさい」を、難聴の配慮を求めて 言われたことが 何度かあります
配慮を求めたことで言われる「病院に行きなさい」は、正直、難聴のことを何も知らない人に言われたくない言葉の1つです。

なぜなら、当人は、配慮が必要な状態になるまで放置していたわけではありません
ずっと治そうと努力し続け、今も治せるなら治したいと思っています。
だけど、治してもらえなくて、今に至っているわけです。

私の難聴は、「大音量の耳鳴り」と「軽度の難聴」から始まった進行性難聴で、病院をたらい回しにされた挙句、「治すには手遅れです」と言われた難聴です。
その後も、諦めきれずに、難聴に強いと聞いた病院には、いくつも足を運びました。
だけど、どこに行っても、同じような薬物を処方された末に、医師は同じ事を言います。「現在の医学では治せません」と。
治せないのは仕方がないにしても、せめて進行を止めたいので、もしかしたら医学に進歩があるかもと、その後も病院を探してはチャレンジしましたが、言われる内容に変化はありませんでした。

民間療法やサプリメントもいろいろ試しました
少しでも可能性のあることは、何でも試したので、計算した事はないけれど、使ったお金をトータルしたら、物凄い額になると思います。
それでも、進行を止めることが出来ずに、障害者のレベルに達してしまいました。

病院に行けと言う人に、「病院には行ったけど、どこの病院も今の医学では治せないと言っている」と伝えると、「諦めてはだめ」という人もいますが、私が諦めるのではなく、医者が諦めるのです。
「探せばきっと治してくれるところはあるよ」と言う人もいますが、ずっと探し続けた結果が今なのです。

中には、誤解している人もいます。
今の私は、病院に行っても 検査するだけで 治療してもらえないから通院していないだけなのに、病院に通っていないことが、まるで私の落ち度のように責めてくる人もいます。

難聴を患った初期の段階なら、「諦めずに」という言葉を、励ましと捉えることが出来ますが、やれることを全てやって、医者に匙を投げられ続けている人に、「病院に行きなさい」とか、「諦めずに探せばきっと治してもらえるから」と言うのは、あまりに無責任で 残酷な言葉です。

ちなみに、この言葉を 配慮を求めた時に言われると、遠回しに “迷惑だ” と 言われたように感じて、とても傷つきます

現在でも、治せる難聴はごく僅か。
殆どの難聴は、不治の病にかかっているのと同じです。
耳の聴こえで配慮が必要な難聴者の殆どは、医者から「治せません」と言われ続けている人だということを知ってください。

配慮を求められたら、余計なことを言わずに、配慮していただけたら有りがたいです。

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■「もっと良い補聴器に買い換えたら」

「補聴器をしなさい」とか、「もっと良いのに買い換えたら」と言ってしまう健聴者は少なくありません。
私は補聴器をしていますが、補聴器が目立たない(髪で隠れているせいもある)ため、聞き返すと「補聴器をしろ」と言われることが、結構あります。
補聴器をすれば普通に聴こえると思っているから出て来る言葉です。

健聴者の多くは、難聴は、音量が足りないだけだと思っているようですが、それは違います。
多くの難聴者は、聴こえる音が壊れて正確ではないため、言葉が不鮮明で 困っています。
時に、全く違う発音に聴こえることもあるし、今の私は全部の音が狂っていて、50音の全てが、50音とは異なる曖昧な音に聴こえます。
そして、この曖昧さは補聴器をしても改善しません

とはいえ、聴力が低下している部分の音(周波数)を増幅して、バランスを整えることで、多少は改善します。多少であっても、当事者にとっては大助かりなので、私は 細かく設定できる高機能の補聴器を使っています
ちなみに補聴器の寿命は基本的に5~10年と短いため、定期的に買い換えることから、常に最新に近い物を着けていることになります。
だけど、自分の耳の劣化を止めることはできません。音量の低下は強力なスピーカーでカバーできても、聴こえる音の劣化はどうしようもなく、言葉の聞き取りは、聴力低下とともに落ちてしまうのです。
補聴器を使っても、聞き取りの改善には、限界があるということを知ってください。

そんなんで、難聴の悪化とともに、聞き返しは 増えます
すると「補聴器をしろよ」とか、「もっと良い補聴器に換えたらどう」と 言う人が出て来るんですね。

最新の高機能の補聴器を装着しているのに、これを言われると、これ以上どうしろというのか・・・と、悲しくなります。
片耳40万円以上(両耳80万円以上)もする補聴器を買ったばかりで言われた時は、さすがに腹が立って、値段を伝えたら黙りましたが、補聴器を眼鏡ぐらいの値段だと思っている人が多いようです。
補聴器の形状をした数万円程度の安価な集音器を補聴器だと勘違いしている人が多いのかもしれません。
だけど、形状が似ていても、集音器と補聴器は 別物です。
集音器は音を増幅する家電で、補聴器は個人の聴こえに合わせて調整が必要な医療機器です。
見た目が似ていても、内部の精密度(機能)が、全く異なります
なので、集音器を使っている難聴者に「補聴器にした方が良いよ」というアドバイスは有りですが、働いている難聴者(配慮が必要なレベル)の殆どは、すでに補聴器を使っているので、大きなお世話ということになります。
それに、高機能の補聴器をしても効果が出ない難聴者もいるので、高ければ良いというわけでもなく、難聴はとても複雑な障害なのです。

ちなみに私の知る中途難聴者は、失聴している人以外は、経済が許す限り、細かく設定できる高機能の補聴器を使っています。
だけど、中には経済的に買えない人もいて、そういう人は片耳だけで我慢したり、補聴器のランクを下げたりしています。
だけど、そういう人も、買えるなら高機能の補聴器を両耳に装着したいと思っているわけで、そもそも、寿命5~10年の補聴器の値段が 片耳だけでも何十万円もするという時点で庶民には無理が生じています
そんなことも知らずに、「もっと良い補聴器をしたら」と言うのは、これまた残酷な話なのです。

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■「人工内耳になぜしないの?」

私が「人工内耳になぜしないの?」と、初めて友人から言われたのは、障害者になる前のことでした。
「リスクあるからね」と軽く流すと、「人工内耳にしたら普通に聴こえるようになるのに」と、しつこく言われました。
この友人は、人工内耳とは、内耳が人工になるだけで、内耳を取り換えたら 健聴者と同じになると思っていたようです。
だから、障害者ではなく、ただの難聴者の私に、今よりもマシになるならやってみるべきとの発想だったようで、手術にかかる費用も、その後の不便も何も知らずに発言したようでした。

実は私も人工内耳がどんなものなのかを知ったのは、中等度も半ばを超えてからで、それまでは私も友人と似たようなイメージを持っていて、聴こえの具合はともかく、人工内耳にしたら補聴器のような着けたり外したりの面倒はなくなると思っていました。

実際は大違いでした。
人工内耳は、インプラント(体内機器)とプロセッサ(体外機器)で構成されていて、プロセッサは磁石で頭に装着し、寝る時には外さねばならないし、しかも電池の充電もあまり持たないため、聴こえの点以外は、補聴器よりも不便な代物です。
なので、補聴器を外した時に、多少でも音が聴こえる内は、その聴力を台無しにしてまで、人工内耳に置き換えたいとは、私は思いませんでした。

また、聴こえの効果も個人差があるという話は医師から聞いていますし、友人の中には頭痛持ちになってしまった人もいます
そういうリスクも考えた上でとなると、私の場合は、耳が完全に役に立たないと思うまでは、補聴器で頑張りたいと思いました。

余談ですが、昔、身体障害6級(聴覚では一番軽い級)に認定された時、さっそく「人工内耳にしなさい」と強く勧めてきた言語聴覚士がいて、すごく不快な思いをしたことがあります。
私のために勧めているというより、6級でも保険が使えるようになったからと勧めてきたように私は感じました。
将来の選択肢として、人工内耳の知識は欲しいと思っていましたが、リスクの説明を一切せずに いきなり説得してきたので、これは大変迷惑でした。
デメリットを一切説明せず、「この発音は聞き取れる? 聞き取れないでしょ」と、私の語音明瞭度の悪さを突っ込んでの説得。私が決断しないと、「なんで そんな耳(難聴の耳)にこだわるの?」とまで言い放つ。人工内耳にしたくない理由を言っても、そのことは無視して、「聴こえるようになるのになんで拒否するのか分からない」と、決断しない私を責める。
まあ、私の耳の悪口を、言うわ、言うわ(苦笑)

だけど、デメリットをきちんと説明しない人は、信用できません。
「今は、まだ聴こえているので補聴器で良いです」と断るたびに、「あなたは聴こえているつもりでも、全然聴こえていないから」と、私の耳が役立たずであることを、延々と話すので、さすがに堪忍袋の緒が切れて、「あなただったら、まだ補聴器で聴こえるのに手術するんですか?」と言い返したら、「私は聴こえるから手術なんて考えるわけないじゃない」との言葉に、この人とはお話にならないと思った私は、「今は絶対にしないので、もう何も言わないでください」と、はっきり断りました。

この言語聴覚士は、元々は、先天性の難聴児を専門にしていたようで、それが正確な音へのこだわりになっていたのかもしれませんが、聴こえない人を、馬鹿にし過ぎていると思いました。
私は元々が健聴なので、言われなくても、聴こえの狂いは実体験で、よく分かっています。
ゆっくり進行していることもあって、聴こえの段階を味わい尽くしている私は、かなり微妙な変化も分かっているし、聴こえの勉強もしていますから、言語聴覚士が これを聞き取れるかと発音した音が、英語には多いけど、日本語には少ないことも分かっていて、そういう部分だけを突っ込んで、人の耳を貶し続けるやり方で 人工内耳を勧めるのは、かなり悪質だなあとさえ思いました。

私の場合は、言語聴覚士の言動に最初こそ傷つきましたが、最後はそれが怒りに転化したので、心の傷にはなりませんでしたが、もしも私が健聴な状態を知らなかったら、自分はどれだけダメなのだろうかと、ひどいコンプレックスを抱くことになったかもしれません。
良かれと思って発言していることも、度を過ぎれば、取り返しのつかない傷を相手に負わすことになるので、専門家ならば、そういう自覚を持って指導してほしいものです。
余談が長くなってしまいました。(^^;)

取りあえず、今、はっきり言えるのは、私の場合は、6級の時に言語聴覚士にのせられて 人工内耳にしていたら、間違いなく後悔していただろうということです。

あれから進行が進んで、聞き取りは最悪になった今も、私は、まだ人工内耳にはしていません。
完全失聴すれば、迷わず人工内耳にするでしょうが、文字起こしアプリが優秀になり、補聴器の機能も向上し、一時期よりも不便を感じることが減ってきているので、急ぐ必要性を今は感じていません。
もしも、今の聴力を維持したなら、人工内耳にしない可能性も出てきました。

なので、人工内耳の良し悪しについては、私は語ることはできませんが、人工内耳にした知人友人の多くは、「人工内耳にして良かった」と言っています
だけど、手術した人の中には、後悔しているも少なからずいるのも事実です。
リスクの無い手術はありません。
補聴器の失敗は お金が勿体なかったで 済みますが、人工内耳は自分の内耳の有毛細胞を傷つけてしまうわけですから、残存聴力がある場合、それを残すか、殺すかの選択でもあるので、当事者は慎重に考えて当然だと思います。
(※検討中の人の脅しになってはいけないので、付け加えておきます。今は昔よりも有毛細胞の破損度は減っていると耳にしますので、そこは医師の話を聞いて決めてくださいね。)

私の場合は、少し前まで、裸耳で聴こえる音が残っていたので、災害時のことを考えると、裸耳でも聴こえる音は残したいと考えて、人工内耳にはしませんでした。
聴こえの問題は、聞き取りだけの問題ではないのです。
寝ている時に無音というのは恐いことです。
災害で電気が止まれば、音が無くなるのも、恐ろしいことです。
そんな当時者の悩みも知らずに、赤の他人が、人工内耳の手術をしないからと 難聴者を責めるのは お門違いも甚だしいと思います。

最後に、これだけは知っておいてほしいです。
人工内耳にすれば 健康な聴力になるわけではありません
難聴度がマシになるというだけです。
殆ど失聴している重度難聴者の場合は、中等度難聴レベルの聴こえでも「すごく聴こえるようになった!」と大喜びしますが、もしも、健聴者が人工内耳にしたら「酷い難聴になった」と嘆くレベルの聴こえだということを知っておいてください。
人工内耳は、健聴な耳には程遠いのです。

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■最後に(まとめとお願い)

上記の3つの言葉は、健聴者にとっては、何気ない雑談レベルの言葉かもしれません。
だけど、深刻に悩みながら、必死に生きようと頑張っている難聴者に言う言葉としては不適切です。
大抵の場合、自分の状態を説明して、配慮を求めた時に出て来る言葉なので、配慮の拒絶に聞こえてしまいます

配慮が迷惑をかけることは分かっているので、工夫して自分で何とかできている内は、私は配慮は求めませんでした。
どうしても無理な時にお願いするわけで、この配慮のお願いは、今でもすごく勇気が要ります
自分だけではどうすることもできないために、勇気を出して、配慮のお願いをしているのに、それに対して 説教めいた助言をされると、責められているようにしか聞こえません。

聴覚障害者にも色々な考え方の人がいますが、健聴者仕様の社会で生きて行かねばならないのですから、できれば健聴でありたいと思うのは、皆同じだと思います。
そして、現役の社会人であれば、聞き取れないマイナスを日々味わっているので、耳のことは人に言われなくても考えています。
なので、難聴のことを知った上で、耳寄りな情報を伝えてくださるのは有り難いですが、説教めいた助言は止めてほしいと思います。

どうか、配慮のお願いをされたなら、どうしようもなくて困っているのだと理解して、黙って配慮していただけたら、大変嬉しいです。
ご迷惑は重々承知。
それでも、どうか助けてくださいますよう、お願いします。

今回も最後まで読んでくださりありがとうごいました。
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  ↓
ナンチョーな私の気まぐれ日記(47)耳の状態で変わる聴こえの変化

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