ナンチョーな私の気まぐれ日記(5)音楽と私②「カラオケと涙のお別れ」

スポンサーリンク
ナンチョーな私の気まぐれ日記

カラオケは好きですか?
私は大好きです。
大好きだけど、もう何年もカラオケには行っていません。
カラオケの音楽が聴こえなくなってしまったからです。

実は私は進行性の感音難聴。
発症はずいぶん昔のこと。
発症当時の難聴は軽かったので、難聴になってからもずっと歌っていました。
今日は、難聴の悪化とともに変化するカラオケの話をしたいと思います。

ちなみに、難聴は1人として同じ状態の人はいません。
ここに書くのはあくまで私個人の体験談。
進行性の人が皆同じというわけではありません。
でも、大なり小なり、悲しい変化は皆に訪れます。

スポンサーリンク

■最初の異変

私がカラオケで歌うのが好きなのは、純粋に歌が好きというより、人前で歌うと気持ちが良いからでした。
周りがノリノリになったら嬉しいし、しんみり聴き入ってくれたら、もう最高!というノリのカラオケ好きです。

難聴になっても、最初のうちは特に歌うことに不自由を感じたことはありませんでした。
カラオケ屋さんでは、誰と行ってもたいていは大きな音で音楽を流すので、音が狂い始めるまでは健聴時代とまったく同じ感覚で歌っていました。

だけど、難聴の悪化とともに、徐々にカラオケも苦手になっていきます。

最初の異変は、歌っている途中で音を上げたり下げたりされると、音程をすぐに合わすことができなくなったことでした。

音楽は得意な方だったので、音程を合わすのはさほど難しいことではなく、誰かがいたずらで音程を上げたり下げたりしても、それに合わせて自由自在に音程を合わせていました。

ある日、よく一緒にカラオケに行く友人と歌っていた時、最初の異変が起こりました。
少し音程が高めの曲だったので、途中で友人が音程を下げてくれました。
いつもなら、下がって行く音に合わせて 私の声も下がるのですが、この日は音が分からなくなり 歌が止まってしまいました。
友人もびっくり、私もびっくりです。
そして、ここからが、涙、涙の始まりでした。

スポンサーリンク

■少しずつ間引かれる音

次に訪れたショックは、イントロが流れてきて、歌う気満々になっているのに、歌い出しが分からなくなったことでした。
今まで、自然に歌い出していたのに、それができなくなったのです。
最初は自分でも何が起こったのか分かりませんでした。

当時はイントロも普通に聴こえているつもりだったのですが、たぶん聴こえない音が出てきたことで音の構成が微妙に狂って、馴染んでいるイントロではなくなってしまったのだと思います。

難聴に詳しくない人のために補足しておくと、私の難聴は全ての音が一斉に低下するのではなく、特定の音だけが極端に聴こえない状態。簡単に言えば、低音の「ド」は聴こえても、高音の「ド」は聴こえないみたいな難聴です。
だから、悪化の仕方も、全部の音が同じだけ聴こえなくなるのではなく、特定の音が少しずつ間引かれるように消えていくので、聴こえる音のバランスが狂ってしまうのです。

この音の狂いは、音自体が狂っているのではなく、音が脳に伝わるまでの不具合なので、楽器の音の狂いを聴き分けるようなわけにはいきません。
同じ音を聴いていても、耳の状態によって聴こえ方も変わってしまうので、聴こえが不安定な難聴者の音の狂いはほんとに厄介です。

この頃から、歌うことへの自信が急速に揺らいで、あまり積極的に歌わなくなりました。

スポンサーリンク

■「カラオケ」と涙のお別れ

私の難聴は、さらに進行して、致命的な状態へと突入していきます。
なんと、歌い出しだけでなく、音程までもつかめなくなってしまったのです。
歌い出しが分からないのは、合図を送ってもらえば済むのですが、音程が分からないと歌い出しの高さが決まらないので歌えません。
周りの人が、歌って教えてくれますが、音が取れないのだから歌えません。

その頃には、イントロやバックで流れている伴奏の全てが狂っていました。

知っている歌は今でも歌えます。
だけど、カラオケは、音程とスピードに合わす必要があるので、歌えません
とっても悲しい。

人前で歌うのが好きだった分、歌えない自分を人前に晒すのはとてもみじめでした。
何度かチャレンジしたけれど、味わうのは失望ばかり。
やがて、カラオケには行かなくなりました。

スポンサーリンク

■再び

長い月日を経て、今はさらに聴力が低下し、音の崩れもひどくなりました。
だけどここまで悪化すると諦めもついて、当時を懐かしめるようになりました。
歌いたい気持ちは今でもあるので、時々記憶の演奏に合わせて、口ずさむことはあります。
新曲の仕入れはゼロ音楽だけは完全に過去で止まっています
だけど、過去の音楽があるだけ幸せなことなのかなと思えるようにもなりました。
というのは強がりで、実際は毎日のように、話題の曲を目の前に、どんなんだろう?どんなんだろう?と、聴きたくて仕方がありません。

ちなみに「歌うことがある」と言うと、聴こえているように思われがちですが、自分の声といえども、音は狂って聴こえるし、高音は聴こえません。
だけど、多少でも音を感じられたら、記憶の音楽を頭の中で重ねることで、自分をごまかすことはできるので、部屋の中でこっそり歌っています。
高音部分は完全無音になってしまうので、つい声を振り絞ってしまうこともあります。
たぶん人がそばにいたら「うるさい!」と怒鳴られていると思います(笑)

ドレミファソラシドが、ドレミファソラシドに聴こえない耳高音は全く聴こえない耳、今の私の耳はまともからほど遠いので、当然カラオケの演奏もひどいことになっていると思うのですが、それだけにどこまで変貌しているのか聴いてみたい気がします。
それに、自分では正確に歌えているつもりの歌が、ほんとうに正確に歌えているのかも知りたいです。
そういう心境の変化から、最近はもう一度、誰かとカラオケに行ってみようかなと思うようになってきました。
行ったら行ったで大ショックを受けるかもしれないし、音が苦痛で逃げ出すかもしれないけれど、今は怯えより好奇心の方がちょっと勝るようになりました。

そんなんで、コロナが収束したら、友人を誘って行ってみるつもりです。
過去にすでに挫折しているので作戦は必要です。
音程は私が合わすのではなく、カラオケの方が私に合わすという手もあるし、友人に音合わせで苦労してもらう身勝手作戦などを考え中です(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[前回のナンチョー日記]
  ↓
ナンチョーな私の気まぐれ日記(4)音楽と私①「最初の異変」

[次回のナンチョー日記]
   ↓
ナンチョーな私の気まぐれ日記(6)音楽と私③「最後まで残った音」

【難聴関係の記事】
■聴覚関係の知識
■商品紹介・レビュー

タイトルとURLをコピーしました