「聴覚障害」だと伝えると、大抵の人は音の無い静かな世界を浮かべる。
声をかけても無反応だし、間近でピーピー音が鳴っていても無反応。
聴こえていないのが明らかな人が、まさか騒音の中で生きているとは思わない。
実は周りの誰よりも騒音の中で生きている私。
そんな煩い話です。
■突然始まった大音量の耳鳴り
私が進行性難聴を発症したのは20代の半ば。
始まりは耳鳴りから。
耳鳴りで病院に飛び込んだら、一部の音が難聴になっていることを指摘された。
当時は軽度なので本人に難聴の自覚はなかった。
耳鳴りは健康な耳の人でも体調によって経験することはある。
私も健聴だった時に小さなピーピー音を経験したことがあるし、大音量で音楽を流している店に長時間居た後などに耳鳴りを経験したこともある。
だけど、耳が健康な内は、耳鳴りも長くは続かず、気づくとおさまっていた。
そういう体験から 耳鳴りの音は小さいものだと 私は思い込んでいた。
まさか絶望クラスの爆音の耳鳴りがあるとは・・・(*_*;
ちなみに私が爆音の耳鳴りを知ったのは難聴を発症した時。
いつものように会社で仕事をしていたら、ある日突然それは始まった。
突然、けたたましい非常ベルが鳴り始め、私は現実の音だと思ってギョッとした。
(うわっ、非常ベル! 火事?)
慌てて顔を上げると、社内の人は平然と仕事を続けている。
隣の人も、目の前の人も、何事もないようにデスクに向かい、遠くに目をやると普通に電話している姿や、上司に指示を仰いでいる姿が見える。
こんなにハッキリ聴こえる非常ベルが、まさか耳鳴りだとは思わず、しばらく皆の行動を観察するが誰も気にも留めていない。
(えっ? まさか私だけにしか聴こえていないの?)
私の頭の中は混乱した。
そして、この非常ベルの音が自分の耳鳴りなのだと気づいた瞬間、私は軽いパニックに襲われた。
(えっ、うそ、どうしよう)
火災よりも狼狽えた。
じっとしていられなくて「どうしようー!」と心の中で叫びながら事務所の外に走り出た。
走り出たあと(いったい私はどこに行くつもり?)と少し冷静さが戻り、すごすごと事務所に戻った。
席に戻ってからもどうしようと不安だったが、落ち着いて来ると、自分の仕事が気になった。
当時、残業しても追いつかないほどの仕事量を抱えていたので直ぐには休めそうもない。
(明日になれば止まっているかもしれない・・・)
無理やり楽観的に考えて、数日間放置した。
この耳鳴りはかなり煩かったけれど、日中は夜間に比べれば我慢はできた。
だけど、煩すぎて 人の声は拾いにくい。
この時の聴こえにくさは、まさに騒音下で話している時の聴こえにくさだった。
■絶望
一番の問題は夜だった。
周りが静かになるほど、けたたましい非常ベルの耳鳴りは鮮明になる。
うるさすぎて死にそうな気分になる。
一番耐え難いのは眠る時。
音楽やラジオならば、うるさければ消せばいい。
でもこの非常ベルの音は自分の意志で消すことができない。
耳元でベル音の目覚まし時計を鳴らした状態で眠るようなもの。
眠れるわけがない。
音源から離れたり、耳を塞いで音を避けることもできない。
せめて小さくしたいが、それも無理。
容赦なく非常ベルは鳴り続ける。
この地獄を止めることはできないのだと思うと 気が狂いそうになった。
永遠に止まらぬ音を聴きながら、眠れぬ夜に絶望し、私は泣いた。
24時間、眠っている時でさえ鳴り続ける耳鳴りは まさに拷問である。
1秒たりともこの騒音から逃れることのできない拷問生活をこの先ずっと続けることになるかもと思うと、生きて行く自信を無くし、死にたいとさえ思った。
ほんとに辛かった。
病院で検査してもらうと、耳鳴りだけでなく 軽い難聴を発症していた。
最初の医師は若い医師だった。
余談だが、その医師はとても熱心で、私の耳鳴りがどれだけ酷いのか、聴力検査の機械を使って 私の聴いている耳鳴りの音を体験してくれた。
医師は私の耳鳴りの音量に驚き「これは辛いですね」と呟いた。
嬉しかった。
患者の苦痛を知ろうと試みた医師は後にも先にもこの医師だけだった。
だから 今でも忘れられない。
だけど、処方が効かなかったため 数週間後に難聴専門の医師(大学病院)を紹介されたので、その医師とは縁が切れてしまった。
結局、難聴も耳鳴りも治らなかった。
耳鳴りはその後も続いた。
1秒たりとも止むことなく今も続いている。
そして難聴も容赦なく進行して行った。
やがて耳鳴りより難聴の方が私には重要な関心事になった。
耳鳴りは辛いが、仕事にモロに支障が出るのは難聴で、自分の未来をぶっ壊す難聴の方が怖くなったのである。
私の耳鳴りは 聴力低下が進むタイミングや、耳にストレスを受けた時に酷くなるので、いつしか耳鳴りは自分の耳の健康バロメーターみたいになった。
そして、私の難聴は聴こえる音が減っていく形で進行しているので、これから聴こえなくなる音の耳鳴りが新たに発生し、耳鳴りの種類は増えた。
新種の耳鳴りは、ほとんど聴こえなくなった今でも発生する。
最初の非常ベル音の耳鳴りは、あれからずっと一度も消えることなく今も鳴り響いている。
但し、最初の頃に比べるとベル音の音質はかなり濁ったと思う。
長年同じように鳴り続けているので、馴染みの耳鳴りは現実の音と間違えることは今はない。
そして、現実の音と区別できるようになると意識する度合いが下がるので、今は煩いながらこの音のせいで眠れないということはなくなった。
これが慣れるということなのかなと思う。
だけど、慣れない耳鳴りもある。
私は 耳にストレスが加わった時や、難聴の進行が進む時は、大音量の耳鳴りが更に酷くなるのだが、騒音級の耳鳴りの音量が更に増すと、頭がくらくらするというか、痺れるような 割れるような耐え難いレベルに達する。
このレベルはさすがに慣れない。
■耳鳴りの音は千差万別
耳鳴りも難聴と同じで、音や症状は皆違う。
私だけでも、物凄い数の耳鳴りを経験しているので、それは間違いない。
音量も音質もパターンも様々である。
私の耳鳴りは、発症した時は、たぶん非常ベル音の1つだったと思う。(うろ覚え)
その後に、蝉の鳴き声や、ピーという濁りのない音が発生して、それは非常ベル音と一緒に今もずっと鳴り続けている。
その後、各周波数の聴力がダウンするたびに 様々な音が増えて行った。
今はモーター音のような「ブーン」という音も固定になった。
その他は日によっていろいろ変わる。
持続性では「ぐわんぐわん」や「ビー」。
単発的な音では「キーン」。
その他、「ピ-、ピ-」とか、「ジッ、ジッ、ジッ」など途切れる音もあるし、ピロピロと音楽のように聴こえる耳鳴りや、お経のように聴こえる耳鳴りもある。
固定で鳴り続けている耳鳴りに、いろいろな音が混ざるので、それはそれは騒がしい。
ちなみに私の耳鳴りは高音がメインだけど、低音がメインの人もいる。
低音がメインの人が聴いている耳鳴りの中には、私がまだ聴いたことの無い耳鳴りもある。
私の新種の耳鳴りは少しずつ低音に近づいているので、今後は低音が増えるかもしれない。
そんなこんなで、音の数だけ耳鳴りは存在するし、音量も様々、組み合わせも様々。
なので、他人の耳鳴りの苦しみは 耳鳴り経験の長い私でも想像できない。
■耳鳴りはなぜ起こるのか
耳鳴りのメカニズムはまだ解明されてはいないようだが、有力と言われる仮説はある。
その仮説とは、失った音を脳が補おうとして起こるという説で、簡単に言えば 脳の誤作動。
内耳の蝸牛と言う器官の中には音をキャッチする有毛細胞がびっしり並んでいて、それぞれの細胞には自分の担当する音の高さ(周波数)があり、自分の担当する音が届いたらそれを信号に変えて脳に送っている。
※耳の機能をご存知ない方は下記の記事を参考にしてください。
➡ 耳は、音をどのように聞き分けているのか?
➡ 耳の有毛細胞の姿と働き
例えば1000Hzを担当している有毛細胞が何らかの原因により消失すると、1000Hzの音だけ脳に信号が届かなくなる。
すると脳側では今まで当たり前のように入っていた信号が不自然に抜けることになる。
専門家ではない私は上手く説明できないが、耳の蝸牛の有毛細胞にはそれぞれ自分の担当があると先ほど書いたが、脳の方にも蝸牛と同様に周波数応答性の神経細胞が配列されていているらしく、信号が 途絶えたり 微弱になるとその音を聴こうと脳が暴走してしまうのが耳鳴りの正体だと考えられている。
イメージ的に説明すると、今まで脳にしっかり届いていた信号が突然途絶えたり、極端に小さくなると、手持ち無沙汰になった脳の神経細胞が本来届くはずの信号を求めて、音をキャッチしようと頑張り興奮する。その頑張りが聴こえない音を作り出してしまうという感じかな。
私の場合は、失って行く音と、新たに発生する耳鳴りの音の高さが似ているので、この仮説は有力だと感じている。
だけど、友人知人の話を聞いていると、この仮説が当てはまらない人もいる。
例えば、私と同じ進行性難聴で私よりも先に進行している友人は、4級に突入した頃に耳鳴りが消えたと言っていて「聴こえなくなると耳鳴りもしなくなるよ」と言っていたが、現在4級に突入している私の耳鳴りは止まる気配すらない。それどころか新種の耳鳴りも発生しているという状態。
4級は補聴器をすれば音は入るので、友人が言っていた「聴こえないから止まる」というのは違うと思う。たぶん別の要因で止まったのだろう。
何せ 失聴しても耳鳴りは相変わらずだという人もいるわけだし。
そもそも、耳鳴りだけの人もいて、その場合、聴こえない音による脳の暴走はあり得ない。
なので、耳鳴りを引き起こすメカニズムは1つではないのだと思う。
そう考えると、私が感じているような耳鳴りとは別の症状もあるかもしれない。
耳鳴りの正体の解明には、まだまだ時間がかかりそうである。
■最後にボヤキます
酷い耳鳴りは痛みを抱えているのに近い苦しみがある。
慣れると言っても、我慢できるようになったというだけ。
できれば解放されたい。
考えてみれば皮肉なものである。
実在の音はどんどん消えて、いまや補聴器無しでは殆ど音が無いのに、耳鳴りだけは発症した時と同じ大音量のままなのだから。
生きている間に、静かな日が訪れることはあるのだろうか。
ちなみに私の耳鳴りは毎日変化している。
固定の音が4つほどあって、その他の音は交代制。
たった今の自分の耳鳴りはこんな感じ。
頭の上一帯に濁った非常ベル音、後頭部にモーター音、左側から蝉の鳴き声が聴こえ、右上から高音の「ピー」音。それとやや小さめの「ピヨピヨ」音が鳴っている。
もっと耳を澄ませばまだあるが、虚しくなるのでこれ以上拾うのは止めておく。
音量は、騒がしいが これが平常。
私の平常とは、発症当時 気が狂いそうで泣いたレベル。
酷い時は、頭が爆発しそうになる。
マシかそうでないかは、音の大きさだけでなく、音の量でも異なる。
私の小さな願いは、死ぬまでに一度は耳鳴りの無い静かな状態を味わいたいということ。
完全に鳴り止まなくても、せめて小さくなりますように。
今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(34)歩きながらの会話が苦手
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(36)難聴者は呼び出しが苦手
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