「しつけってなあに」のまき

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物語

【トンちゃんシリーズ No.2】

小学校3年生のトンちゃんには、お気に入りの大人が2人います。
1人はお母さんの妹のサユおばさんです。
トンちゃんがお母さんに叱られている時、いつも「まあまあそんなに怒らなくても、トンちゃんも悪気があったわけではないのだから」とかばってくれるので、トンちゃんは大好きです。
サユおばさんは、トンちゃんが生まれた時からの長いおつきあい。だから、トンちゃんは最初に呼んでいたサーちゃんのまま、今もサーちゃんと呼んでいます。
もう1人はお隣のお兄さんです。
お兄さんは、トンちゃんのお友達みんなにサッカーを教えてくれたり、いろいろな楽しいゲームを考えて一緒に遊んでくれるので、トンちゃんもお友達もみんな大好きす。
お兄さんは大学で、学校の先生になるためのお勉強をしているのだそうです。
だからかなあ。ズルをしたり、嘘をついたり、弱い者いじめしている子を見つけるとビシッと叱ります。トンちゃんはそんなお兄さんのことをちょっと尊敬しています。

今日は、サーちゃん(サユおばさん)のお話をします。
サーちゃんのところには、ノンちゃんという4歳の女の子と、カンちゃんという2歳の男の子がいます。
トンちゃんはサーちゃんのことは大好きですが、ノンちゃんとカンちゃんは苦手です。
なぜならノンちゃんは自分の思い通りにならないとすぐに泣き叫ぶし、カンちゃんは乱暴で大事なおもちゃをすぐに壊してしまうからです。
ある日お母さんに文句を言ったら、2人はまだ小さいのだから我慢しなさいと言われたので、トンちゃんは我慢して遊んであげています。

トンちゃんが学校から帰って来ると、今日もサーちゃんは2人を連れて遊びに来ていました。
トンちゃんはサーちゃんとお話したいのだけど、最近のサーちゃんはお母さんと深刻な顔で話してばかりで、トンちゃんの相手はしてくれません。
つまんないなあと思っていたら、サーちゃんが話しかけてきました。
「トンちゃん、今度の日曜日、お父さんたちも一緒にお山のお寺にピクニックに行こうか」
なんと、ピクニックのお誘いでした。
トンちゃんは、おじさんも大好き。
お父さんとおじさんも一緒ならきっと楽しいと思ったので「賛成!」と元気よく手をあげました。

日曜日が来ました。
サーちゃん一家がやってきました。
トンちゃんの家族3人とサーちゃんの家族4人、総勢7人でお山のお寺に向かいます。
お山のお寺には、年齢不詳のおじいさんが一人で暮らしています。お寺に住んでいるけどお坊さんではないそうです。うわさでは100歳を超えているとか。でも、とても元気で もっともっと若く見えます。おじいさんはずっと昔から住んでいるのに、町の人はだれもおじいさんの名前を知りません。なので、皆は勝手に「おやまのじじさま」と呼んでいます。
そのお山のお寺にはとても広いお庭があって、そこには木で作った遊具があちこちにあります。ちょっとしたフィールドアスレチックの雰囲気を楽しめるので、お休みの日は子どもをつれた家族でにぎわいます。
トンちゃんたちは朝早くに出発したので、お寺に到着した時はまだ誰も来ていませんでした。
さっそく木陰にシートを広げて、荷物を置いて準備を整えると、「ちょっと行ってくるわね」とお母さんはサーちゃんとどこかに行ってしまいました。
子どもたち3人とお父さんとおじさんの5人は遊びながら、ママたちの帰りを待ちます。

お母さんたちは、どこに行ったかというと、おやまのじじさまのところでした。
サーちゃんが子育てに悩んでいて、その相談が目的のピクニックだったのです。

さて、お庭でお留守番のトンちゃんたちの様子を少しのぞいてみましょう。
5人は鬼ごっこを始めました。最初は楽しそうに遊んでいましたが、ノンちゃんがタッチされて鬼になると、ノンちゃんは「鬼になるのは嫌!」と泣き出しました。
そして、タッチしたトンちゃんに砂を投げつけました。
おじさんは、ノンちゃんに「こらっ!そんなことをしてはダメじゃないか。トンちゃんに謝りなさい!」と言いましたが、ノンちゃんは謝りません。
ひとしきり遊んだあと、お父さんが皆にお菓子を配りました。ノンちゃんとカンちゃんはありがとうも言わずに、ひったくるようにお菓子を取って好きな場所でボリボリ食べています。
おじさんがお父さんに「しつけが悪くて申し訳ない」と謝っていましたが、トンちゃんは何か違う気がしました。きっとお隣のお兄さんだったら、ビシッと怒るだろうなあと。

お父さんたちのそばでお菓子を食べていると、おじさんはお父さんにサーちゃんが今とても悩んでいるという話をはじめました。
サーちゃんがしょっちゅうウチに遊びに来ていたのは、子育てに悩んでお母さんに相談に来ていたのだそうです。
トンちゃんはおとなの話を盗み聞ぎするのは良くないと思いましたが、気になるのでお菓子を食べながら、ずっと聞き耳を立てていました。
サーちゃんにはママ友という人がいるそうです。
そのママ友が、サーちゃんが子どもを叱ると、「親が子どもに、そんなことをしてはダメだとか、こうしなさいと指図するのは子どものどくそうせい(独創性)をつむからダメだ」と言うのだそうです。
ほかのママ友から「子どもが欲しがっているなら気持ちよくあげればいいのに、なぜあげないの」と言われたこともあって、サーちゃんは何が正しいしつけなのか分からなくなってしまったそうです。

トンちゃんには、しつけのことはよく分からないけど、トンちゃんが悪いことをすればお母さんに叱られるのに、ノンちゃんやカンちゃんは叱られないことがちょっぴり不満だったので、サーちゃんがそれで良いと思っているのではないと知って、トンちゃんはちょっぴり嬉しい気持ちになりました。
だけど悪いことは悪いのに、なぜ悪いと言えないのか、それはいくら考えても、トンちゃんには分かりませんでした。

ちょうどその頃、サーちゃんはおやまのじじさまに悩みを打ち明けていました。
サーちゃんの話を聞き終えたじじさまは「人間は難しいのう」とボソリとつぶやきました。
そして「正しいしつけなんぞ誰にも分からん、それをなぜワシに聞くのかのう?」と2人に聞きました。
トンちゃんのお母さんが答えました。
「じじさまの話には、きっとヒントがあると思ったからです」
「ワシは、あんたらの社会になじめず山にこもった落ちこぼれなのじゃがのう」
「そんなことはありません。じじさまに助けられたという人はたくさんいます。サユはほんとに悩んでいて私も何が正しいのか分からなくなってしまいました。ぜひ、じじさまの意見が聞きたいのです。どうかお願いします」

じじさまは、しばらく黙って2人の顔を交互に見つめて、そしてゆっくり諭すように話し始めました。
「何が正しいかなんて誰にも分からん。正解は無いんじゃ。親が子に教える務めがあるとすれば、それは子どもに自分の力で生きて行く力を身に着けさすことだけじゃ。世界は広い、住む場所が違えばルールも考え方も異なる」
じじさまは言葉を切り、2人の顔を交互に見て、またゆっくりと話し出した。
「じゃから、ワシがこうしなさいと言えるものではないんじゃ。育てるのは親じゃからの、親が考えるしかないんじゃよ。サユさんは自分の子どもにどんなふうになって欲しいのかの? このまま子どもたちが大人になった時、社会でうまくやっていけると思うのかの? 自分の子どもの将来を想像してみれば、おのずとどうすれば良いかは見えてくると思うがのう」

サーちゃんは考え込んでしまいました。
なのでサーちゃんのかわりにトンちゃんのお母さんが質問しました。
「子どものためと思って叱っても言うことを聞かない子はどうしたら良いのですか」
じじさまは、笑い出しました。
「なるほどの、そこか」

「ところで、お二人は子どもと親では、どちらが偉いと思っておるのかの?」
2人は「えっ」と顔を見合わせ、「親ではないのですか?」と聞きました。
「どっちも一緒じゃ。子は何も知らずに生まれてくるが、親もはじめて育てるのじゃから、お互い初心者同士じゃ。最初から言うことを聞く子なぞおらんし、はじめての子育てで何もかも分かっている親もおらん。親も子を育てながら手探りで学ぶのじゃから悩んで当たり前じゃ。親だから偉いわけではなく、役割が違うだけじゃ」

思い詰めた顔で黙り込んでいたサーちゃんが、口を開きました。
「じじさま、私は自分が具体的にどうすべきなのかが分かりません。ほかのママさんの話を聞いているうちに、子どもに何を教えればいいのか、どういうふうに接すればいいのか分からなくなってしまいました。いったい私は何をどう教えれば良いのでしょう」
じじさまは、しばらくサーちゃんの顔を見つめていました。
「ふぅむ、サユさん、分からぬか?」
「はい」
「迷路に迷い込んだかのう・・・」
そう言って、じじさまは少しの間、目を瞑って黙っていました。
「ならばワシの自論を話すかの。その前に、決して忘れてはいけないことを言っておく。子どもは皆違うということじゃ、これはぜったい忘れてはならぬ。それぞれ個性があり、その子の良さがある。ある子どもにとって有益なアドバイスが、別の子には有害な場合もある。親は常に自分の子どもをしっかり見つめておらねばならない。子育てで疲れている親は、子どもの悪い所ばかりが目につくことが多い。いや、自分にとって都合の悪い事ばかり目につくという方が正しいかの。悪い所を直すことばかり考えていると子を叱ってばかりになる。叱られてばかりの子の心はゆがむ。その子の良い所を褒める事も忘れてはならぬ。特に小さな子どもには善悪など分からん。褒められたら嬉しいから褒められることをする、叱られるのは嫌だから叱られることをしなくなる。なぜ叱られ、なぜ褒められるのか、その理屈は脳が発達するにつれて自然に理解するじゃろう。親はその時が来るまで、面倒でも根気よく繰り返し教えることじゃ。
一番してはいけないことは、よその子や兄弟と比較することじゃ。良い場合も悪い場合も比較して褒めたり叱ったりしてはいけない。そして、親自身も欠点だらけじゃから、子と一緒に常に我が身を振り返ることも大事じゃ。まずは、親自身が正しくあらねば、しつけなぞできん。そのことを忘れている親が最近は多いようじゃがの」
じじさまの話は続きます。
「子に教えたいことはきっと山ほど出てくるじゃろう。良い子に育って欲しい、勉強が出来る子になって欲しい、立派に育って欲しい。親に欲があればそれだけ教えたいことが増える。じゃが、これはしつけではない。親の願望じゃ。
しつけと言っても人によってその捉え方はさまざまじゃ、しつけに関して書かれた本は山ほどあるが、人に聞いたり、本を読んだりしても、親自身がしつけを身に着けておらねば、多くの情報に却って頭が混乱するだけになるじゃろう。
だから、サユさんが実行するのは1つだけじゃ。
ほんとうのあいさつができる子に育てることじゃ。
サユさんのお子は「こんにちは」や「いただきます」「ありがとう」を言えないと言っておったの。それなら、なおさらあいさつからじゃ。
あいさつは人間社会で生きて行くための基本じゃ。どの国でもあいさつはある。互いの警戒心を解くためには必要じゃ。あいさつをしない人と出会った時、どんな気分になるか思い出してみれば、あいさつがいかに大切なことか分かるじゃろう」
そう言って、じじさまは目の前の湯飲みをゆっくり手に取り、お茶をすすりました。

話が途切れたので、トンちゃんのお母さんが質問をしました。
「もし、親があいさつできない人だったらどうすればいいのですか?」
「子と一緒に学べばよろしい」

「声が出せない子どもの場合は、どうすればいいのでしょう?」
「あいさつは心じゃ。声が出せなくてもあいさつはできる。「ありがとう」や「いただきます」「ごちこうさま」は感謝じゃし、「ごめんなさい」は謝罪、「はじめまして」にはあなたと親しくなりたいという思いがこもっておるかもしれんし、「おはよう」には今日も気持ちよく過ごしましょうという思いがこもっておるかもしれない。いろいろな思いがこもって、はじめて“あいさつ”は生きたあいさつになるのじゃ。
じゃから、声が出せなければ会釈でも良いし、会釈もできなければ表情で伝えても構わん。気持ちを相手に伝えるのがあいさつじゃからな。ワシはそう思うておる。
あいさつの意味を親も一度考えてみる必要があるかもしれんのう」

じじさまの話は続きます。
「心のこもったあいさつ、これを教えることを心がければ、あいさつを通していろいろなことを子どもに教えることができる。
毎日親が使っているあいさつ、そこに心がこもっていれば、おのずとその心は子に伝わっていくものじゃ。たとえば、昔の人は米一粒にも感謝しておった。もし親が「いただきます」に作物を作った人、料理を作った人への感謝の気持ちを込めて使っていたなら、その心も子に受け継がれる。単に、おいしくいただきましょうねという気持ちで使うなら、その心が子に受け継がれる。親が単なる食べる合図として「いただきます」を使っていたなら、子も単なる手順で言うだけになるじゃろう。
こうであらねばならないというのはないからの、一度考えてみなされ」

「そして、あいさつを教えて行く中で、サユさんに意識してほしいことがある。それは、“他人の痛みや気持ちが分かる子”に育てて欲しいということじゃ。
相手の気持ちを考える力が無ければ、いつまでも自分の基準でしかものを考えられない視野の狭い人間になる。小さな子は自分が叩かれたら痛いと分かるが、ほかの子が叩かれても自分は痛くないから相手が痛いとは考えない。子どもが残酷なのは他者の痛みが分からないからじゃ。それは誰かが教えてやらねばならぬ。
この、人の気持ちを思いやれる能力が身に着けば、あとは自分を取り巻く環境を通して子は自ら学び成長していける。そして、その力があれば、大人になってもずっと成長し続けることができるじゃろう。そしてこれは、仕事にも大いに役立つ。
じゃから、しつけとは、最終的には他人の気持ちを考えることができる力を身に着けることじゃとワシは思っておる」と言って、じじさまは、手に持ったままの湯飲みのお茶を飲みました。
「ワシの話は以上じゃよ」

サーちゃんは、慌てました。
じじさまの言うことは理解できたものの、自分が具体的にどうしたら良いのかはサーちゃんにはまだ分からなかったからです。
慌てて、じじさまに聞き返します。
「じじさま、私はあいさつをする時、そこまで考えていませんでした。だから、心を伝えるのがとても難しいと思いました。他人の気持ちを考えることをどうやって教えていけばいいのでしょうか」
サーちゃんは必死です。

「たとえが分かりにくかったかのう」と、手に持ったお湯呑みを置きながら、じじさまはまた話し始めました。
「たとえば、サユさん、今、目の前にある湯飲みをひっくり返してお茶をこぼしてしまったらサユさんはどうするかの」
「すみませんと言って、慌てて拭きます」
「そうじゃの、「すみません」や「ごめんなさい」が自然に口をついて出てくるのう。その「ごめんなさい」には感情は入っておらんかの?」と、じじさまは聞き返しました。
サーちゃんは自分の心を探るように考えて、「申し訳なくて、どうしようという気持ちがあります」と答えました。
「何に対して、どうして申し訳ないと思うのかの?」じじさまが聞き返します。
「じじさまに対して、じじさまの大事な畳を汚してしまったことを申し訳ないと思います」とサーちゃんは答えました。

「ふむ、サユさん、もう1つ。もしノンちゃんがお友達のオモチャを横取りして、横取りされた子が怒ってノンちゃんを突き飛ばしたとしよう。ノンちゃんは痛いと大泣きしておる。サユさんはどっちが悪いと思うかの? そしてサユさん自身はどうしたいかの?」
「私は、2人とも悪いと思います。そしてどうしたいか・・・」サユさんは少し考えて答えました。
「2人がお互いに「ごめんなさい」をして、仲直りしてほしいと思います」
「ふむ、もしノンちゃんが私は悪くないと言って謝らなかったら、サユさんどうする?」
すると、サユさんは黙り込んでしまいました。
「ハハハハ、サユさん、難しいかの? では、サユさんがノンちゃんならどうじゃ?」
「私がノンなら・・・、お友達のおもちゃを横取りすることがいけないと分かれば謝ります」
「なぜ、いけないことだと思うのかの?」
サユさんは自分の心を探るように考えて、「それは・・・横取りされたら私だったら悲しいし、同じようにお友達も悲しいだろうと思うからです」と答えました。そう言ってから、サユさんは「あっ」と何かに気付いたようです。
「分かったようじゃの。サユさんの「ごめんなさい」にはちゃんと心が入っておるし、「ごめんなさい」の場面で何が「ごめんなさい」なのかも、サユさんはもう知っておるのう。それを伝えてあげればいいだけじゃよ。難しく考える必要はない。サユさんはサユさんが正しいと思うことを伝えれば大丈夫じゃ。あいさつを通してルールも、我慢することも、反省することや相手を思いやることも教える事ができる。あいさつは便利じゃぞ。
子に反抗されることもあるじゃろうが、そこは根気じゃ。簡単に根負けするのは親の甘えじゃ。がんばりなされ」
じじさまはニッコリ笑って、「まあ、今日はゆっくりしていきなされ。ワシは奥で昼寝じゃ」と言って奥に引っ込んでしまいました。
サーちゃんは、しばらくの間、じじさまの座っていた所を見つめたまま難しい顔で考えていましたが、パッと顔をあげると、吹っ切れた様子で、トンちゃんのお母さんに言いました。
「私、周りの人の意見に振り回されて、何も見えなくなっていたみたい。そうだよね。当たり前のことを当たり前に出来る子になってもらえばいいだけだよね」
サーちゃんの顔は、ここに来るまでとは別人のようにイキイキと自信を取り戻していました。

サーちゃんとお母さんが戻ってきました。
じじさまに会いに行った時は、まだ東にあった太陽は、いつの間にか真上で輝いていて、お庭にはたくさんの家族が遊びに来ていました。
「お母さん、お腹空いたよ」と、トンちゃんは待ちかねたように言いました。

さっそく、みんなでお弁当を広げました。
どれもすごく、美味しそうです。
お弁当を開けた途端、ノンちゃんとカンくんが黙って手を伸ばしてきました。
それを見たサーちゃんが「いけません!」と言って、お弁当のおかずを取ろうとした2人の手を軽くパチンとして、「みんなでいただきますしてからね」と言いました。いつもと違うサーちゃんに2人ともビックリしています。
トンちゃんも、みんなもビックリです。お母さんだけ笑いをこらえていました。
サーちゃんが手を合わせて言いました。
「さあ、みんなで、いただきますをしましょう!」
「ノンちゃんもカンちゃんも、こうやって手を合わせるのよ。じゃあ、いただきます!」
その声に続いて皆も大きな声で「いただきます!」と言ったので、ノンちゃんもつられて「いただきます」と言いました。カンちゃんも皆を真似て「ます!」と元気に言いました。

楽しかったピクニックから1週間後、サーちゃんがノンちゃんとカンちゃんをつれてやってきました。
玄関を開けた途端に、人を押しのけて入ろうとする2人に、サーちゃんは「コラ!まずはあいさつでしょ」と言いました。
ノンちゃんは照れたように大声で「こんにちは!」と叫んで家に上がってきました。よく分かっていないカンちゃんはノンちゃんをまねして大きな声で「ちょんちわ!」と言って上がってきました。
トンちゃんは、2人ともかわいいなと思いました。
(おしまい)

トンちゃんシリーズの第1話は、私の世界観を物語風にしています。
読まれてない方は読んでくださると嬉しいです。
この世のカラクリ(空想物語)「私たちは自分で自分の人生・境遇を選んで生まれてきた」

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