からだのエッセイ 第2回
私はもともとは聴こえていて、大人になってから難聴になった中途難聴者。
それも急激に聴力を失うのではなく、段階を経てゆっくり低下する進行性の難聴で、軽度から中度、高度へと徐々に悪くなっており、真綿で首を絞められる系のスピードで進行中。
私は自分が難聴になるまで、耳が悪いと聞くと、大きな声で話したり、耳元で話したりすれば良いのだと思っていた。
テレビで、耳が遠くなったおじいさんやおばあさんに対して、そうしている風景をよく見るからだが、実際に難聴になってみると、あれは大迷惑な行為だった。
確かに音を大きくすれば聴こえる人もいるのだろうが、私の難聴は感音性難聴といって、言葉が歪んでしか聴こえないので音として聴こえても言葉として聞き取ることは困難。
なので、大きくすれば聞き取れるというものではない。
しかも難聴が進行すると、聴こえる音が減る一方で、うるさい音が苦手になる。
健聴な時には全く気にならなかった音が、割れるように頭に入ってきて、大き過ぎると感じることも多々ある。
だから、感音性難聴の人が聞き取れなくて困っている時に、いきなり耳元で大声を出す行為は拷問になってしまうので決してしてはいけないことなのだ。
この聴こえの問題は千差万別で、同じ感音性難聴であっても、聴こえの状態は皆違う。
低い音から高い音まで一律同程度に低下している人もいれば、低い音が極端に悪い人もいる。高い音がダメという人もいれば、低い音と高い音は聴こえるが中間の音が聴こえないという人もいて、本当に人それぞれである。
私の場合は、高音からアウトになった。
高音は聴こえない音があるのに、低音は普通に聴こえるという状態である。
どんな状態かというと、携帯電話やスマホのバイブ音は普通に聴こえるのに、セミの声は大群で鳴かれても聴こえないという状態。
音楽を聴くと、メロディは聴こえないのにベースの音だけは聴こえ、同じコードの繰り返しにイライラさせられるという状態。
今は殆ど聴こえなくなってきているけど、私の聴こえのバランスはそんな感じ。
普段、周りの人に理解してもらいたいけど、一番想像してもらいにくいのが“聞き取れない”という状態。
私たちが普段会話で使っている50音は、低音から高音まで様々な音が混じり合って構成されているので、どの音が抜けても、正確な言葉にはならない。
音が抜けるほど、言葉の形が不鮮明になって、ただの不明瞭な音にしか聴こえず、健聴な耳では聞いたことがないような音に聴こえるのである。
これを色で例えてみると次のような感じ。
紫には赤色と青色が入っていて、赤色が増えれば赤っぽい紫になるし、青色が増えれば青っぽい紫になる。
青が少なくなっても、赤が少なくなっても、元の正確な紫色ではなくなってしまう。
音声も同じで、「ムラサキ」という音声にはたくさんの周波数(音)が含まれていて、どの周波数が欠けても正確な「ムラサキ」という言葉にはならない。
色で例えると、紫なのに 紫でも 青でも 赤でもない中途半端な色を見ている感じなのである。
この他に健聴者の体験に一番近い例を挙げるとしたら、初めて外国に行って、初めて外国人の生の外国語に接した時の状態が似ているかもしれない。
聞き慣れない言語(発音)を始めて耳にした時は、何を言っているのかチンプンカンプンだったと思うが、感音性難聴の人はその状態が日常で、永遠にその状態が続くのである。
こういうことも難聴にならないと分からなかったことで、知らないことがいっぱいである。
難聴は見えない障害だとよく言われるが、見えない障害はそれこそたくさんある。
色覚障害なども理解されにくい見えない障害だと思う。
嗅覚障害や味覚障害も普段考えられることのない障害なので、どんな問題が潜んでいるのか考える人は殆どいないだろう。
障害を負ったおかげで、いろんな障害に興味を持てたことは人として良かったと思っているが、それは綺麗事。
やはり障害を負うというのは絶叫したい悲しみがある。
今まで普通にやれていたことが、ある日突然できなくなるのだから絶望もする。
私の場合はゆっくりだったので、いつかは止まるという思いの方が先行して、仕事も生活も聴こえている時の状態のまま路線変更せずに来た。
「諦めてはダメだ」「何とかできる」などと励ましてきたが、耳が聴こえないことがマイナスに働く仕事で努力するのにはやはり限界がある。
出来ないことを出来ないと認めた時、心がとても軽くなった。
出来ないことにいつまでもすがるより、出来ないことはサッサと諦めて、出来ることに専念して、楽しく生きるのが一番だと今は思う。
《自分への格言》
努力しても出来ないことに頑張るのは時間の無駄。
サッサと諦めて、自分が出来ることに専念しよう!