私たちが普段「あの曲いいよねえ」などと音楽の話をする時、基本的に相手も同じ音楽を聴いているつもりで話しています。
自分が聴いているメロディと、他人が聴いているメロディが違うとは考えません。
私もそうでした。
音楽を何で聴くかによる音質の違いはあっても、基本的に同じ曲を聴いていると思っていました。
難聴になるまでは・・・
私は進行性の感音難聴ですが、感音難聴は音の高さによって聴こえ方が違ったり、壊れたような音が混じったりするので、健聴者と同じではありません。
実際のところ、他人の聴いている音を体感することはできないので、他人の耳ならどのように聴こえるのかは分からないし、普通は考えません。
だけど、もし難聴者の耳を聴き比べることができたなら、それはきっと多種多様、いろんなバリエーションがあると思います。
そんなふうに思うのには根拠があります。
軽度から高度まで聴こえが変化し続けている私は、聴力が変化する過程で、音楽もまた変化していったからです。
今では、不協和音だらけの音楽になっています。
この不協和音、元の音楽を知っている私には不快に聴こえますが、もしも生まれた時からこの不協和音だらけの音楽が当たり前だったならば、今の私はどう感じているのだろうと考えることもあります。
どうなのでしょうねえ。
とにもかくにも、音楽は耳の状態によって、似ても似つかない姿に大変身してしまうことがあり得るのだということを知ってください。
最近は、音楽が好きだからと、イヤホンで大音量の音楽を聴き続けて難聴になる人が急増しているようですが、音楽を聴く耳が壊れてしまうと、癒しや楽しみをど~んと失うことになるので、耳は大事にしてほしいと思います。
ということで、今日のテーマは音楽。
語りたいエピソードがいくつかあるので、数回に分けてお話します。
今回は難聴初期の、まだ序の口時代の話です。
■難聴発症前の私
まず、私の元々の聴こえを少し話します。
20代で難聴を発症する前の私の聴こえは正常でした。
音楽は普通に好きで、何かをする時はたいてい音楽をかけていました。
人前で歌うのも好きで、カラオケがあるとよく歌っていました。
音楽は得意な方で、音程やリズムは正確でした。
歌った時の他人の評価からも、私の耳はすこぶる正常でした。
■音痴になった歌手たち
私の難聴のはじまりは、ある日突然鳴り出した大きな耳鳴りからです。
突然非常ベルが頭の中で鳴り響いたのです。
あの時の驚きと動揺は忘れられません。
耳鳴りを止めて欲しくて耳鼻科に駆け込んだら聴力も落ちていると言われました。
それが私の難聴の始まりです。
幸い私の難聴は軽度からの出発なので、最初は耳鳴りが煩いから聴こえにくいという感じで、本人に難聴の自覚はありませんでした。
音楽もそれまで通り普通に聴いていたし、普通に聴こえていました。
最初の「え?」は、歌が上手いと定評のプロの歌手が音痴になったことでした。微妙に音が外れるのです。
最初は自分の耳のせいだと思わず、歌を聴きながら「この人どうしちゃったのだろう?」と思っていました。
ところが歌が下手になったのは1人だけじゃなく、この人も、この人もと次々に現れたので、自分の耳がおかしいのだと気付きました。
これ不思議なのですが、皆が音痴になったと感じるわけではなく、音を外すなんてあり得ないような上手な人にだけ変化を感じるのです。
たぶんカラオケなどで遊びで歌う人の場合、間違っていたり、音を外したりすることが多いので、ほとんど気にしていなかったのだろうと思います。
私の場合はそんな感じでしたが、専門的に音楽をやっている人や、特に調律師などはこのレベルでも致命傷です。
音楽鑑賞に酔いしれたい人も悲しいと思います。
なにせ、微妙とはいえ 明らかに音が外れるのですから。
■高音だけが聴こえない私の音楽
難聴発症時から高音の聴力が落ちていた私は、その後、さらに高音が低下し、耳をふさぎたいほどのセミの大群の鳴き声が、耳を澄まさないと聴こえなくなりました。
すると、やがて、またもや「え~!?」という出来事に遭遇しました。
テレビを観ていたら、高音が出ることで有名な歌手が歌い始めました。
曲も山場、だんだん高音へと盛り上がっていくはずが・・・、なぜか急激にボリュームダウン。
「だれ? 音を小さくしたのは!」と周りを見ても、誰もリモコンを触っている人はいませんでした。
これにはビックリ。リモコンで音量のマイナスを押し続けた感じのボリュームダウンで、声を出しながら高音に上げられると、見事にひゅーんと音量が下がるのです。
これに遭遇した時は、悲しむよりも面白がる気持ちの方が強くて、皆に意味不明の自慢をしたほどでした。
ちなみに私の場合は高音が聴こえない(しかも高音のみが極端に聴こえない)難聴だから上記のような症状が出ましたが、難聴にもいろいろあって、私とは逆に高音は聴こえるけど低音が聴こえない人もいます。
その場合はどうなるのか、私も興味津々です。
そんなこんなで、難聴者の聴く音楽には、その人にしか聴くことのできない音楽がいっぱいあるはずで、お互いに耳を交換しあえたならば、新鮮な驚きがいっぱいあると思います。
初期のヘラヘラ面白がっていられた体験はここまでです。
ここから先はまさかの地獄でした。
次回はカラオケとさよならした話をしたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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[前回のナンチョー日記]
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(3)「聴こえの崩壊 【声の話】」
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