ナンチョーな私の気まぐれ日記(46)障害を受け入れるのは本人より周り?

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ナンチョーな私の気まぐれ日記

人生は決して楽ではありません。
障害の有無に関わらず、誰もが努力して自分の道を切り拓いていきます。

健康でも大変ですが、障害を負うともっと大変になります。
障害とは生きるのに必要な機能が極度に足りないか失われているために自力ではどうしようもないことがあるからです。
なので、健常者が苦手な課題に取り組む困難と、障害者が障害を克服する困難は全然違います。

一般に健康な人の場合、目標を立てたなら「諦めるな!」とアドバイスされることが多いと思います。
障害者の場合も自分で立てた目標を頑張るのは同じで それは「諦めるな」となりますが、中途障害の場合は、健康な時にやっていたことが機能面で出来なくなることがあります。
この場合、「諦める」ことが次へのステージに進む最初の一歩になります。
とはいえ、夢見ていた未来を諦めるのは辛いです。
頑張っていた人ほど、激しく落ち込み絶望します。

たまに、障害と闘う人をチャレンジャーと表現している人を見かけますが、私はその言葉はあまり好きではありません。
多くの障害者は チャレンジしているわけではなく、生きる望みを持つために、ただただ必死なだけだからです。

もしも可能なのであれば、今まで自分1人でやれていたことは、同じように1人でやりたいです。
皆が当たり前のように出来ることが 出来ないのはとても辛いことです。
それでも、障害を負ってしまえば、どれだけ頑張っても 出来ないことが出てきます。
人に助けを求めるのはとても勇気の要ることですが、勇気を出してフォローを頼んでも、“甘えるな扱い”されたり、嫌な顔をされたりすることが多々あり、それを繰り返して行く内に生きて行く自信をなくしたりします。

今回は身体面の話ではなく、メンタル的なことを話します。

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■障害を乗り越えるとは?

障害者の話になると、『障害を乗り越える』という言葉を耳にすることがよくあります。
いったい『障害』とは何でしょうか?

『障害・障碍』の意味を辞書(広辞苑)で引いてみると、以下の意味が書いてありました。
①さわり。さまたげ。じゃま。(例:障害を乗り越える)
②身体器官に何らかのさわりがあって機能を果たさないこと。
③障害競走・障害物競争の略。

障害者は②に該当しますが、人の持つイメージはいろいろです。

私は大人になってから進行性難聴を発症しました。
最初は軽度で、徐々に低下して障害者の仲間入りをしました。
元々が健常で、あまり障害者と関わることもなかったせいかもしれませんが、私が「障害」の言葉で浮かぶイメージは、障害物競走です。
だから「障害を乗り越える」と聞くと、私は難聴という目の前の障害物と闘うイメージです。
言い換えると、健常者はフラットな道を歩くのに対して、障害者は障害物のある道を歩くというイメージなので、私は障害という言葉に抵抗はありません。

ところが、障害者の中にはこの「障害を乗り越える」という言葉を嫌悪する人が少なからずいて不思議だったのですが、辞書を引いて「なるほど」と思いました。
私が考える障害のイメージは③番ですが、「障害を乗り越える」の例文がついているのは①番です。
これだと邪魔な物を乗り越えるになるので、障害者は邪魔者だと言われているように感じるのも分からなくないなと思いました。

そして、あれこれ考えていて、そもそも「障害って乗り越えられるのかな?」と考え込んでしまいました。
障害は 自分自身ではどうすることもできない問題なので、その道を諦めて別ルートを探すか 助けてもらうかになりますから、“障害を乗り越える”というのは適切ではないと感じたのです。
乗り越えられるのであれば、それは障害者レベルの障害ではないのでは?とも思いました。

ちなみに、障害を乗り越えるとは、一般には“自分の障害と向き合い、困難を克服する”ことを指すようです。
今の私は、精神的には乗り越えた気はしますが、身体的に乗り越えた感は全くありません。

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■そもそも障害者とはどういう人?

世間一般では身体障害者手帳を取得しているレベルの人を障害者と言います。
今の私は手帳を持っていますが、当事者感覚では 手帳を取得したから障害者になったわけではありません
逆に手帳を取得できるレベルの障害を持ちながら、頑なに自分は障害者ではないと言い張る人もいます。
手帳は福祉のサービスを受けられるか受けられないかの違いでしかなく、障害者と思うか否かは心の問題ということになるのかもしれません。

ちなみに 日本の聴覚障害の認定基準は非常に厳しく、しかも聴こえを総合的に判断していないため、障害者に認定されている人より、認定基準に満たない人の方が機能的に厳しい生活を強いられているケースも少なからずあります。

私も 自分のことを障害者だと感じるようになったのは、手帳を取得する前でした。
聞き取り困難な状態が限界を超えて、相手の話を推測するための部分的な単語さえ正しく聞き取ることができなくなってしまったからでした。
そこに至るまでは、自分は『難聴という病気』という認識で生きてきました。
聴力低下に絶望しながらも、努力で工夫しながら何とかカバーできている内は 障害の障の字も浮かびませんでした。
だけど、進行していればいつかは限界が訪れます。

人に助けてもらわねば 自力で解決するのが困難になった時、私はどうしようもない状況に追い詰められて行きました。
いつの間にか、どうしたらフォローしてもらえるかと、助けてもらえる方法を考えるようになっていました。
そんな追い詰められた日々を過ごしている内に、ふと頭に浮かんだのです。「私は障害者」だと。

この自覚のきっかけは、このままでは路頭に迷うという恐怖からでした。
私は聴こえないと困る仕事をしていたので、聴こえが限界を超えた時は、仕事を失う可能性がありました。
仕事の内容は詳しくは書きませんが、得意先で質疑応答を受けるところまでが私の仕事だったので、相手の質問が100%聞き取れないというのは致命傷だったのです。
それまでは、極力質問を受けずに済むように説明を工夫し、質問に対しては僅かに聴こえる単語からの推測と、多少話を外しても違和感が出ないように言い回しに工夫することで凌いでいました。
耳以外の使える機能は全て使って凌いでいたわけですが、100%聞き取れないとなると、これはもうお手上げです。
同行者に「質疑応答の内容を、単語だけで構わないからメモで伝えてほしい」と何度も頼みましたが、それを実行してくれる人はいませんでした。
私は大失敗してしまう前に、今の仕事から退きたいと考えるようになりました。

だけど、小さな会社では1人1人が戦力。
自分の業務の重要な部分を放棄するとなると、会社をクビになる可能性もあります。
そうなった場合、新たな仕事を探さねばなりません。
そのことを考えた時、気付いてしまったのです。
今の私は”面接官の声も聞き取れない”ということを。
話を聞き取れない状態で、しかも今までやっていた仕事とは異なる新たな仕事を求めるとなると、採用の可能性は限りなく低くなります。
それに、運良く採用になったとしても、現場に難聴への理解がなければ、仕事の指導や指示は音声で行われることになります。
指示をもらうだけの簡単な仕事ほど、私にとってはハードルが高いということに気付いた時、目の前が真っ暗になりました。

健聴なままだったならば 考えたこともなかったであろう「聴こえない」問題。
普通なら出来て当たり前の「聞く」という行為ができないことで、身動きが取れない状態になっていることを自覚した時、『障害』という言葉が浮かんだのでした。

その後、ある人から身体障害者手帳の取得をすすめられ、手帳を取得すれば障害者雇用を使えると知ってから、真剣に手帳の取得を考えるようになりました。
しばらくは、綱渡りのような日々を送りましたが、手帳取得後、ドキドキしながら障害者になったことを会社に伝えました。結果は・・・何も変わりませんでした。
変化と言えば「聴こえない」ということを堂々と言えるようになって、少しだけ気が楽になっただけでした。
”自分から辞退しないと、そのままなのか・・・”と思いながら、それまでと同じ仕事をもう少し頑張ってみることにしました。

私が自分の体験から思うのは、障害とは どれだけ努力しても自力ではどうしようもなくなった状態を指すのだと思います。
どこで追い詰められるかは、その人の取り巻く環境によるので、障害者と思うか否かの感覚は人によって異なりますが、健常者の“出来ない”と、障害者の“出来ない”は明らかに違うことだけは確かです。
そしてそれは手帳の有無ではなく、機能の問題です。

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■理解されにくい難聴

元々健聴で、難聴発症当時は軽度。そこから徐々に進行している私は、重度以外のあらゆる段階の難聴を体験したことになります。
あらゆる段階を味わって思うのは、たとえ軽度でも当人にとっては辛いということです。
なぜなら、当人は今よりも聴こえている状態の記憶しかないからです。
「重度よりマシ」と、他人に言われたところで 慰めにもなりません。
他人の聴こえを体感することは出来ないので、私達が比較するのは常に自分の過去です。
「昨日まで聴こえていたのに」「昨年までは電話応対できたのに」といった具合にです。

しかも、難聴は見た目では分からないので、周りの人は 音に対する反応が普通であれば、自分と同じように聴こえると考えます。
なぜなら、健聴者は、難聴は“音量が不足して聴こえないだけ”と考えているからです。
そのため、補聴器をすれば普通に聴こえると思っている人が多いです。
だけど実際はそうではありません。

難聴者の多くは感音難聴といって、聴こえる音が狂っているので、音量よりも言葉が聞き取れなくて困っています
この『聞き取り困難』は、健聴者には理解できないようです。
「聴こえる音が壊れている」といくら説明しても、健康な耳では決して味わうことのできない症状なので、これは仕方のないことかもしれません。

そのため、音に反応している人は、普通に聴こえていると思われ、難聴なのでフォローや配慮をお願いしますと頼んでも、スルーされてしまうことが多いです。

余談ですが、今よりも聴こえていた昔、私は難聴を伝えるのを止めたことがあります。
会社の同僚などに難聴だと伝えると怪訝な顔をされ、一瞬ですが線を引かれるような空気が流れるからで、若い時ほどそれが嫌でした。
徐々に聞き取れないことが増えて、助けてもらわないと情報が入らなくなっても、仲間外れが嫌で、無理してでも、今までと同じように人と接していた時期もあります。
だけど、私の難聴は進行しているので、どんどん悪化していきます。
悪化とともに難聴だと伝えることが増えましたが、周りに配慮の変化はありませんでした。
そのため、聞き返しても聞き取れない状態に突入した頃から、場の雰囲気を壊さないために、聞こえた振りで話を流すことが増えました。

ちなみに、私に限らず、聞こえた振りをする難聴者は多いです。
これは聞き返すと相手が不機嫌になるからで、難聴者だけが悪いわけではありません
耳が健康な人でも、聞き逃したことを聞き返すことはあるので、 “聞き返し=難聴”とは普通は考えないようです。
聞き返しが多い人に貼るレッテルは、「話を聞いていない」「集中していない」「理解力が悪い」など、悲しいレッテルです。
こちらは 聞き取れない言葉を推測するために、口の動きや表情など音声以外の情報をかき集めて、頭フル回転で必死に話を推測しているのに、あまりに悲しいレッテルです。
何度も聞き返すと大声になる人がいますが、その大声は配慮ではなく、苛立ちによる怒鳴り声です。
この怒鳴り声は、音が割れて、却って聞き取れません。
そんなんで、聞き返しても絶対に聞き取れない自信(変な自信ですが・・・)がある時は聞き流します。

狂って聴こえる発音は 何度聴いても狂っているので 同じ言葉を繰り返されても分かりません。
だけど聞き返すと健聴者は十中八九 同じ単語を繰り返します。
そして、1回目の聞き返しは快く応じてくれても、2回目になると怪訝な表情になり、3回目になると大抵の人は不機嫌になります
そして4回目になると怒り出す人が一気に増えるので、聞き返しも3回が限度です。
そういう相手の嫌な反応を何度も浴びている内に、難聴者は何度聞いたところで 聞き取る自信がない時は、最初から諦めるようになるのです。
誰でも負の感情を浴びるのは嫌ですからね。

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■自他ともに障害を受け入れる

今の私の職場は、昔に比べると、私の難聴の理解度は格段に上がったと思います。
上がったといっても、ようやく難聴を受け入れてもらえたというレベルですが、聴こえないことを責められないだけで、天国のように幸せです。
それほど、受け入れてもらえるまでの道のりは険しかったということです。

ここで、何をきっかけに変化したのかを振り返ってみます。

自分が障害を受け入れていない時は、当然、他人も受け入れることはありませんでした。
それは当然のことで、自分が障害者だと思っていない時は、難聴が悪化しながらも健聴者と同じであろうと工夫しながら頑張るので、自分が努力した分、周りの人には普通に聴こえているようにしか見えなかったと思います。
悪化して自力だけでは無理になっても、私が皆と同じであろうとするから、少し悪いぐらいにしか思われなかったのかもしれません。
本人がプライドを捨てきれずに格好をつけている内は、「助けて」のお願いが届かないのは当然のことなのかもしれません

自分が受け入れたからといって、自動的に他人が受け入れるわけでもありません。
私は、“自分は障害者である”と認めた途端、弱気になりました。
他人に弱さも見せましたが、弱くなったからといって他人が自動的に助けてくれるわけではありませんでした。
自分が障害であることを認めていても、心の奥では障害を欠陥と思う気持ちがあって、私自身が障害を受け入れきれていなかったのだと思います
そのせいで私は必要以上に自分を卑下した時期があります。

そんな私にも変化が訪れました。
過去の自分を諦めて、聴こえない自分を受け入れた時です。
手帳を取得した(障害者雇用が使える)ことで、いつでも会社と交渉できるという気持ちが支えになり、同じ仕事を続けていたのですが、相変わらず配慮を求めても 一切の配慮なく 矢面に立たされる綱渡りのような生活を送っていました。
ストレスでボロボロになった私は、ある日「聴こえないものはしょうがない!」と開き直りました。(私は精神が病みそうな一歩手前まで落ち込むと、突然、開き直ってしまうタイプです)

私が開き直ると強いです。(もう、どうでも良くなっているので)
それまで頭を下げて配慮をお願いしていたのが、「聴こえないことのフォローをしてくれないのなら、得意先へは同行しない」とはっきり伝えるようになりました。
最低限の配慮は、予め先方に私が聴こえないことの了承を取ることで、これをしない人の仕事は一切断りました。
評価が落ちようが、仕事がなくなろうが、無理なものは無理です。

それまでは、仕事に関しては「できない」という言葉を断定形で使うことはなかったのですが、「できない」「無理」という言葉も使うようになりました。
現実問題、聴こえないのに、“話を聞け”と言われても無理ですから。
この時、ようやく、自分の障害を受け入れたのだと思います。
「できないものはできない」だけど「できることは今まで以上にする」という意識の転換です。
今までの自分を諦めたことで、奈落の底を這いずり回っていた精神状態から一気に浮上です。
弱気なお願いから、突然 強気な姿勢に変われば嫌われるだろうなと思っていたのですが、幸い私にとって強気の姿勢はプラスに働きました。
フォローしないなら断るというのは、フォローさえすればこれまでと同じように受けるということですから、条件として出した最低限のことはしてくれるようになりました。
はっきり伝えることは大事だなと、この時に思いました。

だけど、理解への道は、まだまだ遠く、聞き取れないことへの配慮はありませんでした。

逆の立場で考えてみれば、これも当然のことかもしれません。
人は特別な好意を持っている場合は別として、一般に他人の事情には無関心です。
「難聴です」と伝えたところで「ふ~ん」と思う程度で、いきなり配慮を求められたなら面倒なだけです。

そんな中、周りに変化が生まれました。
変化が出始めたのは、補聴器だけでは完全にお手上げになって、様々な集音器を買ってはスマホに繋いでゴソゴソやり始めてからです。
当時も音声を文字にするアプリはあったのですが、打ち合わせに使えるレベルではありませんでした。
なんとか打合せでも使いたい私は、打合せのたびにあれこれ機材を試していたわけですが、その姿を見て、“本当に聴こえないのだ”と感じる人が増えたようです。
いつものようにゴソゴソやっている私に「全然聴こえないの?」と、私の聴力について質問してくる人が出てきました。
「どうして欲しい?」と、配慮を申し出てくれる人が現れた時は 本当に嬉しかったです。
「聴こえない時はフォローするから」と言ってくれる人の仕事はやる気倍増です!
障害は周りが受け入れてくれてこそ、新たな世界が広がるのだと痛感しました。

こういう体験を通して思うのは、頼むばかりではなく、こちらも努力していることを知らせる必要があるということです。

余談ですが、聴こえないことが広く伝わったのはコロナで皆がマスクになったことも大きいです。
マスクで話しかけられてもさっぱり分からないので「口の動きが見えないから、何を言っているのかさっぱり分からない」と伝え続けている内に、音が聴こえても、聞き取れないという私の状態を知る人が増えていきました

今は完全内勤に変えてもらっていますが、社内での会議や打合せは今もあります。
相変わらず、音声で話しかけられ、打ち合わせも音声ですが、私が聞く体制になるのを待ってくれたり、「聴こえてる?」と確認してくれたり、私が聴こえないことは受け入れてくれているので、それだけでも精神的には随分楽になりました。
聴こえない事に苛立たれたり、聞き返して怒鳴られたり、甘えていると誤解された昔に比べると今は天国です。

働きやすさに繋がった流れを簡単にまとめると
「①まずは、自分が障害を受け入れる」
  ↓
「②伝える努力をする」(聴こえないことを伝えるだけでなく、どうして欲しいのかも伝える) 
  ↓
「③聴こえないことに対して、他人に頼ろうとするばかりでなく、自力で頑張ろうとしていることが伝わるようにする」(自分の努力は他人には分からないので、人に頼ってばかりだとの誤解を受けると面倒がられる。こちらの努力が相手に見える事は重要)
となります。

皆が皆、良い反応を示すわけではありませんが、『聴こえない時ははっきり聴こえないと伝える事』『こちらも努力していることが伝わるようにする事』、これは大事だと思います。
格好をつけていては、配慮はしてもらえません。

配慮する側にとって、配慮するというのは、エネルギーや貴重な時間を余分に使うわけですから、配慮しやすいようにこちらも工夫すべきでしょう。
幸い、今は、音声を文字化するアプリが優秀になってきています。
それを使うだけでも、相手には聴こえないことが伝わり、聴くための努力をしていることになります
誤変換で話の内容が分からない時は、画面の文章を見せると、大抵は言い直してくれます。
今はアプリのお陰で、分からない時に分からないと言いやすくなったし、相手も自動で文字変換するアプリで負担が軽くなった分、昔よりも聴覚障害を受け入れやすくなったように思います。

障害は周りの人が受け入れなければ、暮らしやすさに繋がりません
周りが障害を受け入れるためには、まずは自分が障害を受け入れる必要があります。
そして障害者は、配慮されて当たり前と思うのではなく、健常者も健常者の闘いの日々を送っていることを忘れず、自分で出来ることは自分で頑張り、助けてもらったなら感謝することを忘れないようにしたいと思います。

今回も最後まで読んでくださりありがとうごいました。
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