健康な耳であれば、ザワザワガヤガヤ騒がしい環境の中でも、相手の話を拾うことができます。
そんな健聴者も、電車通過中の橋の下など、激しい騒音下では、声が騒音にかき消されます。
今の私は難聴です。
20代で難聴を発症し、同時に非常ベル級の大音量の耳鳴りが発生。それ以降はけたたましい非常ベル音(耳鳴り)とともに生きています。
聴こえは、発症時は軽度。その後も進行止まらず、今は重度手前。
そして、今も聴こえの状態は変化し続けています。
自分が難聴になったことで、耳の事はかなり勉強しましたが、いまだに仮説が多く、耳の医学ははっきりしないことだらけです。
私は医者でも学者でもありませんが、極端な周波数の差を持つ進行性難聴者としての実体験からの自論は持っています。
今回、「おや~」と思うことに遭遇して、推論が確信に近付いたこともあるので、変化中の記憶が薄れないうちに、ここに記しておこうと思います。
■私の聴力の特徴
難聴者の聴こえの特徴は、皆、バラバラです。
難聴の友人知人とは、互いに聴こえの話はするけれど、実際に彼らの耳がどのように音を捉えているのかは、体験できないので分かりません。
なので、ここに書くのはあくまで私のケースです。
私の耳の特徴を少しお話します。
私は元々は健聴だったのですが、20代の半ばに両耳の感音性難聴を発症し、それ以来、徐々に聴力を失い、今も聴力低下は止まっていません。
感音性難聴とは、音に歪みが出る難聴です。
健康な耳の人が想像する難聴は、全周波数(周波数とは音の高さ)が、一律同じように音量がダウンするイメージですが、全ての音が、同じように低下するケースは稀で、低音の方が聴こえにくい人、高音の方が聴こえにくい人、真ん中の音が聴こえにくい人など、難聴者の聴こえ方は、皆、バラバラです。
私の場合は、4000Hz以上の高音は早くから重度障害域に突入しましたが、250Hz以下は正常域という状態をずっと続けていました。
手帳取得が可能な水準になった時も低音だけは20dB程度の聴力を保っていました。
聴力検査の結果を表した図をオージオグラムと言うのですが、正常な人の図は、どの周波数も20dB以下の範囲内に収まっているので、横棒を引いたような形状になっています。
私の初期の頃は、8000Hzはスケールアウト(測定不能、即ち失聴)していたけれど、125Hzは10dBが聴こえていたので、初期のオージオグラムの形状は、一番低い音は10dB辺りに記号、一番高い音は100dB辺りに記号、これを斜めに結んだような形をしていました。(今は違いますが・・・)
※因みにオージオグラムをご存じない方は、こちらを参考にしてください。
→ オージオグラムの見方と、身体障害者手帳の基準となる平均聴力の算出方法
今の私の聴力は、左耳は2000Hz以上、右耳は4000Hz以上が、スケールアウト(110dBまで上げても聴こえない)しています。即ち高音は失聴レベルです。
そして、低音も低下し、昔のような極端な斜め線ではなくなっています。
但し、今でも片方の耳は、125Hzが 40~50dB程度は聴こえているので完全無音ではありません。
因みに、私に限らずですが、感音性難聴の人は、内耳に異常があるので、言葉の聞き取りが苦手です。
他人がどんな音を聴いているのかは、難聴の私にも分かりませんが、私と全く同じではないことは確かです。
余談ですが、難聴の理解が進まない要因のひとつは、聞き取り困難の理解が低いからだと思います。
聴こえない体験は耳栓で可能だけど、音の不鮮明さの疑似体験は不可能です。そのため、健聴者の多くは、補聴器をすれば普通に聴こえると思っていますが、それは大きな誤りです。
音量の低下だけなら確かに補聴器でカバーできますが、それ以上に苦労しているのは音の不鮮明さなのです。
この不鮮明が体験できれば少しは理解が進むのかもしれませんが、健康な耳である限りこれは体験できません。
なぜなら、難聴者の聴いている不鮮明な音を再現したとしても、それは健聴者には意味不明な音というだけで、不鮮明には聴こえないからです。
健聴者は音質を正確に捉えることができますが、難聴者は音質を正確に捉えることができません。
そのため、何度聴いても脳で処理できる音にはならないのです。
何となくでも分かってもらえるでしょうか?
難聴者の聴いている不鮮明な音は、解読不明の不鮮明さで、これを体験しようと思えば、耳を破壊するしかないということになります。
余談が長くなりました。
私の話に戻します。
私は20代半ばで難聴発症(それまで健聴)→軽度難聴→中等度難聴→高度難聴と、ゆっくり進行しているので各段階の聴こえをじっくり味わってきました。
数年で進行が進むのと違って、何十年もかけてゆっくり低下しているため、各段階で味わう様々な音体験は、他の人よりは多い方だと思います。
■難聴の患者として思ったこと
難聴は発症して直ぐに治療をしたならば治る可能性はありますが、そこを過ぎると医師は匙を投げます。
いろいろ検査をして器質的な異常が見つからなければ「治せない」で一蹴されてしまいます。
ところが治せないと言いながら、大きな病院では、定期的な聴力検査を求めてきます。
検査したところで「様子をみましょう」としか言わないのに、なぜに検査に来させるのか不思議に思うことしばしばです。
そうやって長年、診察結果を説明する耳鼻科の医師を複数見てきて思うのは、医師はオージオグラムを数値でしか見ていないということです。
そのバランスで、どういうことが起きるのかについては無関心です。
無関心というより、分からないのだと思いますが、患者としてはそれでは困ります。
進行性難聴に長年苦んできた患者として思うのは、オージオグラムを診るプロ(医師)なのだから「生活音の内、こういう音が聴こえなくなっています」など、聴こえの状態を具体的に説明してもらえたなら、どれだけ助かっただろうということです。
聴こえないということは、音の存在に気付けないわけで、無知なままだと、危険ですらあるわけです。
そこの説明が一切なく、検査だけして「様子をみましょう」しか言わないのであれば、医者にかかった意味がありません。
私の場合は、誰も教えてくれないので、自分で学びました。
学んでみて、耳鼻科医の不親切さを感じたわけです。
患者は治せないで終わりではありません。その病んだ耳で生きて行かねばなりません。
そのためには、自分の状態を具体的に知る必要があるわけで、やはり専門家の具体的なアドバイスは欲しいです。
欲を言えば、オージオグラムの形状と聴こえの特徴の相関性などの研究が進んでほしいと思っています。そこの研究が進めば、オージオグラムから読み取れる内容も増えるだろうし、患者の聴こえの複雑さを今よりは知ってもらえる気がするからです。
そんなことを思いながら、自分の体験話を続けます。
■大音量の耳鳴り
私の難聴の始まりは、突然起こった大音量の耳鳴りからです。
難聴が先なのか、耳鳴りが先なのかは分かりませんが、耳鳴りで病院に行ったら、軽度の難聴を指摘されました。
小さな耳鳴りは、それまでにも経験したことはあったので、耳鳴りとはピーピーみたいな小さな音だと思っていたのですが、突然私を襲ったのは、まさに非常ベルの音でした。
この耳鳴りは、会社で勤務中に突然発生しました。
けたたましい非常ベルと似ていたため、耳鳴りが鳴り始めた時は、“火事!?”と、慌てました。
その日以来、私はこの非常ベル音から解放された日は1日たりともありません。
起きている時は勿論、寝ている時も鳴りっぱなしです。
当初の私は、耳鳴りがあまりに煩いから 人の声を聞き取りにくいと感じていました。
実際のところは、耳鳴りが煩くて聴こえにくいのか、軽度の難聴を発症したため聴こえにくさを感じていたのかは、今となっては分かりません。
ちなみに、私は過去(聴こえていた時)に、けたたましく鳴っている非常ベルの前で人と話したことがありますが、非常ベルの傍だと声の限り怒鳴るレベルで喋ることになります。
それに比べると、耳鳴りの場合は、自分も相手も大声にはならないし、相手が大声を出さなくても集中すれば聴こえたので、実際の音と、耳鳴りとでは影響は違います。
では、耳鳴りの煩さは聴こえに影響していないのか?
これは、耳鳴り発症後、一度も耳鳴りが止んだことがないので、よく分かりません。
ただ、影響が全く無いわけではありません。
そう思うのは、私は数種類の耳鳴りを持っていますが、持続的にずっと鳴り続けている耳鳴りと、たまに発生する耳鳴りがあり、ずっと鳴っている耳鳴りは 耳鳴りだと分かるのですが、突然、別の新たな耳鳴りが発生すると、それが現実の音か、耳鳴りなのかは瞬時には分かりません。
そういう突発的な耳鳴りが鳴り始めた時は、耳を塞いで 実際の音か否かを確かめます。
音だけでは、現実の音と耳鳴りの区別がつかないわけです。
すると、常にたくさんの耳鳴りを聴いている私は、音を聴き流さないと生きていけないので、現実の音に対する感受性や、音への集中度は当然に落ちます。
更に難聴を発症しているので、現実の音は聴こえにくい上に、音も不正確なので、小さな音に反応することが減り、音に対してどんどん鈍感になって行きます。
ちなみに、耳鳴りだけがあって 聴力が正常な人や、耳鳴りが小さい人がどうなのかは、私には体験がないので分かりません。
■言葉の聞き取りにくさの仮説
私は語音明瞭度(50音の聞き取り)がとても低く、音楽は音が狂い過ぎて、メロディの原型が完全に消失しているレベルです。
同じ難聴者と、互いの聴こえの話をしていても、どうも私は狂いが激しいようです。
「高音が聴こえにくく、低音の方が聴こえる」タイプの人は多いのですが、オージオグラムを見せてもらうと、私ほど極端な差を持った人はおらず、結果、この極端な差が影響しているのではないかと考えるようになりました。
私達が会話で使っている言葉の発音は、複数の周波数で成り立っています。
その音(発音)を正しく発するためには、必要な周波数が揃う必要があります。
音を発する時に必要ということは、一部の周波数が聴こえなくて抜けてしまえば、違う音に聴こえるのは当然ということになります。
明らかに違って聴こえてしまう現象は、私の場合、軽度の時からありました。
子音を聞き間違うという一般的な間違いではなく、何度聴いても、はっきり全く別の発音に聴こえるという音があったのです。
これは周波数ごとの聴こえに極端な差があったことが原因だったのではないかと思っています。
ちなみに、私ほどの差はなくても、感音性難聴の人の周波数ごとの聴こえは一定ではありません。
言葉の聞き取りにくさは、周波数ごとの聴こえのバランスが影響していると、私は感じています。
■低音だけが普通に聴こえていると・・・
難聴による聴こえ方の影響は 早くから出ましたが、低音が普通に聴こえていた私は、音量の低下はあまり感じていませんでした。
私の悩みは、音量ではなく、もっぱら音質の劣化でした。
私の聴こえの一例を挙げてみると、高音は警報級でも聴こえないのに、携帯電話のバイブ音は少し離れていても聴こえていました。(呼び出し音は聴こえません)
昔、こういうことがありました。
私の目の前に立っている人の携帯電話が少し離れた机の上で鳴っていました。目の前にいる持ち主は鳴っていることに気付かないようなので、「鳴っているよ」と教えてあげたら、「あんな小さな音が聴こえるの?」と、その場にいた人達に驚かれたことがあります。
皆が驚いたのには理由があります。
会社で使っていた機材で、ものすごく大きな合図音が鳴る機械があったのですが、私はその合図音が全く聴こえないので、いつも鳴ったら教えてもらっていたからだと思います。
遠くに居ても聴こえる警報級の音が聴こえないのに、皆が聴き落としている小さなバイブ音が聴こえていれば、確かに驚きかもしれません。
だけど、私の方は、“なぜあんな大きなバイブ音が聴こえないの?”と感じているわけです。
今、振り返ると、多分、低音しか聴こえていないから、聴こえたのだと思います。
他の人は、周りの音がいっぱい聴こえているので、周りの環境音に埋もれていたのかなと推測しています。
但し、私も、周りの音の影響は受けます。
周りがあまりに煩いと、私自身は音としての煩さに気付いていなくても、言葉の聞き取りが著しく低下したりします。
もう一つ、低音が聴こえすぎると、補聴器の調整が難しいという問題もあります。
低音がよく聴こえる人の耳は、完全に塞いでしまうと、自分の声が籠ってしまいます。
なので、補聴器では、隙間のある耳栓を使って、音を抜く必要があります。
私は低音だけがずっと正常域だったため、音を抜いていましたが、中間音の聴力が落ちてくるとその音も逃げてしまうため、調整がとても難しかったです。
デジタル補聴器は周波数毎に調整することが可能なので、低音が正常な私でも補聴器の装着は可能ですが、正常に聴こえる低音を聴こえなくするわけにはいかないので、私の場合は、補聴器を装着しても、低音を中心とした聴こえの世界だったのかなと思います。
■聴こえのバランスはとても大事
今回、音の聴こえの話をしたくなったのは、低音が低下したことで、以前よりも人の話が聞き取りやすくなったように感じていて、過去に自分が感じていた仮説は正しいのかなと思うようになったからです。
低音が低下して、聴力のバランスが変わったことによって、特に感じているのは、これまでの私は低音が、他の音よりも聴こえ過ぎたために、他の周波数の音が低音にかき消されていた可能性です。
普段の生活では、騒音があれば、それにより必要な音が聴こえにくくなります。
かなり煩ければ、騒音に音はかき消されます。
それと同じことが、自分の聴こえのバランスで起こっていた可能性を今感じているところです。
というのも、完全に失ったと思っていた音が、低音が落ちてから、かすかに聴こえるという現象が起きているのです。
聴力が上がっているのかと思って測定してみましたが、聴力はむしろ悪化しています。
他の周波数が良くなったわけでもありません。
具体的な例を1つ挙げます。
我が家にはお仏壇があるので、リンの音は毎日のように耳にします。
チーンという、リンの音が、カチカチという叩く音にしか聴こえなくなっていたのが、最近、補聴器を外していても、耳を澄ませば、気のせいほどに かすかにですが、チーンと鳴っていることを感じるのです。
そしてカチカチの音が小さくなり、昔のような乾いた音には聴こえなくなりました。
今の私が聴いているリンの音は、実際の音には程遠いですが、音の余韻をかすかにでも感じられるようになったのはとても大きな変化です。
聴こえ過ぎていた低音が聴こえなくなったことで、消失したはずの音がかすかにでも感じられるということは、これまでもこの程度のチーンという音は耳に届いていたはずということです。
調べるとリンの音はそんなに高音ではないようで、1000Hzや2000Hzに聴力が残っているならば聴こえるようです。
ということは、今まで聴こえなかった理由は、低音だけが飛び抜けて聴こえていたからで、飛び抜けて聴こえていた低音が、小さくしか聴こえない音をかき消していたということになります。
現実の騒音下での声の拾いにくさが、自分の耳の状態で起こるなど想像もしていませんでした。
低音だけでも聴こえる私は有りがたいとずっと思っていたのですが、その低音に必要な音をかき消され、人よりも苦労していたかもしれないと思うと複雑な気持ちです。
聴力は音量よりもバランスが大事だと痛感しました。
音量は、補聴器である程度カバーできますが、バランスは補聴器ではカバーしきれません。
私のように低音だけが正常だと、その他の周波数に音を入れても、正常な低音の方が聴こえてしまうので、他の人ほど、補聴器の効果を得られていなかったことに、ようやく気付きました。
聴力低下は悲しいけれど、バランスが少し良くなったことは、喜びたいと思います。
但し、損傷している私の耳が 脳に届ける音は、クリアではなく、音質は悪いままです。
クリアな音は二度と聴くことはできないし、進行性なので、今の聴力をいつまで維持できるかも分かりません。
聴力の残りが少なくなってきたので、今後の変化は、失う一方かもしれませんが、これからもオージオグラムと自分の聴こえの変化は観察し続けようと思います。
今回も最後まで読んでくださりありがとうごいました。
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