ナンチョーな私の気まぐれ日記(29)下山する悲しみ

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ナンチョーな私の気まぐれ日記

前回の「ナンチョーな私の気まぐれ日記」では、進行性難聴であるがゆえの過去の苦悩を書きました。
今回は ゆっくり進行性だったがゆえに耳を諦めきれずに『聴こえないと完遂できない仕事』を続けてしまって 追い詰められた話です。

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■難聴もいろいろ

難聴というと音が聴こえない もしくは 聴こえにくいと単純に想像するけれど、症状は皆違っていて、聴力が全く同じという人はいません。
音の聴こえなさの違いも当然ありますが、それだけでなく、音声(言葉)が聞き取れないことの差も大きいのです。
音量の差×音の壊れ方で、難聴者同士でさえお互いの聴こえの状態は分かりません。

前回の記事『デシベル(dB)は絶対値ではなく倍率』では、デシベルの聴力差は物凄く大きいという話をしました。
体験するとほんとに物凄い差です。
これだけ差があるのに、一般に難聴度を、軽度、中等度、高度、重度の4つにしか区分していないのは当事者としては不思議に感じます。
というのも、難聴を自覚している人には中等度の人が多いのですが、中等度の該当聴力は40~69dBで、軽度に近い40dBと高度に近い69dBでは雲泥の差です。

どれぐらい差があるのかは前記事『デシベル(dB)は絶対値ではなく倍率』を見てもらえば分かりますが、簡単に説明すると、健康な耳の人が聴こえる一番小さな音がデシベルの基準値なのですが、40dBの人がこの音を聴くためには100倍に増幅する必要があります。
それと比較して 69dBでは2818倍も増幅しなければなりません。
中等度の入口の40dB(100倍)と 出口の69dB(2818倍)は、体験してみると天国と地獄の差でした。

こんなに差があるのに同じ中等度なものだから、40dB台の難聴者が60dB台の聴こえなさが想像できず、同等だという感覚で 音声で話し続けられることはよくあります。
でも実際には先述の通り全然違っていて、40dBの人は補聴器無しでも普通の声は聴こえますが、69dBの人は補聴器をしなければ聴こえません。
なので40dBの人の悩みは主に聞き取りですが、60dB台の人は音量自体が全然足りていないので、健康な耳の人がいきなり69dBまで低下したら難聴どころか失聴に近い衝撃を受けることでしょう。それほど違うのです。

また、難聴の場合、発症時期による差もあります。
私のように後天性の人もいれば、先天性の人もいますが、先天性は聴こえの状態により言葉の獲得に影響するし、学校の進路にも影響します。
後天性も発症の年齢で大きく異なります。
幼児で難聴になった人、学生の時に難聴になった人、社会に出て直ぐに難聴になった人、ベテラン年齢になってから難聴になった人、リタイアしてから難聴になった人、どのタイミングで難聴を発症するかで、人生への影響は違ってきます。

ここでは大人になってからの中途失聴・難聴者の場合を例に挙げますが、中途で難聴になった人は 健聴な自分を当たり前として夢や目標を描いていた人です。
突然難聴になったその瞬間は、その道を歩いている真っ最中です。
だから聴こえなくなると 進路変更を余儀なくさせられることになります。

特に音楽や通訳など耳を使う仕事をしている人は、その道を諦めざるを得ないし、また多くの仕事は話を聞く必要があるので、失聴した私の友人知人の話を聞くと、それまでの職場では働けなくなって障害者雇用に切り換えたという人が多いです。

ちなみに私の場合は、毎回説明している通り、とてもゆっくり進行するタイプの難聴なので、突然音を失う苦しみは知りません。
同じ進行性難聴でも、短期間に失聴してしまう人もいれば、私のようにゆっくり進行する人もいて、この進行の早さも人生に大きく影響します。

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■なまじっか聴こえていると諦めが悪い

私が難聴を発症した時は軽度でした。
本人は耳鳴りが煩すぎて聴こえにくいと感じていましたが、仕事に支障が出るほどではなく、その後も部分的に数dBずつゆっくり低下する状態だったので、発症初期は職を変える必要性を全く感じていませんでした。
そのまま軽度で固定したなら さほど大きな問題は生じなかったので、当時は人生の見直しを迫られる未来が待っているなど想像もしていませんでした。

だけど、その後も低下は止まらず、途中からは不安になり、耳に頼らなくて済む仕事に変えることも考えるようになりました。
それでも、まだ 聴こえている内は、やりたい事を目指してしまいます
すると、失聴しても続けられる仕事をと考えても、浮かぶのはどれも耳が必要な仕事ばかりで、どうしても“自分のしたいこと”という考え方を捨てることができませんでした。
考えては決心がつかないまま、ズルズルと健聴時代の延長を歩き続けました。

ところが進行は止まることなく、その内に耳にも限界がやって来ます。
やっぱり治らないのだと諦めた時にはもう手遅れ
そうなると後悔がよぎります。
「なぜ、耳を諦めなかったのか・・・」と。
だけど、諦めるのは私にはとても難しかったです。
もし昔に戻ったとしても 聴こえている内はやっぱり諦めきれず、同じ人生を歩んでしまうと思います。
何せ未来のことは誰にも分かりませんから、聴力低下が止まるかもとの期待を捨てられないのです。
ちなみに私がようやく諦めたのは、この耳では低下が止まったとしても もう普通に生きるのは無理だと感じた時でした。

今、振り返っても自分の過去は迷い続けた優柔不断な人生だったと思います。
支えねばならない家族がいると、路頭に迷うかもしれない選択はできません。
収入と自分の好きにしたい欲望との狭間で苦しみ、聴力の低下とともに精神的にはどんどん追い詰められました。
もしも一気にこの聴力まで落ちていたならサッサと違う人生に方向転換していただろうにと思う一方で、ゆっくり進行だからこそ今の自分がいるという感謝の気持ちもあって、心の中は複雑です。

というのも、私の場合は発症が20代の半ば。
社会に出て間もないので、当時の私の実力は半人前以下です。
なので、いきなり障害レベルまで聴力ダウンしていたら、今の仕事のスキルは身についていなかったと思います。
難聴の苦労はあったけど、人の意見や声に耳を傾ける時間がたっぷりあったのはやっぱり良かったと思います。

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■後悔が生じた理由

過去を振り返ると、私の人生は成功したとは言い難いけれど、特に失敗をしたわけではありません。
それでも聴こえが限界に達した時、仕事を変えなかったことに後悔が生じたひとつには、私には全く違う業種への転職を考えた時期があったからだと思います。
どういうことかというと、私は今の仕事に自分の一生を捧げても良いと思うほどには価値を見出していなくて、自分の人生をリセットしたいと思った時期があるのです。
もしも、本当にやりたい仕事に巡り合っていたならば、途中下車になっても後悔はしなかったと思います。

私が仕事に求めていたのは、やりがいでした。
今の仕事も嫌いじゃないし、当然プロ意識はあり、それなりに没頭もできるのですが、私は自信を持って「人のため、社会のためになっている」と思えることをしたかったので、その面でこの仕事はそうではなかったのです。
もしも健聴だったなら間違いなく違う業種に転職していたと思います。

ところが人生のリセットを考え始めた時、すでに耳は中等度の半ばに差し掛かっていて、自分が本当にやりたい仕事を選べないのは分かっていたので、何を選んだら良いのか自分でも分からなくなっていました。
悩んだ私は 新たな道を求めて大学からやり直そうと考えました。
そして、ここで浅はかな選択をしてしまいました。
明白な進路を描かないまま、気分で決めてしまったのです。
数年間無収入というリスクを取る勇気はなく、働きながら学べる通信にすることにしました。
通信なら難聴でも頑張れるとの気持ちもありました。
ところが、通信で学べる学科は限られていて、これだ!と思える学科は無かったのです。
普通はここで立ち止まりますが、知らないことを学びたいという気持ちにスイッチが入ってしまっていた私はその欲望を止めることができず、安易に学科を妥協して 入学を決めてしまったのです。
これは大失敗でした。
大学での学びは楽しかったです。
だけど途中で自分の進路としてひらめいたのは、全く違う分野の仕事で、しかも通学しか道がありませんでした。
資金は尽きているし、仕事への無理もこれ以上は利かなくて、この時ほど挫折を感じたことはありませんでした。
そしてこの失敗が、後悔の気持ちを引きずる要因になっているようです。

とはいえ、資金と時間に余裕があるならば、大学で学んだことは無駄ではないし、聴力を失わなければこの学びで得た資格で生きる人生もありました。
もしかしたら耳のことが無ければ、再度資金を貯めてチャレンジしていたかもしれません。
でも現実は私の耳が持ちませんでした。
学んでいる間にも聴力低下は進みます。
入学時と卒業時の私は 聴力では別人で、私が健聴者と混じって学ぶにはもうギリギリだったのだと後から気付きました。
この大学での苦労話は、過去に『ナンチョーな私の気まぐれ日記(17)「授業で私を当てないで」』に書いたのでここでは書きませんが、大学で思い知ったのは、“難聴者が新しいことを学ぶ困難さ”でした。

この困難を味わった私は、その後はめちゃくちゃ焦りました。
大学で学び直す余力はもうないので、思いつく限り、民間の学校や講習会で学べることにチャレンジしましたが、もう音声で情報を得るのは無理でした。
正確に聴こえないため、話していることが否定か肯定かさえ分からなくて間違って覚えることがあるからでした。
結局、苦労してでもやりたいと思えるものを見つけることはできず、それならこのまま今の仕事を続けた方が良いのかなと、やがて職変えは諦めてしまいました。

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■途中で山を下りる悲しみ

職を変えることを諦めた私は、そのまま同じ仕事を続けました。
自分が生涯かけてやりたい仕事ではないけれど、どちらかと言えば世の中にある仕事の中では好きな部類の仕事でした。
性に合っていたのだと思いますが、性に合っているというのは強みで、難聴というハンデはあるものの、その分工夫して乗り越えてきたし、大きな目標ではないけれど、小さな山をゆっくりでも登っていました。
だけど登っている間も容赦なく聴力は低下し続けます。
ちょうど山の7合目付近に差し掛かったところで、私の聴力にも限界が出始めました。
それまでは聴こえない部分を勘でカバーしていたのですが、全く聴こえないということが生じると勘を働かすことができず、これはもう立ち往生です。
限界を感じた時、周りにフォローを頼んだりSOSを出しましたが、なかなか競争社会は厳しく手を貸してくれる人はいませんでした。
まあ仕方ありません。

何度か危うい状況が生じて冷や汗を流すことが増えた私はとうとうギブアップしました。
仕事で大きな失敗をして会社に迷惑をかける前に、自ら登るのを諦めることにしたのです。
クビになることを覚悟で「得意先と接する仕事からは外してください」と会社に頼みました。
幸いクビにはなりませんでしたが、2合ほど下山した感は否めません。

頂上まで登りたかったのに、立ち止まるどころか下山せざるを得なかったのはやっぱり悔しくて、何年も前からこうなることは予測済みだったのに・・・と、やっぱり悔やんでしまいました。
だけど、これも自分で選んだ道なので受け入れるしかありません。

ちなみに開き直ってからは精神的には楽になりました。
人との競争に巻き込まれない人生も悪くありません。
最初の内は、仕事の上下関係の立場の逆転など悔しさや屈辱はあったけれど、黒子に徹することのできる知識と技術はきちんと培ってきたので、自由にやらせてもらえている分、それなりに仕事も楽しくやれています。

中途半端に好きでもない仕事に転職するよりは、多少屈辱でも下山の運命を選んで良かったと今は思っています。
そう思えるのは、一旦 下山してみると、それまでに培った知識と技術は健在なので、アプローチを変えれば再び登ることも可能だと感じるからです。
といったものの、私はこの仕事で登る気はもうありません。
障害を負うと、健常者と肩を並べようとするだけで何十倍もエネルギーを使います
好きな道なら登るけど、さすがにちょっと疲れてしまいました。
登る気になったら登れるように取りあえず磨いてはいますが、それは選択肢があれば気が楽だからです。

いずれにせよ、障害を負うと、大なり小なり収入に影響します。
そこに目を瞑ることができるのであれば、気楽なのも悪くはないと思います。

だけど、人生の後輩たちには違うことを言うかな。
一所懸命 山登りしたくなる人生、険しくても自ら頑張りたくなる道を見つけてくださいと。

今回も最後まで読んでくださりありがとうございました。
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[前回のナンチョー日記]
  ↓
ナンチョーな私の気まぐれ日記(28)明日は聴こえているかな?

[次回のナンチョー日記]
  ↓
ナンチョーな私の気まぐれ日記(30)聴覚障害の認定基準について思うこと

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