進行性難聴の私が思うこと ~予想していた未来とは違っていた~

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からだのエッセイ

からだのエッセイ 第4回

私が難聴を発症したのは20代の時。
その頃は 未来は明るいと信じていた。
その理由は、これから高齢化がどんどん進むので、難聴人口も一気に増えるはず。だからきっと便利な商品やアイデアが次々に出てくるだろうと期待したのである。
ところが現実は、人口が多い団塊世代が高齢者の仲間入りをしても、聴覚障害に配慮された世の中に変化することはなかった。
それもそのはず、高齢者は耳だけが悪くなるのではなかった。
目も悪くなるし、足腰の他 いろんな所も弱くなる。脳の順応性だって若い時のようにはいかなくなる。何より落胆したのは、高齢による各器官の衰えを感じるのは、難聴よりも老眼の方が先で、圧倒的に目に問題を感じている人の方が多いという事実。難聴者は音声を文字化してもらえると大変有りがたいのだが、高齢者を対象に考えるとこの音声の文字化だけはあまり期待できそうにないということになる。これはとてもガッカリである。

とはいえ、時代の流れで、メールやインターネット情報などに助けられ、音声以外のコミュニケーション手段も増えたことで昔ほど孤独を感じることは少なくなったと思う。
それに、便利なアプリもいろいろ登場して、私などはスマホの翻訳アプリを どうしても聞き取れない言葉がある時に筆談代わりに利用するなど、一般の便利品を難聴グッズとして便利に使わせていただいている。
使い方は限定的とはいえ、少しでも便利になるのは有りがたいことである。

一般の便利品が 難聴者の便利品にも繋がるということは、視点を変えれば障害者に便利なものが健聴者に便利だということもたくさんあると思う。例えば、失聴者は音の目覚まし時計が使えないのでバイブの目覚まし時計を利用している人も多いが、これは周りを起こさず静かに起きたい健常者にとっても便利。また聴覚障害者用の筆談ボードをホワイトボード代わりにMEMOや家族への伝達に使うこともできる。ホワイトボードと違ってワンタッチで消せるのでこれも便利である。
こういうことはたくさんあると思うので、様々な障害者の視点でいろいろ開発したら、思わぬ便利さや快適さが生まれるかもしれず、そこには障害者以外の需要も結構あったりするのではないかと思う。

個人的には、私は聴覚障害者なので、音声情報が視覚や触覚など別の感覚器官に変換されると、人の手助け無しに 自力で出来ることが格段に増えるので、そうなればとても嬉しい。特に人と会話ができないのは、仕事をする上でも大変不便なので、人並みの聴こえの能力を持った通訳器ができることをひたすら願っている。そうすれば大人数の会議も参加できるし、講習会も参加できるし、ガヤガヤ煩い環境での懇親会や飲み会にも参加できる。
ただ技術的に難しい面もあるので、現時点ではこれは夢物語。でも、いつかは可能になって、安く販売されたら嬉しいなあと思っている。

こんな夢物語は別として、普段の生活の中で困っていることの中には 配慮することが可能なこともたくさんある。そして、その中には一般の人にとって便利になることもある。

そんなこんなで、ほんの少し、要望を書いてみようと思う。

■電車がストップした時などの臨時情報は、構内放送と同時に リアルタイムに電光板や張り紙などの文字情報でも確認できるようにして欲しい。
これはすでに対応している鉄道や駅もあるが、私が毎日利用している2つの鉄道では対応していない。だから電車が止まったり 遅延するたびに、毎回何が起こっているのか確認するのに大変な思いをしている。
朝夕の通勤ラッシュ時に、電車が止まると、駅構内はすごいことになる。
アナウンスが全く聞こえない人にとっては、何が起こっているのかは スマホに情報がアップされない限りさっぱり分からず オロオロすることになる。

構内放送も詳細を話しているわけではないが、それでも人身事故なのか車両故障なのかその程度のことは分かるし、代替輸送を始めた場合は そのことも分かるだろう。
聞こえない人は、音声での情報確認ができないため、まず何が起こっているのかの確認から大変である。特に朝のラッシュ時は会社の始業時間もあるため誰もが必死で、周りの人に筆談をお願いできる状況ではないし、肝心の駅員さんは他の乗客に取り囲まれてパニック状態のため、聞こえない人など相手にする余裕などない。
そんなこんなで 毎回困るのが、電車がストップした時である。

昔、一度 怖い思いをしたことがある。
朝の通勤時に私が乗った地下鉄が、駅に止まったまま動かないのである。
しばらくすると放送があったようで、皆がゾロゾロ降りて行く。何があったのか分からないが、誰もが迷うことなく電車から降りて粛々と移動するので、不安なまま 人の流れについて行ったら、駅構内で火事が発生したための避難移動だった。
皆は、放送の指示に従って動いていたらしい。
聞こえない私は、後でそのことを知ってゾッとした
この時は皆が同じ方向に移動したのでついて行くことができたが、もしも一斉に二手に分かれたり、バラバラに移動されたら立ちすくむしかない。
恐ろしいことだと思った。

聞こえない人の不便というのは、単に「音が聞こえない」ということだけではない。情報が何も流れていないということも分からないのである。
聞こえる人は、今のところ全くアナウンスがないということが分かる。また、何か言っているが この場所では聞き取れないから聞き取れる場所に移動しようという判断もできる。
聞こえない人は 情報が流れているのか流れていないのかさえ分からないので、「今、何て言いましたか?」と人に訊くこともできないのである。周りが分かっているのに 自分だけが分かっていないということが、これほど不安なものなのかと、聴力を失ってみて初めて知った

■ビルの避難訓練は、障害者置いてけぼり。緊急を知らせる非常ベルも館内放送も聴覚障害者には聞こえないので逃げ遅れること間違いなし。
勤務先のビルでは定期的に火災の避難訓練が実施される。
避難訓練は前もってメールで日時の通達があるので 毎回参加している。
但し、館内放送が流れるらしいが、小さ過ぎるのか私には全く聞こえない
先日の避難訓練では、私は避難訓練があることを忘れていて、避難の時刻になっても放送や非常ベルに気付かず、パソコン画面に向かって仕事を続けていた。ふと顔を上げると電話番に残っている数名しか人がいない。
本当の火事だったら私はどうなっているのだろうとゾッとした

■聴覚障害者だと分かっているのに、なぜ放送で呼び出すのだろう。
昨年、難聴で 大きな病院を受診した時のこと。
耳鼻科の前にはたくさんの人がいて、長時間待たされる。
呼び出しは放送だった。
放送で名前を呼ばれても分からないので、耳鼻科の受付の人に「聞こえないので呼ばれたら教えて欲しい」と頼んだが、大きい病院は患者が多いせいか頼んでも無視される。
だから、放送があるたび 他の人が動くかどうかを目で確認し続け、誰も反応がなければ呼ばれたかを受け付けの人に聞きに行くことを繰り返さねばならず、疲労感は半端ない。
難聴で耳鼻科を受診しているのに、なぜカルテに感音難聴と書かれた患者を放送で呼び出すのか、こればかりは不思議で仕方ない。
病院は体が悪いから行くところ
なのに、障害や病気に配慮しないので、一番行くのが苦手なところ。
「これってどうなの?」と、毎回思う。

■だんだん不便になっていく。電話の自動アナウンスによる番号選択制。
最近は、企業や行政機関への問い合わせは、電話による自動アナウンスで番号を何回も選ばなければ繋がらないところが増えた。
今よりも耳が良かった時でも、感音難聴は言葉を正確に聞き取れないので、推測することができない番号や名称を聞き取るのは非常に困難だった。
しかも、番号案内は自動なので、聞き取れない音を全く同じ音でしか聞くことができないので永遠に聞き取れない。
涙が出るほど、何回も 何回も 何回も 何回も 繰り返し聞いて頑張るのだが、それでも間違った部署を選んでしまうことがある
数時間後にやっと繋がったのに、「部署が違うのでかけ直してください」と電話を切られてしまった時などは涙である。自動音声の番号案内はほんとに地獄である。
電話以外にメールでの問い合わせを受け付けている企業や組織は良いのだが、問い合わせは電話のみで、メール対応をしていない所も多い。そうなると 聴こえない人はお手上げである。
これは言葉を話せない人もきっと困っていると思う。

因みに「困った」をよく聞くのは学校や幼稚園・保育所などへの連絡。連絡は基本的に電話の所が多く、聞こえない親への配慮はメールよりもFAXになることが多いようだ。ところが、いざFAXで子どもを休ませると連絡を入れても放置状態で担任に連絡が届かないということも結構あるらしい。今時パソコンが1台も無い学校や施設があるとは考えにくい。なぜ障害を持つ親にメール対応してあげないのだろう。学校や幼稚園・保育所で、障害者に配慮できない所があるというのは、いろいろな意味で問題だと思う。

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■対応可能なことは、対応してもらえると大変有りがたい。

【電車のストップや遅延情報の文字化】
電車のトラブルは電光板や目立つところに張り紙するなど、文字での伝達も放送と同時にするようにしてもらえたら有りがたい。何かあった時、構内放送は聞き取りにくいことが多いため、放送が聞き取れなかった人が駅員さんを取り囲んでいるケースも多いように思う。高齢化が進んでいる今の状況を考えれば聞き取れない人口はもっと増える。文字情報を同時に伝えることで駅員さんを取り囲む人の量は何%かでも減るので鉄道側にとってもメリットはあると思う。もちろん聞こえている人にとっても聞き逃した放送を再度待つ必要がなくなるなど、情報収集方法が増えれば便利になると思う。

【緊急時の警報は「光」で知らせて欲しい】
ビル火災など、緊急を知らせる時の警報は、音だけでなく、光を使うなどして、聴こえない人にも警報が分かるように工夫して欲しい。これは切なお願い。

【聴覚障害者は、音声呼び出しが聴こえないのだということに気付いて欲しい】
病院は、聴覚障害者の呼び出しに、音声以外の呼び出しをするようにお願いしたい。
全ての施設や店舗に配慮があればすごく嬉しいが、特に病院は病んでいる人が行く場所。今の状態だと治すどころか神経をすり減らす場所になっている。
最近は受診の順番を電光板で表示して、待ち人数がどれぐらいか分かるようにしている病院もある。あれだと電光板を見つめていれば、取りあえず 呼ばれたことが分かるので助かる。健聴者にとっても待ち時間が予測できるし、席を外している間に呼ばれて気付かなかったということも避けられるので聴覚障害者以外の人にとっても便利になる。
大きい病院では設置していても作動させていない場合があるので、システム的に取り入れにくい要因があるのかもしれないが、耳が聴こえない人を音声アナウンスで 呼び出すのだけは止めて欲しい

【電話対応のみでなく、メールやFAXなど音声以外の手段も可能に】
企業や施設、行政機関への電話の問い合わせは、自動音声アナウンスによる番号選択のところが増えているが、自動音声アナウンスによる番号選択は感音難聴者には厳しい。
間違った部署にかけてしまった時は、かけ直させるのではなく、そこから適切な部署に繋げてもらえると有りがたい
また、現在メールでの問い合わせを受けない企業や団体、公的機関、教育・保育施設等にお願いしたい。
メール対応は大変なのかもしれないが、電話は聴こえない人や、言葉を話せない人は使えないので、メールなど、音声以外での問い合わせもできるようにお願いしたい。
特に役所など公的機関は、歩けない人や目が見えない人を何度も来訪させるなど、他の障害者に対しても 融通が利かない対応をしている話はよく耳にする。
特別扱いはできないということなのかもしれないが、健常者と同じことができない体になってしまった障害者や病人に困難なことを何度も求めるのは、国民のための公的機関の姿勢としてどうなのだろう。もう少し、弱者の現実に目を向けて欲しいと思う。

最後は不平不満になってしまったけれど、世界の先進国の中には、障害者や高齢者に配慮した国もあり、そういう国は子育てに対する配慮も行き届いていることが多い。要は国がどれだけ人を大切に思うかの視点の違いが国民の暮らしやすさに繋がっていると思う。

日本も万人に優しい国として、世界に誇れる国になってくれたら嬉しい。
今は、まだまだでも、一歩ずつ前進すればいつかは変わると信じて、ちょっとだけ要望を書いてみました。

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