ナンチョーな私の気まぐれ日記(44)声が・・・・・・

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ナンチョーな私の気まぐれ日記

体は使わないと衰える。
衰えの速さには年齢も関係しているだろう。
私も悲しいかな努力しないと何もかもが重力に負けるお年頃になり、使わない部位は急激に衰えていると感じる。

学生時代にスポーツをしていたので、一般的な筋力の低下は20代から感じていたが、30代40代と年を重ねるにつれて、体の線は崩れるし、筋肉がいつの間にか脂肪に置き換わっているし、近年は意外な筋肉に衰えを感じて「嘘でしょ!」とショックの連続である。
今日はちょっとその話。

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■喋らない生活

私は20代で進行性の難聴を発症しました。
元々は健聴で、ゆっくり進行したため、中等度前半までは飲み会ではしゃいだり、カラオケで歌ったり、それなりに健聴時代と同じ生活を楽しんでいました。
感音性難聴なので聞き取りにくくはなっていたけれど、お酒が入ると私もリラックスするし、みんなの声も大きくなるので、普段の会話よりもお酒の席の方が楽しく話せた時期もあって、会話の聞き取りに限界が来るまではよく飲みに行きました。
ちなみに仕事も人前で話す仕事をしていて、打ち合わせも多かったので、人と話さない日はありませんでした。

ところが、中等度半ばを超える頃には、飲み会が苦手になりました。
静かな所で1対1で話すなど少人数なら話はできても、ざわついた所で声を拾うことができなくなったので、飲み会での会話が難しくなったのです。
その頃は割と得意だったカラオケも苦手になっていました。
イントロが正しく聴こえないので音程も掴めなければ、歌い始める場所も分からず、皆が助け舟を出してもその声が更に混乱を招き、歌い出すことができなくなってしまったのです。
これはショックで二度と人前で歌うのは止めようと思いました。
やがて、普段の会話も出来なくなりました。
声が届かない時もあれば、声は聴こえても何を言っているのかさっぱり分からないということが増えたのです。
いつしか雑談も避けるようになりました。
会社のランチは仲間数人でとっていましたが、皆の会話が知らない外国語のように意味不明で、まるで見知らぬ外国人に囲まれているような孤独と疎外感が辛くて、食事も1人で食べるようになりました。

そうやって、普通の日常会話が、私の生活から消えて行きました。

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■声が出しづらい

人との会話が減っても、私の仕事は大きな声で話さなければならないことが多かったので、しばらくは発声で困ったことはありませんでした。
だけどこれも難聴の悪化で質疑応答が難しくなった頃から、出来る限り人前で話す仕事を減らしてもらうようにしたので、私が声を発する量は一気に減って行きました。
今、振り返ると、その頃から声が出にくくなることが出始めていたような気がします。
やがて、完全に内勤に変えてもらうと、仕事で人と話すことも殆ど無くなりました。
基本的にメールでやり取りするので、誰とも話さない日もあります。
そんな生活を続けていたせいか、最近、声が出にくいと感じることが増えました。
声を出そうと思うと掠れたり、出にくかったりで、時に老婆の声のようになることもあって、これは大変ショックです。

使わないと退化する・・・。
話さないから声帯が退化したのでしょうか・・・?
年齢的にも若くない私は、このままでは一気に退化してしまうと、今、大焦り中です。

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■声帯を鍛えるぞ!

会話のキャッチボールが出来ない私は、会話量を増やすことは難しいため、これまでも毎朝数分朗読する程度の努力はしていました。
だけど、これだけでは全然足りなかったようです。
皮肉にもその朗読で、自分の声帯の衰えを知ったのです。
なぜ気付いたかというと、いつもより大きな声で読もうとしたら声が出なかったからです。

これはヤバいなあと思った時に頭に浮かんだのが、少し前にテレビ番組で見た”ペットボトルに水を入れてストローをさしてぶくぶくやっていた方法”でした。
「これだ!」と早速ネットで「声帯を鍛える」で検索してみると、いろいろな方法が出て来ました。
根気のない私は簡単且つ短時間でないと続かないので、自分のやりやすいように適当にアレンジして実践し始めました。

最初にやり始めたのは「う~」と言いながらぶくぶくを5秒間×10回という方法。
声の高さによって使う筋肉が違うようなので、いろいろな声の高さで「う~」と言いながらやっていました。
だけど5秒間とか10回とか数えるのが面倒で、今はドレミファソラシドを低音から初めて可能な限り高音までぶくぶくして、限界の高さから今度は低音に向けてドシラソファミレドと低音の限界までぶくぶくしています。吐き出す息の長さは適当です。
ちなみにこれをする時は補聴器を取ります。
補聴器をすると自分の声は聴こえるけれど、その音が狂って聴こえるので、ドレミファソラシドにならなくて発声しにくいのです。
補聴器を取ると記憶している感覚で声を出すことができます。
高音は完全失聴しているので どれだけ大きな声を出しても音は全く聴こえないため、思わず声を振り絞ってしまいますが、どれぐらいの声が出ているかは自分では分かりません。
聴こえている音を含めて正しくドレミファソラシドと発声できているかも分かりません。
だけど今は正しいよりも、声帯が衰えなければそれで良いので、喉の記憶頼りにやっています。 

最近は、好きな曲を「う~」でぶくぶく歌うこともあります。
歌いながらぶくぶくすると、喉を鍛えているというより、肺を鍛えているような気がします。
カラオケで歌っていた頃を思い出しながら熱唱する時もあって、そんな時はペットボトルの口を指で押さえていても隙間から水が噴き出します(笑)
自分では、ペットボトルの水の中に音を吐き出しているので、近所迷惑なほどの声は出ていないと思っていますが・・・・・・大丈夫かなあ (^^;)
余談ですが、歌に関してはちょっと不満になることがあります。
いろいろな曲を思い出しては歌っているのですが、途中のメロディを忘れている曲もあり、そういう時は耳で聴いて思い出したい気持ちになりますが、それは私には出来ない・・・・・・。
もうこれ気になり始めるといつまでも悶々とします。
歌える歌があるだけマシと思えば良いのでしょうが、気持ちのコントロールはなかなか難しいものです。

とにもかくにも声帯が元気を取り戻すことが先決。
めげずにぶくぶく続けます。

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■口の中を噛む(余談)

余談ですが、ここ数年、自分でもびっくりなトラブルが続いています。
その中の1つに、食事中に口の中を噛むようになったことがあります。
「なんでこんな所を噛むの?」という場所を噛んでしまうのです。
口内が脹れているのだろうか?と 口内を観察してみるも口の中に特に変化はありません。
「なぜだ?なぜだ?」と考えていて、「もしかして舌の動きが衰えているのか?」と思った私は、取りあえず良さげな舌の運動を探して始めてみたら噛まなくなったので、どうやら舌を使う筋肉の衰えや舌の柔軟性の低下が原因だったようです。
ちなみに舌は会話する時にも使う部位。
話す量が減ったことが影響したのかどうかは分かりませんが、話さなくなると舌の運動不足が起きても不思議ではないので、舌の運動も毎日少しだけですが続けています。

悲しいかな、私達の体は使わないと退化します。
神経の使い過ぎは良くないですが、筋肉と脳については負荷を与えた方が鍛えられるので、積極的に鍛えるように心掛けています。
と、偉そうに書きましたが、元が不精なのと、飽き性なので、複雑だと心が折れるし、増やし過ぎると嫌になって続かないので、簡単なものを数分という運動量です・・・(^^;)
ちょっと少ないと思わないでもないですが、やらないよりはマシです。
短時間でも効果があって、尚且つ楽しい方法を模索しながら運動は続けたいと思います。

今回も最後まで読んでくださりありがとうごいました。
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[前回のナンチョー日記]
  ↓
ナンチョーな私の気まぐれ日記(43)難聴の人生を振り返る

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