ちょっと息抜きに、赤ちゃんの時の記憶の話を書きます。
「赤ちゃんの時の記憶ある?」と聞くと、ほとんどの人が「無い」と答えます。
小学生の子ども達に聞いても「覚えてない」と言う子どもが大半です。
これは「幼児期健忘」といって、覚えていなくて当たり前で、たいていの人は物心がつく(一般に3歳頃)以前の記憶は忘れてしまうのです。
記憶を忘れるといっても、忘れるのは自分がどこで何をしたかというようなエピソード記憶です。それ以外の事は毎日いろいろ蓄積しています。
何せ 赤ちゃんは何も知らずに生まれてきて、生まれた途端に大量の情報に晒されるのですから覚えることだらけ。赤ちゃんの脳は大忙しです。
しかも、体の操作方法まで覚えねばならないのですから大変です。動きは体が記憶するとはいえ、脳と上手く連携が取れなければ体を自在に動かすことはできないので、脳も一所懸命学習します。
1~2歳頃より言葉を発するようになりますが、これも外部からの刺激による蓄積があるから話せるようになります。
赤ちゃんは、エピソードとして覚えていなくても、エピソードを通して、それ以上のたくさんのことを吸収しているのです。
少し補足すると「幼児期健忘」がなぜ起こるのかについては 複数の説があります。赤ちゃんの脳の発達(脳内の活動状況)が大きく関わっているのは確かですが、どれも仮説の域を抜けていないそうです。
例えば、『乳幼児期は、まだ 学習能力が未熟なため、記憶を固着させることができず 忘れてしまう』という考えがあります。これは何となく分かる気がします。
それから、割りと多くの人が語っているのは脳細胞や神経ネットワークの発達の問題です。例えば『エピソード記憶を形成して貯蔵しているのは脳の海馬という所ですが、赤ちゃんの時は新たなニューロンの生成がとても活発で それが影響する』そうです。『新たな神経ネットワークが次々出来て 再構成を繰り返すうちに、古い記憶にアクセスできなくなる』のです。
とても興味深いです。
だけど、今日は息抜きに書いているので、難しい話は抜きに、赤ちゃんの記憶の話をしたいと思います。
■赤ちゃんの記憶
私には1つだけ、赤ちゃんの時の記憶と思われるものがあります。
正直なところ、赤ちゃんの記憶として覚えているわけではありません。いつの記憶なのかさっぱり分からないので、記憶の内容と事実を照合したら、赤ちゃんの時らしいという結論に至ったというだけです。
赤ちゃんの記憶は、たいていの場合、意味のなさそうな断片記憶です。だから、ふと思い出しても ほとんど考えられることもなく 忘れ去られてしまうことが多いと思います。個人的には赤ちゃんの記憶を一度は思い出した経験がある人は、意外に多いかもしれないと思っています。
赤ちゃんは、出来事を解釈する知能が未発達なので、当然ストーリー性のある記憶にはなりません。だから、記憶に残るとしても意味のなさそうな断片の記憶になってしまいます。刺激のない意味不明な断片記憶は 繰り返し思い出す可能性が低いので 記憶が強化されることもありません。思い出すことのなくなった記憶はやがては消滅もしくはアクセスできなくなってしまうでしょう。
そういう状況の中で、何気ない断片記憶を残している人は、記憶が気になって 何度も思い出し 考えた人なのかもしれません。
[私の記憶]
私が赤ちゃんの記憶らしきものを思い出し、自分の心に留めたのは、小学校の低学年の頃です。それ以前に 私がこの記憶を思い出すことがあったか無かったかは分かりません。
最初に思い出した時、記憶の場面とともに、何とも言えない物悲しい気持ちになりました。この物悲しさがとても強烈だったので、私はこの記憶にこだわりました。
もう1つ、この記憶には私の興味を喚起する要素がありました。
それは 目がはっきり見えていないらしいのです。目の前の女性の姿も、家の中の様子も、全てが度近眼の視力で見ているように焦点が合っておらず、ぼやっとしています。これを思い出した時の私は視力がとても良かったので、このぼんやりした映像は自分の体験には無かったため 強い印象を残したのでした。
[記憶の内容]
私が思い出した 記憶の内容は、とても単調です。
玄関らしき所に立って話をしている女性を、ほんの少し上の角度から 見つめているというだけのものです。
女性は挨拶しているようにも見えますが、私を抱いている人と話をしているのだろうという感じがします。その光景には悲しさはないのですが、なぜかこの光景とセットで思い出すのは物悲しい感情なのです。
いつ、どこで、何をしていたのか、全ての情報が欠如しているので、当然に思い出した時は これが赤ちゃんの時の記憶だとは思っていませんでした。ただただ感情の記憶と、映像の不鮮明さに 不思議を感じていただけでした。
[記憶の推理]
私がこの記憶を脳に焼き付けてしまった要因は、物悲しさです。
当初は、この物悲しさの虜になってしまい、何度も思い出しては物悲しさに浸っていました。
やがて、自分のこの記憶が赤ちゃんの頃の記憶なのではないかと考えるようになり、記憶の推理が始まります。
当然、記憶には、いつとか、どことか、具体的な情報はありませんから、記憶の光景と、自分の過去の事実を調べて照合するしかありません。
確かなことは、自分が思い出した時より前、すなわち幼稚園以前の記憶だということだけです。
幸いというのは変ですが、私は3歳の時に家を引っ越しており、3歳の誕生日を境にエピソード記憶が増えた(後述)ので、家の中の様子で 3歳前か3歳以降か推測しやすいというのがありました。
記憶の玄関の様子から、引っ越し後の玄関でないのは明白なので、引っ越し前の家のことを調べました。私の記憶を否定するものは出て来ず、私の目線が女性よりも少し高い点についても、母に聞いてみると、その頃に住んでいた家の上がり框はだいぶ高かったようで、背の高い母に抱かれた赤ちゃん(私)の目線が、玄関に立っている人より少し高めになる可能性は(相手の身長にもよるが)充分にあったとのことでした。相手は女性ですから 背が高くない可能性は充分にあるので、母に抱かれた赤ちゃんだった可能性が高いという結論に至りました。
もちろん当時の家には3歳までいたので、2歳や3歳の可能性もあるのですが、そこまで大きいと縦抱きになって 目線ももっと上になるように思いますし、もしこれが2歳以降に残した記憶なのだとしたら、もう少し光景に情報があるように思うので、やっぱり赤ちゃんの記憶だろうと思います。
次は、なぜに物悲しいのか・・・こればかりはハッキリした説明はできません。
ただ、この物悲しさと似た感情は、幼少期に何度も味わっていました。どういう時に私がこういう気持ちを味わうかというと、家に来客があって、そのお客さんが帰る時です。人が帰る時、そして帰った後の静けさがたまらなく寂しくて、その時に味わう感情とよく似ていたのです。だからこれは目の前の女性が帰り際の挨拶をしているのだろうと、勝手に思っていました。
今思うと、母の感情が伝染した可能性もありそうな気がするのですが、残念なことに今ではその感情をリアルな感覚として思い出すことはできません。大人に近づくにつれて、感情記憶は急速に薄れ、同じ気持ちを呼び起こすことができなくなってしまったのです。だから、残念ですが 感情の正体を探ることはできないのです。
もう1つの不思議であるぼやけた映像ですが、これについてはある考えが閃いた時、衝撃が走りました。赤ちゃんの目はどんなふうに見えるのかと疑問に思って調べたのです。すると、生後間もない赤ちゃんの目ははっきり見えないことを知りました。
どんなふうに見えないのかは分かりませんが、物が見えるようになるのは生後50~60日頃と言われています。
「まさか」と思いながらも、まだハッキリと目が見えない赤ちゃんが見た光景だと考えると、記憶の映像の焦点が合っていない理由がつくのです。
もしも本当に生後間もない頃の記憶なのだとしたら、その頃の赤ちゃんの視界をほんの少しだけど知っているということになります。そう考えると感動してしまいます。
それに、もし 生後 間もない記憶なのだとしたら、あの物悲しさは何なのでしょう? 赤ちゃんに考える力がまだ備わっていなくても、感情(感じる力)はしっかり持っているということになります。
よくお腹にいる時から赤ちゃんはいろいろなことを感じていると言いますが、あれだけ鮮明な感情を持っているのだとしたら、赤ちゃんの環境への配慮はとても大事なことだと思いました。
■私の最古のエピソード記憶
私がはっきりと時期を特定することのできる最も古いエピソード記憶は、3歳の誕生日の出来事です。
引っ越し前の家での記憶だということは、記憶の部屋の様子ではっきりしています。3歳だと断定できるのは、2歳の誕生日の写真が出てきて、そこに写っているケーキが私の記憶と違ったからです。
記憶の中の私はしっかり考えており、キッチンの椅子に立ったり座ったりしながら母親と会話をしているので、2歳以前の記憶である可能性はゼロです。昔の家で過ごした最後の誕生日が3歳なので、必然的に3歳の記憶ということになります。
どんなエピソード記憶かというと、キッチンで 食事の支度をしている母親と 話をしているのですが、その日の母はとても優しくて、何かよく分からないけど楽しいことがあるのだなと子ども用の椅子の上で立ったり座ったりしながら私もちょっと興奮気味でした。夕方、父が帰ってきたので、母は「パパ、帰ってきたよ!」と言いながら玄関まで出迎えに行きました。私はそのまま椅子に座って待っていたのですが、玄関から「買ってきてくれた?」という声が聞こえてきます。そして少し間をおいて「どうしてあなたはいつもそうなの!」「自分が好きなもの買ってどうするの!」「子どもはローソクを立ててフーするのが楽しいのに!」といった内容の 母の怒った声が聞こえてきました。
何か良くない手違いがあったのだということは分かります。
“どうしたのだろう?”と不安に思っていると、キッチンに戻ってきた母が「パパったらね、ケーキじゃなくてアップルパイを買ってきちゃった」と箱の中を見せてくれました。
父が怒られている理由は、子どもの誕生日ケーキによくあるショートケーキではなく、アップルパイを買ってきたからでした。
母は「ごめんね。フーできるケーキが良かったよね」と私に謝ります。
たぶん私はモジモジしていたと思います。
母の勢いに乗せられて頷いたかもしれませんが、私には母が怒っている理由がよく分からなかったのです。
私はアップルパイが大好きで、目の前のアップルパイにとても嬉しいと感じていたし、そもそも昨年の誕生日会なんて覚えていないので、誕生日のケーキはこんな物だというイメージも無いし、ローソクをフーするとかも 全く知らなかったのです。その後出てきた2歳の誕生日の写真には、火のついたローソクが立っているケーキを目の前にとても嬉しそうにしている私が写っていましたから、きっと母は、私がすごく喜んだので同じ思いをさせてあげようと思っていたのでしょう。だけど、3歳の私は1年前のことなどすっかり忘れていました。
記憶はそこで途切れています。なぜそこだけ覚えているのかは分かりません。ただこの記憶を思い出すたび、なぜ母が怒っているのか 不思議だったと思うので、その辺りに記憶した理由が潜んでいるのでしょうか。
理由はともあれ、私のエピソード記憶は、この記憶を皮切りに 一気に増えていくのでした。
なんだか 一般に言われている通りの発達過程ですね。(笑)
少し人より記憶が残り始めるのが早いかもしれませんが。
幼児期の記憶を思い出すと、いつも不思議に思います。
いったい幼児はどういう記憶を残していくのでしょう。
この3歳の記憶も、父が母に怒られたことはしっかり覚えているのに、肝心の誕生日会のことは何ひとつ覚えていません。
アップルパイにローソクを立ててもらったことは なぜか知っているのですが、記憶の名残なのか、後に 誰かに教えてもらったのか定かではありません。
また、その後のエピソード記憶も、なぜか一番楽しかったはずの場面の記憶はあまり残っていなくて、“なぜそっち?”と思うような記憶や、ちょっと悲しかったことや、空想に耽っているような記憶が私には多いのです。
ちなみに、私の知人の中にも、赤ちゃんの記憶らしきものが残っているという人がいました。
最初、赤ちゃんの記憶は無いと言っていたのですが、私の話を聞いて、もしかしたら赤ちゃんの時の記憶かもしれないと 話をしてくれました。
その記憶とは、縁側で ひなたぼっこをさせられていて、誰かがシャボン玉をしているらしく、目の前に飛んでいるシャボン玉を綺麗だなあと感じながら見ているだけの記憶だそうです。その人もなぜこんなことを覚えているのか分からないと言っていました。
語っている時に印象的だったのは、綺麗だなあという表現が出てくるまで、感情に当てはまる言葉を探していたことです。その人が表現した綺麗だなあというのは感動のレベルの綺麗ではなく、不思議なものに注意を引かれた程度の感情のようです。
■最後に
赤ちゃんはいろいろ感じています。
だけど、言葉を知らないので その気持ちを言葉に置き換えることはできません。
記憶に残るのは光景と感情だけです。
その思い出した光景の映像を頭に浮かべながら、私達は女性だとか、シャボン玉だとか、寂しいだとか、綺麗だとか言葉を当てはめて説明します。
光景を言葉に置き換えることによって、初めて 自在に取り出せる記憶になるような気がします。
物悲しさの虜になったという話をしましたが、感情記憶に関しては、当時、何度も思い出す内に感情が風化していくように感じていました。
これは思い出すたびに 知的に分析されて、純粋な感覚だけの記憶ではなくなってしまうからかもしれません。
赤ちゃんの記憶は、やっぱり不思議です。
たまたま残った断片なのか、残った場面に意味(理由)があるのか、すごく興味をそそられます。
またいつか赤ちゃんの脳の事と併せて、赤ちゃんの記憶についても 調べてみたいと思いながら、今日はこれでおしまいにします。