[ひとりごと6]
今のタイミングで宗教と言い出すと、昨今世間を賑わせている宗教団体の話だと思われそうですが、特定の宗教の話ではなく、一般的な話です。
私には昔から疑問に思っていたことがあります。
それは「宗教法人」という法人格への疑問です。
宗教法人は、自治体や国が認可したというだけでなく、税の優遇を受けられるなどの特典があります。
なのに、認可は甘いみたいだし、そこに問題を感じるので、ちょっと意見を述べてみたいと思います。
■宗教法人の定義
文化庁のHPで「宗教法人」とは何かを確認してみると、以下のように記載されていました。
宗教法人は,教義をひろめ,儀式行事を行い,及び信者を教化育成することを主たる目的とする団体,つまり「宗教団体」が都道府県知事若しくは文部科学大臣の認証を経て法人格を取得したものです。
文化庁HP
宗教法人には,神社,寺院,教会などのように礼拝の施設を備える「単位宗教法人」と,宗派,教派,教団のように神社,寺院,教会などを傘下に持つ「包括宗教法人」があります。単位宗教法人のうち包括宗教法人の傘下にある宗教法人を「被包括宗教法人」,傘下にないものを「単立宗教法人」といいます。
宗教に関心が薄い者からすると、『教義をひろめ,儀式行事を行い,及び信者を教化育成することを主たる目的とする団体』という文面が、洗脳目的の活動を許しているようにも見えて、ちょっと怖い気分になります。
■宗教法人の認可基準は厳しくすべき
あくまで私個人の考えですが、新興宗教の認可基準は厳しくすべきだと思っています。
教団によっては、教義を広めたり教化育成する過程で洗脳レベルのことをしている所もあり、過去に明らかな洗脳行為が問題になった教団もありました。
ちなみに、宗教法人にするメリットは、国から宗教だとお墨付きをもらうだけでなく、いろんなものが非課税になる税制面での大きなメリットがあります。
儲けたい人にとっては宗教を隠れ蓑に大儲けを企むこともできるわけで、税などの優遇措置があるならば、なおさら認可は厳しくすべきです。
一方で優遇してもいいよと思う宗教施設もあります。
昔からあって国土に根付いているお寺や神社です。
この中には少額のお布施や献金で細々とやっている所も少なくありません。
建物の修理も出来なくて困っている所も多いので、そこから税金を取ろうとは思いません。
個人的には、宗教を守るのではなく、伝統を守るという意識になりますが、地域や住民の日常に溶け込んでいるお寺や神社は大事にしたいという思いは私にもあります。
この視点で見ると、新興宗教には伝統が無いので守るという意識はありません。
そもそも宗教に関心が薄い者にとっては、なぜ”教義”が税の優遇を受けられるのか全く不思議です。
宗教によって考えに違いがあるように、極端な言い方をすれば 教義とは人が勝手に作った主張です。それに対して税を優遇する必要があるのかと疑問に思うのです。
そんな疑問があるのに、そこに被害者を出すような団体まで混じってくると、制度自体が基本的に間違っているのではないかとさえ思ってしまいます。
認可基準を厳しくするか、厳しく出来ないのであれば、税金の優遇は撤廃すべきでしょう。
宗教関係者にとってはキツイことを書きました。
だけど人は宗教が無くても生きて行けるけど、食べる物が無ければ生きて行けません。
明日の食べ物にも困っている人が消費税を払っているのに、宗教なら多額な献金を受けても非課税というのはちょっと納得しにくいです。
ただ、宗教法人もいろいろです。
真に人の心の支えとなり、檀家や信者だけでなく、地域や困った人のために活動している宗教法人もあります。
反対に非課税に甘えてお金を溜めこんでいる宗教法人もあります。
前者は守りたいし、後者は優遇の必要を感じません。
だけど、実際に良し悪しを選別するのは とても難しいことです。
伝統性を基準とする方法もありますが、新旧だけで優遇を決めるとこれも問題です。
歴史があっても今の運営者が金亡者になっている所もあれば、新興宗教でも健全な所はあります。
ちなみに教義が正しいかどうかは、教義内容を読んだところで誰も判断はできません。
そもそも現代の宗教団体による問題は、教義内容よりも、信者獲得や献金集め、また信者の教化育成などの『活動』の方で被害報告が出ることが多いです。
どうすれば問題を減らせるのでしょう。
今の制度も 宗教法人を立ち上げたいと思ったら 直ぐに設立できるわけではありません。
設立要件には最低3年以上の運営実績が必要となっています。
だけど、善悪を見分ける基準はありません。
なので、健全性をチェックするしくみを取り入れる必要があると思います。
健全性をチェックするとなると、何十年、何百年の長い期間の活動を見る必要があります。
そうなると、運営期間が短い新興宗教は不利なように思えますが、活動自体が制限されるわけではないので問題はないと思います。
とはいえ、制度的に何百年というのは厳しいので、例えば最低でも申請から10年以上、何のトラブルも起こさず、健全に運営できていることを国の調査機関が確認できた時、はじめて宗教法人への権利を得れるなどの仕組みが必要だと思います。
なかなか難しい点もありますが、被害の相談窓口や弁護士などへの被害相談の有無をチェックできるしくみは作れなくはないので、ぜひ実行して欲しいと思います。
もちろん認可後の定期チェックも取り入れるべきでしょう。
税金を優遇するのですから、ここは厳しくすべきだと思います。
いずれにしても、国の認可があるから信用して騙されるという人もいますから、もう少し国は責任意識を持って取り組んで欲しいものです。
■マインドコントロール(洗脳)
宗教の話ではありませんが、過去に洗脳されて行く友人を見たことがあるので、注意しましょうという意味で洗脳について少し触れたいと思います。
ここからは丁寧語を止めます。
昔の話だが、私が勤めた会社の中に、若い人ばかりを集めた会社がある。
その会社は、希望部署への配属の前にまずは営業を知ることが大事とのもっともな理屈で、新入社員は全員営業に回していた。
新入社員は同年代が多かったので、直ぐに友達になり、仕事は過酷だけど楽しくもあった。
指導はかなり厳しく、営業のやり方も違反ギリギリの方法を教えられた。
最初はおかしいと思っている人が多かったのに、徐々に変化する人が現れた。
朝礼は毎朝必ずあった。
自分達の行動の正当性をもっともらしく説得するような話、更に人の欲望を煽るような話、最後に全員で同じ文章を大声で読ませるなどを繰り返す感じの流れだったが、これを繰り返している内に、会社の考えに染まって行く人がポツリポツリと現れ始めた。
私も周りと同じように思考を誘導された。
私の場合は先に洗脳されて行く友達の姿を見て正気に引き戻される感じで、心は中間的なところに留まっていた。
その時に感じたのは、洗脳のコツは、”正当化の話法”と”集団の熱”にあるのかもしれないということだった。
自分達の行為を正当化する話を 毎日毎日 内容を変えては聞かされている内に、「そうだな」と納得することが増えてくる。
「そうだな」と思うことが増えるに連れて、後ろめたい自分の行動を正当化する心の働きが強まって来る。
会社の無理難題に対しても、不平を言う自分が弱いのかなと思うようになる。
振り返ると、私も半分は取り込まれた状態だったのだろうと思う。
ただ、これだけでは、なかなか元ある理性は飛ばない。
その元ある理性を吹っ飛ばすのに利用されたのが、大声だと思う。
狭い空間の中、全員に同じことを一斉に言わせると、場に熱気が生まれ、妙な気分になる。
一種の興奮状態なのだろうと思う。
意識を1つの方向に向かわせてから最後に大声で締める場合もあれば、逆に大声を出させた後に意識を高める話をすることもある。
誘導する側は巧みである。
興奮しやすい性格の人ほど、洗脳されるのは早かったと思う。
単純で素直な人も早かった。
一旦、洗脳されてしまうと、会社に対して否定的な事を言うと怒り出すので、そういう人とは友達の縁が切れた。
朝礼で大声を出して気合を入れた後の彼らの目は、今 思えばちょっと異常だったかもしれない。
脳が興奮しすぎると、まともな思考が働かなくなる。
一番身近な例は、恋愛かもしれない。
恋は盲目と言うが、恋をして相手に熱中すると、その人の欠点さえも愛おしくなる。
その人の言う事は全て正しいと思いたくなる。
脳が興奮すると、冷静な判断がしにくいということだ。
■人は騙されやすい
人を説得する仕事をしている人ならば感じたことがあると思うが、“人は自分の悩みに触れて説得される”と、とても弱い。
悩んでいるという状態は、未解決問題を抱えているという状態である。
自分の悩みの解決策を考えるのは楽しくないし、エネルギーも要る。
今すぐ解決が必要な場合は人を頼ってでも解決に動くが、大したことないレベルなら放置することも多い。
なので、放置できるレベルも含めれば、1つも悩みが無いという大人は多分いないと思う。
世の中にはセールスの上手な人がいる。
そういう人は、相手がどんなことに悩んでいるかを探り出すのがとても上手い。
そこさえ分かれば、商品の有効性を伝えるのはそう難しいことではない。
悩みを利用したセールストークは驚くほど効果を発揮する。
第三者から見ると、なぜこんな見え見えの詐欺に引っかかるのかというのも同じ。
一旦、心をかき乱されると、冷静な判断がしにくくなる。
不安を煽れば、おかしいと思いながらも不安の方が勝ってしまって、気付けば相手のペースに巻き込まれて騙されてしまう。
これは欲も同じ。
人はお得感に弱いので、「今だけ」とか「ここだけの話」とか「あなただけ特別」などと聞くと、それならと飛びついてしまう人は少なくない。
人は基本的に、不安に弱く、欲深い生き物なのだ。
悪徳な宗教の場合も、心の隙を狙ってくる。
心が弱っている人や、すぐに人を信じてしまう素直な人は用心しよう。
会場に人を集めて皆に大声を出させるような集会は、勧誘や高額商品の販売などでよく使う方法だが、この手法を宗教団体が使っていたら、大丈夫かな?と一度疑ってみて欲しい。
そもそも宗教に熱狂は必要ない。
宗教の中には、一旦信者になると脱退が難しい宗教団体もある。
大学の友人は軽い気持ちで ある宗教団体に入ったが、思ったのと違うからと脱退しようとしたら、信者による集団の嫌がらせにあって抜けられず、ズルズル籍を置いていた。
何を信じようとその人の自由だが、他人の自由を奪うことは許されない。
例え家族でも、人の自由を奪うのは違法。
悲しいかな勧誘活動が活発な新興宗教にはトラブルも多い。
人は気を付けていても弱っている時には騙されやすいもの。
国の認可があるために油断する人もいるだろう。
それだけに、国は早急に宗教法人の認可制度を見直して欲しいと思う。
=最後に=
宗教関係者の方の中には気分を悪くされた方もおられると思います。
宗教団体の多くは、真っ当な活動をされていますから。
だけど非常識な活動をする団体が混じっているのも事実。
宗教の自由と、国の認可は別物です。
悪用されないためにも、そして宗教法人の信頼を高めるためにも、宗教法人の認可には 実際の活動によるトラブルを精査するしくみを取り入れる必要があると思うのです。