ナンチョーな私の気まぐれ日記(51)「障害を乗り越える」=Re-start=

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ナンチョーな私の気まぐれ日記

昨年、私の中でちょっとした意識の変化がありました。
前回の「ナンチョーな私の気まぐれ日記(50)変動の地獄、安定の幸せ」に書いたので、ここでは詳細を書きませんが、変動し続けた聴こえの不安定さが少しマシになったことで、安定さえすれば今より悪化しても、再出発可能だと感じたのです。

その状態で新年を迎えた今年、私はやる気に充ちていました。
自然にやる気が湧き起こったのは、難聴発症後は初めてのことです。

そして、やる気に充ちた私の頭に「障害を乗り越える」という言葉が、ふと浮かびました
これには驚きました。
なぜなら 私はこの言葉が大嫌いだったからです。

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■「障害を乗り越える」

この言葉は、どういう場面で使うか、誰が誰に言うか、どんな気持ちで使うかで、随分違ってくるのかもしれません。

私が「障害を乗り越える」という言葉を好きになれなかった理由は、前回の「ナンチョーな私の気まぐれ日記(50)変動の地獄、安定の幸せ」に書いた通り、目の前の障壁(問題)の対策に追われる毎日で、乗り越えるどころの騒ぎではなかったからです。

進行性の場合、取り組む課題は変化し続けます。
聴覚の場合は、少し狂っただけで、言葉の聞き取りに大きく影響します。

私の難聴は、少しずつ蝕まれるように進行し続けているので 毎日必死です。
これは乗り越えられるものではなく、延々と続く、障害との遭遇です。

乗り越えるというのは、足元の土台が安定してこそできることで、そこが不安定だと跳ぶことさえ困難です。
私はずっと不安定な状態しか知らなかったので、「障害を乗り越える」という無責任な言葉が大嫌いだったのだと思います。

実は、新年を迎えた瞬間は、耳の状態が安定していたので、本当にやる気に充ちていました。
ところが、1月3日の朝 目覚めたら、人の声が別人なほど変化していて 会話の音声把握はゼロ状態に戻ってしまいました。
昨年の体験(今より聴力が悪化したとしても、安定すれば地獄から抜け出せる)のおかげで、落ち込みはしませんが、振り出しに戻ったことに溜息が出ます。

改めて感じます。
毎日会話している人の声でさえ、今日はどれぐらい聞き取れるのか予測不能。
この状態はやっぱり不安だし、消極的になってしまうのは 仕方のないことだなあと。

そもそも、進行性と固定の障害では、条件が違います。
進行性の場合は病状が悪化している状態です。
風邪を引いて日増しに状態が悪化している人に「風邪を乗り越えろ!」とは言いません。それと、同じなのかもしれません。

そんなこんなで、元旦に比べると、ややエネルギーダウンしていますが、めげてはいません。
足元さえしっかりすれば、どんな状況でもそこからリスタートは可能だと感じたばかりなので。

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■世の中の変化と自分の変化

今は 急速にAIが進化しています。
その恩恵は聴覚障害者も受けています。音声を文字に変換するアプリが日々優秀になっていて、そのお陰で途絶えていたコミュニケーション(人間関係)が復活してきました。

社会も少しずつ変化しています。
昨年は、障害者差別解消法の改正で、民間の事業者も障害者への配慮が義務になりました。
そのおかげもあって、店舗で聴こえないことを伝えた時に、モロに嫌な顔をする人は見かけなくなりました。筆談やジェスチャーで積極的に配慮してくれる人も増えてきました。
まだまだ辛い思いをしたり、心細い思いをすることはいっぱいあるけれど、社会が良い方向に進んでいるのを体感できると希望が湧きます

10年前には絶望しかなかった環境が、急速に変わってきたことで、聴力を失う恐怖も和らぎ、難聴になってしまった自分を受け入れやすくなってきたことには本当に感謝です。

そこにプラス、私の聴こえの不安定さ(日々の激しい変化)が昔よりもマシになったことで、明日への不安が和らいだ体験は大きいです。
安定したならば、自然に表に出て行こうという前向きな気分になり、もう一度人生をリスタートさせようとの意欲が自然に湧いてきたからです。

無理やりではない、自然に湧いてくる『やる気』は、なんと気持ちの良いことでしょう!
そんな気持ちになると、「乗り越えた」という表現が自然に浮かんできます。

ここで誤解があってはいけないので、付け加えておきます。
今の私の心境は、何十年も不安定な聴力の中で苦しみ続け、既に言葉の聞き取り能力は10~20%レベルまで落ちているからこその心境だと思います。
ここに至るまでには、諦めと開き直りの段階があり、それを越えた後の自分の人生も、今振り返ると地獄です。不安定に苦しみ続けていたからこそ、少し安定しただけでポジティブな気分になれたのだと思います。
なので、まだ開き直りの段階も越えていない障害者に、安定すれば大丈夫なのだとは思わないでください。
難聴で一番辛いのは、周りの人とのスムーズなコミュニケーションが難しくなることです。
世の中は、音声会話が主体です。
嫌でも比較対象は周りにいる健聴者。聞き返せば何とかなるレベルの難聴者でも、複数人のお喋りの輪の中で聞き返すのは難しく、コミュニケーションで 途方に暮れる毎日です。
この辛さは障害の軽重に関係なく、難聴になると誰でも抱える苦しみ(悩み)です。そして、気持ちはポジティブになれたとしても、聴こえが改善するわけではないので、聴こえの悩みが消えるわけではありません。乗り越えられない壁はあり、だから”障害”と言うのです。

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■「障害を乗り越える」は他者に向けて使うのはNG

私の中に気持ちの変化が生まれて、今と昔の場面を気持ちで比較してみて思うことがあります。
「障害を乗り越える」とは、あくまで障害当事者の心の中のことだということです。

本人の心の状態なので、他人が他者に向けて言う言葉ではありません。
「乗り越えよう」「乗り越えたい」「乗り越えた」
これは障害に関わらず、他人に向けて言う言葉ではなく、自分に向けたエールであり、自分の気持ちなのだと思います。
私が「障害を乗り越える」という言葉を不快に思っていたのは、他者が押しつけがましく この言葉を使うからなのだと思います。
特に障害は身体だけでなく、生活環境が一変するので、他人が乗り越えろとプレッシャーをかけて良いものではありません
乗り越えた人の話を出して「あなたも頑張れ」というのもNG
相手のことを思うなら、その人の心に、そっと寄り添うだけで十分。言葉の励ましはプレッシャーになるだけなので要りません。

ちなみに、長年、難聴で苦しんだ経験から思うことがあります。
「障害を乗り越えろ」とは、障害者にではなく、障害者の周りにいる健常者の課題なのではないかということです。
なぜなら、周りが障害を受け入れてくれなければ、障害者は前に進めないからです。
そばにいる人の偏見が障害になっていることもあります

Re-start 気分で出発した今年、途中で挫折して、来年は「七転び八起き」とか言っているかもしれませんが、それでも良いかなと気楽な気持ちでスタートです。

今年は午年。
目の前の小さな障害を飛び越えながら、飛躍する1年にしたいと思います。
皆様にとっても素晴らしい1年になりますように。

今回も最後まで読んでくださりありがとうございました。
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[前回のナンチョー日記]
  ↓
ナンチョーな私の気まぐれ日記(50)変動の地獄、安定の幸せ

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