耳が聴こえなくなると、家の中の危険に対しても鈍感になります。
聴こえている人は、日常と違う音がしたら気になります。
難聴でも物音が聴こえている内は気になります。
だけど、聴力が低下するにつれて、だんだん気にする度合いは低くなっていきます。
■音を探せない
聴こえていた時は、家で1人の時に物音が聴こえたら、必ず何の音なのか確認していました。
ガタンと聴こえれば、物が落ちたかもしれないし、外から人が侵入したかもしれません。何かしら物理的なことが起こっているので、気になる音は必ず確認しました。
難聴になっても、何の音か分からない音が聴こえれば不安なのは同じです。
だけど、難聴になるとどっちから音がしたのか分からなくて、音の正体を突き止められないことが増えます。
物が落ちたり、倒れたりしているのが視野に入れば分かりますが、隠れた場所だと、そもそも音の方角さえ定められないので探せません。
音の方角も距離も掴めない状態だと 360度無限に広がる世界に向けて闇雲に探すようなものなので、瞬間で終わった音などは諦めるしかありません。
健聴時代に当たり前に持っていた あの音で物を探せる能力って、実はすごい能力だったのだと痛感します。
またピーピー音やブーンなどの人工的な音は、耳鳴りの音なのか、本当に鳴っているのか区別がつかないことも多く、これも音源の方角が定められないので自力で探し出せなくて困ります。
結局、頑張っても探し出せないことを繰り返しているうちに、物音が聴こえても無視するようになってしまいました。
脳が諦めることを学習してしまったようです。
だけど、たまに無視できないほど恐いと感じる音もあり、その時は一応、家中をウロウロしてみます。
■物音が分からないのは危険
私が家の中で過ごしていて、音が聴こえなくて恐いと感じるのは、機械の故障や、見知らぬ人の侵入です。
普通、家電などの機械類が今にも壊れそうな音を発していたら、危ないので使用を止めると思います。
少なくとも何の音なのか突き止めようとするでしょう。
ところが音が聴こえないと、変な音に気付かないまま 使い続けてしまいます。
壊れたまま使い続けて、火花を散らしたり、過熱して発火したりしたら、とても恐いと思います。
夜中に人のいないはずの部屋から物音がしたならば、外部から人が忍び込んだ可能性もあるので普通は警戒しますが、音が聴こえなければ 人に出くわすまで気が付きません。
恐いけれど、これは聴こえなければどうしようもないので、今は諦めて開き直っています。
恐いとは少し違いますが、健康な耳なら気付くほど ジャージャー水が流れていても、私には聴こえないので、昔、大失敗したことがあります。
朝起きたら、水道が全開で流れっ放しになっていたのです。どれだけ大量の水が無駄に流れたのかと思うと顔面蒼白になりました。
健聴だった頃の自分を振り返ると、今は小さな音は全く聴こえていないし、補聴器をしていても「これ音がしているの?」ということがとても多いです。
たぶん今の私は、補聴器をしていても 健聴者の数%しか音をキャッチできていないと思います。
音に気付かないから本人は平気で暮らしているけれど、健聴だった昔の私が今の私を見たら、この危険への無頓着さにギョっとすることでしょう。
一旦、脳が無頓着になると、危機感はなかなか芽生えません。
そんな自分に気付いて、今、ゾッとしています。
■聴覚以外の感覚に頼る
物音への恐怖が鈍くなった私が、聴こえない分、神経質になったことが1つあります。
それは火事です。
そんな私が、気になり出したのは「におい」。
いつもと違うにおいには敏感に反応するようになりました。
例えば、過去にパソコンが故障したことがありますが、それに気づいたのはにおいです。
パソコンは正常に動作していたのですが、いつもと違うにおいが気になって、パソコンの本体に触ってみると、すごく熱くなっていました。
触ると振動も激しかったので、多分、異常な音を発していたと思います。
焦げ臭いような臭いがどこからともなく漂ってくることもあります。
環境的に外から漂ってくることも多いのですが、少しでも焦げ臭いとか、化学的なにおいを感じたなら、臭いの出所は徹底的に探します。
ただ、においに敏感と言っても、嗅覚が特別発達しているわけではないので、においで正体を突き止めることはできません。
とにかく、クンクン嗅ぎまわって臭いが一番強いと感じた場所で、更にクンクンして、そのあとは目視で火が起こりそうなものがないか、危険な物はないか点検して異常が無さそうならOKという感じで暮らしています。
人の体は、大事な機能を失えば、その機能を補うために他の機能が発達するという話はよく聞きますが、発達段階の子どもと違って、大人の適応力は弱いです。
大人になってから難聴になり、しかもゆっくり低下している私の場合は、難聴前に比べてアップした機能はありません。
ただ 使える機能はフル活用しようと努力するだけです。
■五感はどれも大事
私達は、主に「視覚」「聴覚」「嗅覚」「味覚」「触覚」の5つの感覚を頼りに様々な情報を得ています。
どの機能も失えば、生命に危険が生じます。
この5つの器官の中で、失うと行動が大きく制限されてしまうのは「視覚」です。
これは目隠しをして行動してみれば、誰にでも「視覚」の重要性は分かると思います。
「聴覚」を失うと、先ほど話した通り、音で危険を察知できなくなります。
難聴者は行動自体が制限されることはないので、他人から見ると聴こえていないことは分かりません。
本人も音がしていることが分からないので、ヤバイ場面に遭遇しても自覚がありません。
怪我したり、命を失って、はじめて危険に気付くのです。
考えてみたら、本人が危険に気付かないから大騒ぎしないだけで、難聴者は想像以上に危険な状態に晒されているのかもしれません。
「嗅覚」も安全に生きるためには欠かせない機能です。
嗅覚があるから、腐った食べ物が分かるし、嗅覚があるから火事やガス漏れなどに気付くことができます。
そして、不衛生な状態に気付けるのも嗅覚のおかげです。
「味覚」も大事です。
味覚があるから、私達は安心して食べ物を口に運べます。
食べなければ生命を維持できない私達にとって、味覚を失うということは危険な食べ物を口にする確率がグーンと跳ね上がることになります。
「触覚」も大事です。
「触覚」を失えば、体が危険な物に触れても分かりません。
熱いと感じるから、手を引っ込めて火傷を免れることはよくありますが、そういう危険の回避ができなくなります。
自分の身を守るためには触覚も大事な機能です。
ここでは危険性の問題にだけに着眼しましたが、生活維持の不便まで言及すれば、どの器官を失っても、書き切れないほどの問題が生じます。
2019年に中国で発生し、世界中に猛威を振るった新型コロナウイルス感染症では、嗅覚や味覚を感じなくなるという症状が出て、その後遺症にいまも悩まされている人がいます。
五感の中では、一見重要度が低そうに感じる「嗅覚」や「味覚」ですが、食べないと生きていけない人間にとって味覚を失うというのは、想像以上のダメージがあると思います。
どの器官も、頑張って機能してくれていることに感謝しつつ、改めて大切にしたいと思いました。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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