自分のことを知ろう!「身体症状から自分を探る」

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からだのエッセイ

からだのエッセイ 第11回

数年前のある日、私は1冊の本から、自分の問題点と向き合うきっかけをもらいました。
人は時々思い込みで、他人の助言をシャットアウトしてしまうことがあります。
他人に説教めいたことを言われると、「そんなことは知っている」とか「自分は違う」とか「そんなことは考えてやっている」など拒否反応が出る人は少なくないと思います。
説教でなくても他人に意見されるのを好まない人もいるでしょう。
かく言う私も、そんな人間の1人でした。
そんな私に、自分と向き合うきっかけを与えてくれた本があります。

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■「病気が教えてくれる、病気の治し方」

私に自分と向き合うきっかけを与えてくれた本とは「病気が教えてくれる、病気の治し方(スピリチュアル対症療法)」というタイトルの本で、病気の症状から意識の問題を見つめている本です。好き嫌いはあると思いますが、個人的にはおすすめの本です。
この本は二部構成で組み立てられていて、第一部は病気の哲学と理論の説明、第二部は各病気の症状の解説です。
第一部では、両極性など説明が難しい話を様々な例で解説していて、深い内容を簡潔に分かりやすくまとめています。哲学的な話が好きな人なら、第一部は面白く読めるのではないかと思います。
ただ残念ながら、今は中古本でしか手に入らないようです。

どういう内容の本なのか少し触れますと、タイトルに“病気の治し方“と入っていますが、病気の治療法の本ではありません。健康に生きるためのヒントが書かれた本という感じでしょうか。
考え方としては、病気とは全体の調和の乱れであり、意識のレベルで起こった乱れが症状となって体に現れると考えています。
症状を引き起こしている根本的な問題は意識にあると考えているので、症状の解説では、どういう意識の問題を抱えているのかのヒントが書かれています。ですから、私は自分が向き合うべき問題点を探る時にひとつの意見として参考にしています。

少しだけ、この本の考え方の根本になっている「両極性」の話をさせてください。

◇両極性の話

人は自分とそれ以外というふうに線を引いて世の中を認識しています。
比較対象が無ければ事物を認識することはできないので、私達は世界を必ず2つに分けて見ています。たとえば、自分と他人、内と外、善と悪、正と誤など。私達は常にこういった両極性に縛られているのです。

以下の 『 』 内の文章は、本からの引用です。両極性に触れる前に「病気と症状」の説明について少し抜粋しておきます。
健康になるために欠けているものを示してくれるのが症状である。』
『《病気と闘って克服する》と《病気を変換する》のあいだには違いがある。治癒するには、病気を変換するしかない治癒とは、完全な意識の状態に近づくことである。』
『治癒するには欠けたものを組み入れるから、かならず意識の拡大をともなう。』
病気と治癒は、対になる概念で、どちらも意識の状態をあらわすものなので、体については使えない。体は病気にもならないし治癒もしない。意識の状態が反映されるだけである。』
『この点でも西洋医学はまちがっている。治癒の起こるレベルには触れずに治癒を語るからだ。西洋医学は機能レベルの処置に限られている。つまり、可能な範囲で物質レベルに介入しているのである。このレベルで見れば、驚くほどの成果をあげることもある。』

ここで誤解のないように補足しておくと、この本は西洋医学を否定しているわけではありません。身体的な処置で多くの人が救われているように、病院の処置が必要な時は病院へ行ってください。
この本が定義している「病気」は、病院でつける「診断名(病名)」のことではなく、その症状を引き起こした根本の原因(意識)を指しており、そこに目を向けて変えていかなければ 本当の意味での治癒には至れないということを書いています。

上記の抜粋文の中に出てきた「完全な意識の状態」や「欠けているもの」といった抽象的な話を理解するためには「両極性」「単一性」を理解する必要があります。
以下の『 』内の文章は引用です。(「両極性と単一性」の項目から抜粋)
『両極性に縛られた意識は、すべてをふたつの相反するものに分ける。ところが反対のものは両立しないので、片方を肯定して、もう片方を否定することになる。片方を否定するということは、片方を除外することを意味する。こうして人は確実に不健康になっていく。なぜなら欠けたもののない状態が健康だからである。』
病気とは両極性であり、治癒とは両極性の克服である。』

両極性については、次のようにも説明しています。
私たちは両極的な意識を持っているため、世界がふたつの極をもったものに見える実際には両極的なのは世界ではなく私たちの意識である。この意識をとおして世界を見るから世界は両極的に見えるのである。』

本の中では単一性も語られています。
健康や治癒を理解するためには、単一性のことも理解しておかねばならないからですが、これは数行で説明するのが難しいので説明は省きます。
仏教でいう「無」の世界などがこれに当たります。

私の解釈になりますが、私達が物事を認識するためには2つの極が必要です。単一性には認識がありません。この世に生きている以上は認識をなくすことはできませんから、私達は普段から両極に揺れ動いている思考や行動のバランスを意識することが大切なのだと思います。
両極にバランス良く揺れ動いている内は健康で、それが大きく偏るとバランスを取るために症状が出るのだと捉えています。
この理論は身体の健康問題だけではなく、世の中を見る上でも役に立ちます。環境問題も経済の問題も均衡が崩れれば世界は病みます。
現代は日増しに、バランスを崩し、それが環境問題や貧困問題を引き起こしています。便利さを貪欲に欲せば自然は破壊されるし、莫大な富を手にする人が出てくる社会は貧困に喘ぐ層を生みます。これらが度を越した瞬間に、大災害や戦争といった取り返しのつかない現象が引き起こされてしまうことでしょう。
人の体に限らず、両極のどちらかに極端に偏れば病むのです。
どんな場合でも、健康な状態を取り戻すためにはバランスを取り戻す必要があります。そのバランスをコントロールしているのは意識なのです。

◇私の使い方

私は聴覚障害だけでなく、いろいろな慢性症状に悩まされています。
自分に現れた症状の解説を読むと、例えば「目をそむけたいのは自分の姿のどの部分か?」「主観性が強くて自己認識ができないのではないか?」など問いかけの文章が書いてあります。パッと読むと「そんなの私には関係無い」と読み飛ばしてしまいそうになる項目もありますが、パッと読んで「無い」と思った項目ほど、「有る」と思って丁寧に自分の日頃の行いを振り返るようにしています。すると今まで気付かなかった自分の欠点を発見できることがあるのです。
私にとっては、解説内容が合っていても間違っていても、それはどちらでも構わないのです。
自分にとってのアンバランスを1つでも見つけることができたならラッキーなので、この本に書かれた指摘を素直に受け入れて、自分の行動を見つめ直すことにしています。
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■難聴の私の話

私がこの本の第二部の「病気の症状と解釈」を活用するようになったきっかけを少しお話します。

◇自分を客観視することはできない

私達は、普段、周りの人について、あの人は真面目だとか優しいとか、仕事ができるとかできないとか、いろいろなことを評価しています。
そして自分の性格も、自分はこんな性格だとイメージを持っています。
ところが、自分が思っているイメージと他人が自分に対して持っているイメージは必ずしも同じではありません。時に他人の評価の低さにガッカリすることもあります。
人は勝手なもので、自分が思っているより高い評価を受けたら「そうかなあ」と言いながら、取りあえず受け入れます。
ところが悪い評価だった場合は、「どうせ他人には分からない」とか、「理解してもらえてない」と腹を立てたりします。

世の中の多くの人は、良くも悪くも自分のことを一番よく知っているのは自分だと考えています。確かに内面のことではそうでしょう。だけど、外から見た自分を一番知らないのは自分なので、果たして自分のことが分かっているのかは疑問です。
私達は、自分のことを外から観察することはできません。人間関係がうまく行かなかったり、誤解されたり、思った以上に他人から低い評価をされていると感じた場合は、自分が思っている自分と、他人の目に映っている自分とに大きなギャップがあるのかもしれません。そして、どちらが現実かというと、他人の目に映っている自分の方が現実ということになります。
なぜなら、自分が考える自分とは、あくまで自分の思考を通して想像したイメージでしかないからです。

現実の姿を客観視する方法の1つに、ビデオで自分を撮影してもらい、後で 映像で確かめる方法があります。アスリートなどはこの方法で自分の動きをチェックしていますが、普段の生活を四六時中撮影するわけにはいかないので、日常のチェックには使えません。
すなわち、大抵の人は、自分の自然な姿を自分の目で確認することはできないということです。

◇気付けなかった自分の欠点

私は人一倍、人の話を聞くタイプだと自分では思っていました。
なぜなら、友人や知人に悩みを打ち明けられたら、私は共感できるまで話を聞くからです。
仕事での営業スタイルも、まずは相手の要望をひたすら聞いて、売り込むための突破口を探るタイプでした。相手を説得したい時は、とにかく相手の話を聞きます。相手の思考に合わせなければ説得などできないからです。

自分が意識しているところでは、私は聞くことに徹していたため、自分は聞くタイプだと思い込んでいましたが、実は私は人の話を聞かないタイプだったようです。
目的がある時だけ聞いていて、関心がない事や、結論が分かっていると思っている時は、相手の話を聞いていません。
聞かないでおこうと思って聞かないのではなく、無意識に聞いていないので、人の話を聞かない自分の存在になかなか気付けなかったようです。
特に難聴が悪化してからは、聞きたくても聞けないという現実の壁にぶちあたっていますから、なおさら話を聞かない自分の存在に気付けなくなっていました。

◇本から得たきっかけ

そんなある日、「病気が教えてくれる、病気の治し方」のある一文が目にとまりました。
本棚に並んでいるこの本を、ふと手に取ってパラパラめくっていたら、たまたま開いた頁が耳の項目で、そこに書いてある文章に目が釘付けになってしまいました。
書いてあった内容は以下です。
————————–
耳または聴覚に問題がある人は、次の点について考えてみよう。
一、なぜ人に耳をかすことができないのか?
二、誰に(何に)従いたくないのか?
三、自己中心と謙遜というふたつの極は自分のなかでバランスしているか?
(「病気が教えてくれる、病気の治し方」より引用)
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この文章が目に入ってきた時、私はドキッとしました。
私は進行性難聴で 難聴に苦しまない日などありませんから、以前にも目を通したことはあったと思うのですが、たぶんその時は「ふ~ん」と読み流してしまったようです。
ところが今回はいきなりそのページが開いたので、「何か意味があるのだろうか?」と引っかかるものがあり、しばらくその文章を見つめて考え込んでしまいました。
その頃は、職場で極端に低い評価がなされて、なぜだろうと少々落ち込み気味だったこともあり、この問いかけにグサッとくるものがあったのです。
なので、謙虚な気持ちで、普段の自分を振り返ってみることにしました。

すると、自分では人の話に耳を傾けていると思っていたのですが、他人からよく「人の話を最後まで聞け」と言われることが多いことに気付きます。
自分では自分を抑えて周りに協調するように努力していると思っていましたが、納得できないことに従えるほど従順ではなかったことに気付きます。
控えめに振舞っているつもりでしたが、間違っていると思えば、黙っていられず間違っていると伝えてしまう自分に気付きます。
難聴が悪化してからは、自己主張をせず、出世は人に任せるという気持ちでやってきましたが、支え手として頑張ろうという思いや行動は、実際には自己主張に映っていたかもしれません。

「人の話を聞かない」というのは、「耳が聴こえない」こととは違う次元の話です。
相手の話を知りたいと思う、相手の話していることを理解しようとする、その姿勢と思いがあれば聴こえなくても、話を聞くことはできるのです。

実際に、その後に謙虚な気持ちで、人の話に耳を傾けるようにしていると、自分のどういう言動が相手に反感を持たせるのかということも話してもらえましたし、喧嘩ばかりの相手ともコミュニケーションが取れるようになってきました。
気付くことで、人間関係も変わるのだと実感しています。

◇(参考)頭痛・腎臓の疾患・感染症・アレルギー

本のカバーに4つの疾患の問いかけ例が載っていたので、参考に貼りつけておきます。
なぜ、この問いなのかは、解説を読まねば分からないと思いますが、症状の原因がこの中にあるのだと考えれば、わりと真剣に自分を振り返ることができます。
コツは問いを否定しないこと。
関係ないと無視したくなる問いほど、自分の問題点を秘めています。
そして即答できる答えは答えではないと考えること。
即答できる答えは今の自分の狭い視野でしか捉えていないことが多いです。
他にあるはずだと、別の視点で、じっくり考えることが重要です。


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■最後に

今の私は、過去の自分の延長線上に生きています。
原因不明の難聴を発症したのは、20代の頃で、当時は耳にストレスのかかる仕事をしていました。医学的には原因不明でも、精神的苦痛と耳に受けていたストレスが引き金になったことは間違いないでしょう。
以来、私は難聴の原因を聞かれたら、仕事のストレスのせいだと答えてきました。
そして、難聴に関しては、自分自身で直せる問題があると考えたことはありませんでした。

ところが、この難聴の問題を両極性の問題でとらえてみると、いろいろ課題が見えてきます。
聴こえていた時の私は、自分の意見に絶対的な自信を持っており、誰よりも自分が正しいと思っていました。この過剰な自信は大きくバランスを欠いていたと思います。
絶対的自信が悪いのではなく、その自信が自分の視点でのみ肥大していたことに問題があるのだと思います。
人の話に耳を貸さないというのは、言葉を聞いていないという物理的なことを指すわけではありません。
自分の視点でしか話を聞かないのも、聞いていないのと同じです。
話を聞く時は、話す相手の視点に立って聞こうとする努力が大切なのです。
「分かった、分かった」と言って、分かっていない人はよくいますが、まさに私も同じだったわけで、今の自分が分かる範囲のことしか受け付けなければ 何の進歩もありません。

この本で難聴を治せるとは思ってはいませんが、いろいろ気付くと心は軽くなっていきます。
自分が変わると周りの反応も変わります。
自分が気付いていない欠点と向き合うことは最初は抵抗がありますが、それを受け入れ、心がバランスを取り戻すと気分は前向きになります。

それが分かっていても、人から欠点を指摘されるのはやはり気分の良いものではありません。
だから私はこの本を辛口のアドバイスをしてくれる友人として、これからもお世話になろうと思います。
いつかは不要になることを夢見ながら。

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