今年最初のブログです。
本年もよろしくお願いします。
今年最初のブログは、久々に「ナンチョーな私の気まぐれ日記」です。
昨年は、久々に会った人達から「明るくなったね」と言われました。
変化した自覚のなかった私は改めて自分を見つめると、確かに私の心は昔よりも軽くなっていることに気付きました。
多分 2年前に仕事を完全内勤に変えたことで、仕事のストレスが半減したのが大きいと思います。
その代わり、経済面はちょっと苦しくなりましたが・・・(^^;)
実は仕事を変えた時に大幅に収入がダウンする話は聞いていて、このまま今の仕事を続けるか 完全内勤に変えてもらうか悩んだのですが、大幅減額は痛いけれどギリギリ何とかなるかなと変更の道を選びました。
ところがその後の物価高(特に食品)が予想以上だったので「苦しいぞ~!」とそっちの不安を抱えていたので、まさか「明るくなったね」と言われるとは思ってもいませんでした。
どうやら収入減の苦労よりも、聴こえないのに聴こえる仕事をするストレスの方が何百倍も大きかったようです。
確かに経済面は倹約すれば何とかなるし、定時に帰れるようになってウキウキしている自分がいるし、今まで毎朝ドキドキしていた聴こえの変化のプレッシャーからも解放され、今は多少不調でも「今日はちょっと聴こえ悪いなあ」と思うぐらいで昔のように追い詰められることがなくなっています。
多分これが私の表情を明るくしているのだろうと思います。
そんな自分に気付いたので、改めて今年は仕事ではなく、“自分のやりたいことをするぞー!”と、そっちに燃えています。
気分は前向きです。
難聴のマイナスを如何に埋めるかで思い悩むのを止めて、あるがままの自分で生きることにしたので。
多分ですが、前向きになればなるほど、進行性で苦しんだ過去の記憶は薄れて行くと思うので、今年最初に これまでの難聴人生を振り返っておこうと思います。
■進行性難聴の辛さ
振り返ると20代の半ば以降の思い出は、、、とても暗いです (^^;)
楽しいはずの旅行までが辛かった記憶で埋められています。
この暗さの主要因は、もちろん難聴です。
私の難聴は軽度から出発し、その後立ち止まることなくゆっくり進行し続けてきました。
まさにじわじわと追い詰められる人生でした。
少しずつ聴力を蝕まれて行くというのは「明日の聴こえが悪かったらどうしよう?」という不安の連続です。未来を心配しながら生きて行くので何をやっても心の底から楽しめません。
どのお医者さんからも進行性だと言われたことがなかったため、「きっと治る!諦めるな」と自分を励まし、「ここで進行が止まれば何とかなる」と踏ん張り、聴力の限界を超えるまで諦めなかったため、仕事で地獄を味わった末に、進行は止まらず仕舞いで 途中下車する羽目になってしまいました。
もしも発症していきなり今の聴力になっていたら、今の仕事は必然的に続けることができないので、聴こえなくても出来る仕事に転職して、今頃はその道のベテランとして更に磨きをかけていたかもしれません。
“一気に低下”と“徐々に低下”では 聴力の行き着く先が同じでも その過程はすごく違うので、時々どちらが良かったのだろう?と考えますが、こればかりは人生一度切りなので答えは出ません。
ちなみに私が体験した“徐々に低下”するというのは、聴こえに悪戦苦闘しつつも、低下が少しずつなので仕事のやり方を工夫して乗り越える努力が可能でした。
だけど、なまじっか努力が可能だったため 諦めるきっかけを掴めないまま ズルズルと障害者になってからも続けることになりました。
頑張れたのは、仕事の積み重ねによるスキルアップがあったからで、これ無しでは到底無理でした。それでも精神面は常に崖っぷちですから、我ながらよく頑張ったなと思います。
それと周りのお陰でもあります。配慮は無かったので苦労の連続ではあったけど、難聴であることを繰り返し訴え続けていたので、少しずつでも周りが私に慣れてくれたことは大きいと思います。転職したら ここまで上手くは行かなかったでしょう。
進行性の一番の辛さは、先が見えないことにあります。
進行が止まるのか止まらないのか、どこまで悪化するのか、それによって人生の描き方が違ってくるのですが、そこが決まらないので迷うのです。
私がやりたかった仕事は、今の仕事よりも聴力を必要とするものでした。
なまじっか中途半端でも聴こえていると耳を諦められず、ここで進行が止まるならやれるのでは?との思いを捨てきれません。
一方で、いつかは治ると信じながら、心の奥底では進行が止まらなかったらどうしようとの不安があって、動く勇気はありませんでした。
悩みはそれだけではありません。
状態が変化し続けるため、聴こえに慣れることができないので、永遠に 絶望→適応努力→絶望→適応努力を繰り返します。
慣れるための努力はできます。
だけど慣れるためには 安定(固定)する必要があるのですが、私の場合は不安定なままで、努力しても努力しても変化が止まらないので今の聴こえに慣れるということが出来なかったのです。
しかも、少しずつ進行したので、音声をきっぱり諦めるきっかけもありませんでした。
いつの間ににか聴力の限界を超えている自覚は芽生えていましたが、いつ自覚したのかは分かりません。結局、諦めるラインが分からないまま必死に頑張り続けたのでした。
■最初はさほど深刻に捉えていなかった
私が難聴を発症したのは 20代半ばです。
会社で仕事中、突然頭の中で大音量の耳鳴り(非常ベル級の音)が鳴り響き始めました。
非常ベルと勘違いした私は大慌て。
顔を上げて周りの様子を窺うも、周りは普通に電話している人、打合せしている人、机に向かって黙々と仕事を続ける人。誰の表情にも変化はありません。
それを見て初めてこの非常ベルは私だけにしか聴こえていないのだと気付き、今度は「ヤバイ!どうしよう!」とパニック状態。
じっとしていられなくて事務所を飛び出し、いったい私はどこに行こうとしているのか?と冷静になり、取りあえず事務所に戻って仕事を続けました。
当初は耳鳴りが煩さ過ぎて、騒がしい所で話をするような聞き取りにくさは感じましたが、自分が難聴になっているという自覚は全くありませんでした。
耳鳴りを止めて欲しくて耳鼻科に行くと、軽度の難聴を指摘されました。
高音が低下していたようですが、今のように耳についての知識がなかったので、どの程度の難聴だったのかの詳細は覚えていません。
ただ難聴と言われても、自覚が全くなかったので「へえ~」ぐらいにしか思わず、それよりも耳鳴りを何とかしてくれ~という感じだったのです。
私が難聴を自覚し始めたのは、それから1~2年経過してからでした。
それまでは、24時間休みなく鳴り響き続ける耳鳴りで気が狂いそうになっていて、耳鳴りさえ止まれば難聴も治るみたいな感覚でいました。
ちなみに私が難聴を最初に自覚したのは、音楽を聴いていて高音になると明らかにボリュームダウンすることに気付いてからで、その頃から徐々に聞き間違うことが増えていきました。
進行が徐々に進んでいたのでしょう。
■聞き取りが困難になり始めてからは地獄
私の難聴は音量だけでなく、聞き取りが困難になる難聴です。
多くの難聴者は感音難聴なので、程度の差はあっても言葉の聞き取りが苦手になります。
私の場合は、聴こえる音の差が激しいせいか、難聴に自覚が薄かった軽度の時から明らかに違う発音に聴こえる音があったので、言葉の聞き取りは難聴者の中でも悪い方だったかもしれません。
今は、最良語音明瞭度(50音の聞き取り検査で、音量を上げて最もよく聞き取れた時の割合)は20%程度なので、マスクで口を隠されるとほぼ100%聞き取れません。
ちなみに今のレベルに達したのは、そんなに前ではなく、この聞き取り能力も難聴の進行とともに酷くなっていきました。
とても辛かったのは、聴こえの状態が日々変化するので、大事な商談のある日は数日前から「聴こえていますように」と祈り続け、朝起きた時にいつもと同じならホッとし、いつもよりも調子が悪ければ冷や汗をかきながら乗り越えるという日々を送っていたことです。
働いている限り毎日この不安を抱えます。
そのため、私の起床時の習慣は聴こえのチェックでした。
「あ、あ、あ」と発声して聴こえていればホッとし、悪化していれば今日1日無事に仕事をこなせるかを心配しながら出勤することになります。
ほんとに辛くて逃げ出したかったです。
今思い出しても、このストレスによく耐えたなあと我ながら感心します。
友人関係も悲惨でした。
難聴だと伝えた時、取りあえずその時の状態が私の聴こえだと思われます。
大抵は会話が成立している時に難聴の話をしているので、聴こえているその時の私がそのままインプットされます。
ところがその時に聴こえていた音が、翌月には失われたりするので、この前まで会話できた人の中に「今はもう無理!」という人が現れるのですが、これが伝わらない。
話す人の音量に差がないのに、聴こえる人と聴こえない人がいるというのを健聴な人は想像できないのです。
結果、聴こえの配慮は一切なく、聴こえている人扱いで全ての会話が音声で流れて行くため、仕事だけでなく、遊びや旅行も会話が必要な限り、私にとっては地獄でした。
ちなみに仕事の会話は 積み重ねてきた経験と知識があるので内容を推定しやすく、そのため障害者になって以降も勘と確認で取りあえず対応していましたが、たわいもない雑談は無理でした。
そして雑談ができなくなったことで、多くの友人を失いました(苦笑)
■難聴は悪いほど不幸かというとそうじゃない
難聴度の高い人から見れば、難聴の軽い人は恵まれているように見えます。
聞き取りで苦労していても 全く聴こえないよりはマシと思われたり、片耳難聴で苦労していても もう片方あるだけマシと思われたり。
だけど、中途難聴者の場合、常に比較するのは健聴だった時の自分の聴こえです。
すなわち比較の対象は世の中の多勢を占める健聴な人達なので、マシなわけありません。
健聴者には難聴の状態は想像がつきませんが、難聴でも軽度の人が中等度以上の人の不便を想像するのは難しいです。
誰でも経験の無いことを正しく想像することはできませんし、未体験なことと比較されてマシだと言われても慰めにもなりません。
たまに健常者が障害者に「もっと大変な人も頑張ってるから」と励ますのを見るとすごく不快になります。
なぜなら世の中の多くの人は健常なのに、なぜに僅かな重度と比べるのかと腹が立つのです。
元々健常ならば、自分の知っている健常な時の生活と比較して当たり前です。
例え軽度でも機能を失うというのは本人にとってはとても辛いことなのです。
私自身、軽度の時には軽度の、中等度の時は中等度の、その時々に違うことで悩みました。
身体機能で言えば、重度の方が遥かに厳しいのですが、補聴器をしても会話が厳しいレベルまで悪化すると、聴力差よりも取り巻く環境や福祉サービスの有無など、聴力以外の部分で精神的苦痛度に差が出ます。
私が一番辛かったのは、完全な障害者である今ではありません。
障害者の認定基準に達していない、今より聴こえていた時の方が遥かに辛かったです。
なぜなら何のフォローもしてもらえないからです。
補聴器をしても仕事に大きな支障が出るほど聞き取り困難なのに、障害者の認定基準に僅かに届いていないがために、世の中の扱いは健聴者と同じです。
日本の聴覚障害の基準はとても厳しいので、聴覚障害か否かの境界では、たった1dBの差で天国と地獄に分かれます。
片方の耳が障害レベルに達していても、もう片方がたった1dBでも基準に足りなければ認定してもらえないのですが、経験上、片耳 僅か1dBの違いで不自由さに差はありませんでした。
すなわち同じ不自由を持ちながら、障害に認定されたら要約筆記や手話通訳などの情報保障を使えるけど、認定基準に満たなければ完全自力なわけです。
仕事では自治体の情報保障は使えませんが、その代わり障害者雇用を使えるので、聴こえが困難でも職を探せる安心感があります。
手帳が無ければ、就活も健聴者と争う事になるので面接官の質問を聞き取れない難聴者はかなり不利です。
なので、私は手帳を取得できた時、ようやく会社に今の仕事をこのまま続けるのは無理だと伝えることができました。
それまでは「難聴で仕事が出来ません」と言えばクビになるかもしれない恐怖で言えなかったのです。到底この耳で職を見つける自信はありませんでしたから。(※通常はクビにはなりませんが、小さな会社ではクビに追い込まれることはあるのです)
幸い、障害を伝えてもクビにはなりませんでしたが・・・。
難聴はコミュニケーションに影響するので、社会的な総合評価としてはかなり不利です。
認定基準に僅かに足りない時の私は、自力ではどうしようもない状態に「自分は障害者なのだ」という自覚が芽生えていましたが 公的には健聴者です。
あまりに不安で辛かったので、聴力低下は悲しいはずなのに、手帳が取得できたこの時ばかりは飛び上がるほど嬉しかったです。
それほど世の中は難聴の理解に乏しく、難聴者は生き辛いのです。
この辛さを知っているので、私は自分よりも聴こえている人の方が恵まれているとは絶対に思いません。
日本の聴覚障害の認定基準は厳しいので、むしろギリギリのラインで取得できない人達が可哀想でなりません。
難聴は音量の問題だけで困っているのではありません。
それよりも言葉が聞き取れなくて困っているのですが、これが健聴者には伝わりません。
そもそも 認定基準を決めているのが健聴者だから、不当に厳しいのかなと思います。
■厳し過ぎる日本の聴覚障害認定基準
振り返ると、気持ちが楽になった節目が2回あります。
1回目は障害者手帳を取得できた時です。
2回目は冒頭に書いたように、耳を使わない仕事に変えてもらってからです。
一番苦しかったのは、前項に記載した通り、障害認定基準に僅かに達しなかった時です。
ゆっくり進行していると、この僅かに足りない時期を通過する時間も長かったので、このレベルの苦しみも十分体験しました。
その体験からはっきり言えます。
日本の聴覚障害の基準は厳し過ぎると。
私の場合は、両耳とも60dBを超えた辺りから、会議での話が全然分からなくなっていました。
65dBを超えた時には「もう無理!」と思いました。
難聴者の多くは感音難聴なので、殆どの人は音量が足りないだけでなく、語音明瞭度が低下しています。
語音明瞭度の低下は補聴器ではカバーできず、これが実生活に大きく影響するのですが、障害認定基準は「両耳70dB以上」か「両耳の最良語音明瞭度50%以下」という具合に、両者を分けて考えています。
語音明瞭度の最良とは、補聴器で音を入れて改善できる限界を指すと言われますが、そもそもこの考え方がおかしい。
実生活では、聴力検査の時のように、防音環境で直接音声だけが耳に入ってくることはありません。
騒音のある中で暮らしているので、音量を限界まで上げることもありません。
発言者と少し離れただけで入る音量は下がります。
要するに、最良語音明瞭度を維持した生活など絶対に無理なのです。
それにも関わらず、両耳70dB以上という音量だけで判断するのは非常に間違っていると思います。
60dB(普通の会話の声が聴こえないレベル)を超えたなら、最良語音明瞭度60%切れば障害認定するなど、日常生活での語音明瞭度を加味して欲しいと思います。
音量と語音明瞭度とを組み合わせた設定が難しいならば、せめて65dB以上は障害者に入れて欲しいです。
私はこの段階を体験したので、これは強く思います。
世の中の耳の専門家の殆どは健聴者です。
健聴である限り、難聴者がどんな音を聴いているのか知ることはできません。
今の基準だと、障害者並みにサポートが必要な人が、サポートから漏れてしまいます。
そもそも両耳70dB以上という基準が厳し過ぎるのですから、そこを下げないのであれば、サポートが必要な人が放置にならないように語音明瞭度も組み合わせて判定すべきなのです。
健聴から難聴になってみると、健聴な耳のままでは決して想像のできない音の壊れに慄きました。
難聴者は音量よりもむしろ音の壊れで困っている人の方が多いことを知ってください。
そのために、語音明瞭度の影響がどれぐらいあるのか きちんと調査して欲しい。
元々健聴で暮らしていた中途難聴者ならば、健聴者との聴こえの違いを語れるので、多くの人から聞き取り調査をして難聴の実態を知った上で、今の基準を見直して欲しいと思います。
そうでないと、今の基準は助けが必要な人がこぼれていて不公平過ぎます。
「早急に今の障害の認定基準が見直されますように」
これが新年最初の私の願いです。
ちょっと長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
これからも難聴の不便については語り続けたいと思いますので、引き続きこれからもよろしくお願いします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[前回のナンチョー日記]
↓
ナンチョーな私の気まぐれ日記(42)優しさって何だろう
【難聴関係など おすすめ記事】
■聴覚関係の知識
■商品紹介・レビュー