世の中にはいろいろな宝物があります。
その中で、子どもの頃の宝物が捨てられないという人は意外に多いかもしれません。
私にもそんな宝物があります。
小学生の時に母からもらった小さな鐘がぶら下がっているブローチです。
ブローチそのものが宝物なのではなく、ブローチの装飾品の鐘の『音』が私の宝物なのです。
なので、難聴の今は宝物というより思い出の品になっています。
今日はそのブローチの話をします。
■難聴になってしまった私
私が難聴を発症したのは20代の時でした。
それまでの聴こえは正常だったので、心地よい音は私の宝物でした。
振り返ると、音で季節を感じ、音に感動し、音に癒されてきたと思います。
私にとって、ブローチの鐘の音は、子どもの頃からずっと癒しの音でした。
なのに、最初に失った音はこの鐘の音でした。
ちなみに私の難聴は進行性です。
いきなり聴力が落ちたのではなく、発症時は高音の聴力にダメージを受けた「軽度」の難聴でした。
会話で使う音域は聴こえていたので、日常に特に不便は感じなかったのですが、高音はダメでした。
小さな鐘の音は高音なのですぐに喪失してしまいました。
そして、鈴虫やコウロギなど、虫たちの鳴き声も早い段階で消えてしまいました。
大群で鳴いているセミの鳴き声さえも直に聴こえなくなりました。
■失った宝物
小学生の時に母からもらったブローチは、母のおさがりです。
おもちゃではなく、大人が使っていたアクセサリーなので、貰った私は新品のおもちゃを貰う以上に嬉しかったのを覚えています。
振ると可愛い音がなります。
綺麗な音色に魅せられて何度も何度も振りました。
このブローチにぶら下がっている鐘は小さいのに、とても透明感のある美しい音が出ます。
耳元でこの澄んだ美しい音を聴いているとうっとりと幸せな気持ちになります。
振っては 聴こえなくなるまで耳を澄ます時間が、私は大好きでした。
高校までは、しょっちゅう耳元で鳴らしていました。
振り返ると、この音に癒されていたのだと思います。
大学を出て社会に出てからの私は、このブローチに触ることがめっきり減ってしまいましたが、存在を忘れたことはありませんでした。
なので、難聴発症後に気になったのは、「あのブローチの鐘の音は聴こえるだろうか」ということでした。
ある日、勇気を出して、ブローチの鐘を恐る恐る振ってみました。
恐れていた現実がそこにありました。
聴こえません。
耳元で振ると、かすかに金属が当たる音が聴こえるだけです。
何度振ってみても、細~く 鳴り響くあの美しい音は聴こえてきません。
覚悟していたこととはいえ、これはショックです。
大好きな音を もう二度と聴くことが出来ないのだと思い知らされる衝撃はとても大きいものでした。
これは 失恋の痛みに似ているかもしれません。
大好きな分だけ未練もたっぷりで、もしかしたら聴こえるかもしれないと、日を改めては、何度も何度も振り続けました。
当たり前のことですが、何度振ろうが、どれだけ振ろうが、聴こえることはありませんでした。
逆に、聴力低下とともに、音は更に劣化。
かすかな金属音も消えて、聴こえる音は物がぶつかるだけのカタカタ音になってしまいました。
そして、今では何も聴こえません。
大好きな音が消えてしまうのはほんとに大きな悲しみです。
音は聴こえたら何でも良いというものではありません。
音質はとても重要です。
私の聴こえは、難聴によって ほとんどが不快な音に変貌してしまいました。
皆にとって癒しの音が、私には地獄ということも少なくありません。
悲しいことです。
私の宝物だったブローチは、今も健在です。
そして、音が宝物だったこのブローチは、今は記憶の宝物。
鳴っていることを想像しながら、今も振ってみました。
[前回のナンチョー日記]
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(9)飛行機が苦手
[次回のナンチョー日記]
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(11)警報が聴こえない
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