ナンチョーな私の気まぐれ日記

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ナンチョーな私の気まぐれ日記(51)「障害を乗り越える」=Re-start=

昨年、私の中でちょっとした意識の変化がありました。前回の「ナンチョーな私の気まぐれ日記(50)変動の地獄、安定の幸せ」に書いたので、ここでは詳細を書きませんが、変動し続けた聴こえの不安定さが少しマシになったことで、安定さえすれば今より悪化し...
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(50)変動の地獄、安定の幸せ

私は20代の時に、進行性の難聴を発症しました。今は障害者ですが、発症時は軽度で、ゆっくり進行したため、仕事も生活もそのまま健聴者として生きてきました。そのため、障害者の仲間入りをした時も 難聴の知人は1人もおらず、あまりの孤独感から難聴者の...
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(49)挨拶を無視したと誤解される悲しさ

挨拶が苦手という人は多いけれど、私は身体的に苦手です。どういう意味かというと、難聴のため、声で挨拶されても気付けないからです。“声が出せるなら問題ないのでは?”と 思った人もいると思いますが、人間関係は一方通行では成り立ちません。自分から挨...
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(48)親切なようで、残酷な言葉

健聴者が 大して深い意味もなく話すことの中には、難聴当事者が不快だったり、傷ついたりする言葉があります。残酷な言葉は沢山ありますが、今日、取り上げるのは、親切で言っているかもしれないので、言い返しにくい言葉についてです。ちょっと反論しただけ...
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(47)耳の状態で変わる聴こえの変化

健康な耳であれば、ザワザワガヤガヤ騒がしい環境の中でも、相手の話を拾うことができます。そんな健聴者も、電車通過中の橋の下など、激しい騒音下では、声が騒音にかき消されます。今の私は難聴です。20代で難聴を発症し、同時に非常ベル級の大音量の耳鳴...
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(46)障害を受け入れるのは本人より周り?

人生は決して楽ではありません。障害の有無に関わらず、誰もが努力して自分の道を切り拓いていきます。健康でも大変ですが、障害を負うともっと大変になります。障害とは生きるのに必要な機能が極度に足りないか失われているために自力ではどうしようもないこ...
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(45)私が苦痛を感じる聴力検査

大きな音への感じ方は、健聴者と難聴者では異なる。聴こえる人は、大音量に対して 音量が大き過ぎて煩いと感じる。難聴になって音が聴こえにくくなると、聴こえる音量は下がるけど、音量がダウンした分だけ平気になるのかというと、そんな単純なものではない...
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(44)声が・・・・・・

体は使わないと衰える。衰えの速さには年齢も関係しているだろう。私も悲しいかな努力しないと何もかもが重力に負けるお年頃になり、使わない部位は急激に衰えていると感じる。学生時代にスポーツをしていたので、一般的な筋力の低下は20代から感じていたが...
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(43)難聴の人生を振り返る

今年最初のブログです。本年もよろしくお願いします。今年最初のブログは、久々に「ナンチョーな私の気まぐれ日記」です。昨年は、久々に会った人達から「明るくなったね」と言われました。変化した自覚のなかった私は改めて自分を見つめると、確かに私の心は...
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(42)優しさって何だろう

世の中には様々な人がいます。冷たい人もいれば、優しい人もいます。学生の頃、本当の優しさとは何だろう?と考えたことがあります。上辺だけ優しい人が多いなと感じたからでした。逆に、普段の行動には微塵の優しさも感じられないのに、困った時にさり気なく...
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