ナンチョーな私の気まぐれ日記(36)難聴者は呼び出しが苦手

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ナンチョーな私の気まぐれ日記

私が難聴を発症したのは20代半ばです。
それまでは普通に聴こえていました。
発症した時もいきなりドーンと聴力が落ちたのではなく、大音量の耳鳴りと一部の音の低下が始まりで、軽度から徐々に聴力を落とし、現在は重度手前まで進行しています。
少しずつ低下が進んで、どんどん苦手なことが増えて行く人生を今も歩み続けています。

その不便の1つが呼び出し。
発症当初は自覚が無かったほど不便を感じていなくて、病院の待合室で長時間待たされている時も自分の名前が呼ばれるまで寝ていました。
寝ていても自分の名前が呼ばれたら気付いていたのが、いつの間にかそれができなくなり、今では補聴器で音を入れても、音声呼び出しは100%無理です。

今回は呼び出しで味わってきた私の聴こえの変化を語ります。

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■職場での呼び出し

私が社会に出た時は、私の耳はまだ健康だったので、遠くから上司に呼ばれたら「はい」と返事をして行動していました。
声で誰に呼ばれたかは分かるし、分からなくても声がした方角は分かります。
最初はそれが普通でした。

名前を呼ばれた後に求められる行動には2種類あります。
1つは単純な呼び出し。「こちらに来るように」と呼ばれるパターン。
もう1つは、その場で用件を聞くパターンです。
呼ばれただけではどちらなのか分からないので、大抵の人はまず呼んだ相手を見て、相手の言葉や合図を待つと思います。
私も同じでした。

難聴になるとどちらも苦手になるのですが、私が最初に苦手になったのは後者の方だったと思います。
離れた場所からの指示が聞き取りにくくなったのです。
余談ですが、簡単な頼みごとで人を呼ぶ場合、大抵の人は振り向いた途端に話し始めます。
難聴の私はこれが苦手。
離れていては聴こえないので、呼ばれたら直ぐに走り寄っていた時期もあります。
「そっちに行くまで待ってください!」と叫んだこともあります。(^^;)

進行性の厄介なところは、つい最近まで出来ていたことが出来なくなるので、周りの人もこの前まで聴こえていたのに「なんで?」となります。
その「なんで?」が繰り返されるので、自他ともに戸惑いの連続です。
進行状況が目に見えないだけに難聴は厄介です。

最初の不便は、音源の方角が分からなくなったことでした。
自分の名前を呼ばれたら分かるので「はい」と返事をするものの、誰が呼んだのか分からなくて、キョロキョロ 目で探すようになりました。
これは不便ではあったけど、呼ばれたことは分かるので、困るほどではありませんでした。
ただ・・・呼ばれた方向が分からずキョロキョロするのがとても恥ずかしかったです。
最初の内は できるだけキョロキョロせずに、さり気なく探そうとの意識が強く働いたのを今も覚えています。
実際に方角が分からなかったことを周りに誤魔化せていたのかは分かりませんが、音源の方角を間違えることを恥ずかしいと感じていました。

その後も難聴は容赦なく進行して行きます。
私の場合は、周波数による聴こえの差が大きく、高音は失聴していても低音は正常、会話でよく使う中間の周波数も軽度~中等度まで差が生じていました。
自分の感覚としては 音量が足りないという感覚は薄かったのですが、喪失している音があるため言葉が全く違う発音に聴こえたりする現象が早くから起こり始めました
ある日、名前を呼ばれたので「はい」と大きな声で返事をしたら、呼ばれていたのは他の人でした。
しかも、自分の名前とは似ても似つかない名前で、これは穴があったら入りたいほど恥ずかしかったです。
その失敗を何回かやってしまい、自分の耳が全く信用できないと気づいた時、返事をする勇気は失せてしまいました
呼ばれたなと思ったらどうするのかと言うと、呼んだと思われる人の方を見つめたまま待機します。
呼んだ人は返事がないと怪訝そうに顔を上げるので、目があったらそばに駆け付けるようにしました。
返事をしないのは感じが悪いとは思ったけど、呼ばれたかなと見つめていると、何回かに1回は他の人が席を立つので 返事などできません。
間違って恥をかくよりは感じ悪いレッテルの方が遥かにマシだと思って、私は完全に返事をしない人になりました。

更に進行すると、呼ばれていることに気付かなくなり、隣の人に「呼ばれているよ」と言われることが増えました。
やがて、間近で呼ばれても声では反応しなくなり、肩をトントンされたり、机をノックされたり、顔を覗き込まれたり、呼びかけが接触に変わりました

今では遠くから私を呼びつける人はいないと思っていますが、今の私は聴こえていないので実際のところは分かりません。
もしかしたら、声で呼び続けた末に、私の傍まで来ているのかもしれません。
もしかしたら、私がやるべき頼まれごとを私が聴こえないために他の人が頼まれてしまっているかもしれません。
視野に入らないと気付けないけれど、結構迷惑をかけていると思います。

ちなみに現在の私の周りはこんな感じです。
私を声で呼びつけていた上司は、今では席をわざわざ立って私の傍まで来てくれるようになりました。
数メートルしか離れていない席の人が、メールで簡単な用件を伝えて来ることが増えました。
中にはどうしても席を立ちたくない人もおり、そういう人は内線を鳴らします。
内線は光るし、どの電話機から掛かってきているのか表示が出るので、表示を見て「そっちに行きます」と言って出向きます。
何れにしても、私の聴こえない状態に周りも長い年月をかけて慣れてくれていることを実感します。ほんとに感謝です。
だけどこの状態になったのは、音に対して無反応になってからです。
音に反応しているうちは、聴こえていると思われて、苦労の連続でした。

健聴でも音が聴こえないことは想像できます。
だけど、言葉が聞き取れないことはなかなか理解してもらえません。
聴こえていなくても話が通じれば、聴こえているように見えてしまうのは致し方ないことなのかもしれません。

実は 私の難聴の理解が進んだのは、コロナによるマスク生活のお陰でした。
私は語音明瞭度がかなり低いので、口の動きを遮断された途端、推測する手掛かりを失って音声会話不能状態に陥ってしまいました。
手掛かり無しでは無音と変わりません。
話しかけられるたび「マスクで口が隠れているから聞き取れません」を何度も伝え続けました。
最初はこの前まで話せたのにと怪訝顔でしたが、大声で話しても「聞き取れない」を連発する私に、声だけでは厳しいということが ようやく伝わったようです。(口の動きが読めると勘違いされてしまったのは誤算でしたが)

コロナで切羽詰まったおかげで、メモ用紙に用件を書いて話しかけてくる人、メールやチャットで伝えるようになった人、私と話すのを諦める人など、反応はいろいろでしたが、取りあえず聴こえないことはしっかり伝わったので、私にとっては コロナ様様でした。

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■病院の呼び出し

今は配慮してくださる所が増えましたが、昔は配慮を頼んでも無視されることが多くて困ったのが、病院の呼び出しです。
銀行や店舗の場合は、窓口の人の動きを追うことで、ある程度 自力対応できるのですが、配慮が無ければ無理なのが病院
いきなり名前を呼ぶだけなので、こればかりはお手上げです。
私は、今も昔も「呼ばれたら手で合図を送ってほしい」と受付の人に頼みます。
だけど、忘れられてしまうことや無視されてしまうことも多く、「まだ呼ばれていませんか?」「今、呼ばれましたか?」と何度も訊かねばならないこともあり、そういう病院に行ってしまうと精神的に疲弊してしまいます。

今は、放送呼び出しだけだった大きな病院も、電光掲示板を併用する所が増え、聴こえないと伝えれば配慮してくれる所も増えてきましたが、今でも配慮お断りみたいな病院やクリニックはあります。
あからさまに断らなくても、渋々対応しているのがありありと伝わって来る所も少なくありません。勇気を出して配慮を頼んでいるのに、嫌そうにされたり、無視されたりするとすごく傷つきます。
病院は病気を診てもらうところです。
呼び出しの配慮を無視されるとほんとに途方に暮れます
病気を治してもらいたくて病院に行っているのに、精神の方が病んでしまいそうになるのはどうなの?と思います。

特に難聴で通院している耳鼻科でこれをされると許せない気持ちになります。
不思議なのですが、耳鼻科で難聴に配慮してくれない所は意外に多いです。
その中でもキツかったのが、放送の呼び出しです。

一時期通院した病院で、放送の呼び出しが聴こえないことへの配慮を求めたのですが応じてもらえなかったことがあって、これには絶句しました。
そこは断り文句は言いません。だけど配慮もしないという完全な無視です。
いつもなら直ぐに通院を止めますが、この病院は 難聴の進行を止められないか相談したクリニックで紹介してもらった病院だったので、結果がはっきりするまで我慢しましたが、待ち時間が異常だったので ほんとにキツかったです。
指定の予約時間から最低2時間待たされるのが当たり前で、5時間待たされたこともありました。
いつ呼ばれるか見当もつかない中、呼び出しの配慮を何度頼んでも無視されるので、放送があるたびに呼ばれていないか受付に聞きに行かねばならず、これを5時間させられた時は心身ともに疲れ果ててしまいました。
これは難聴を診てもらいに来院している患者にすべき態度ではありません。
カルテに難聴と書かれている患者を放送で呼び出すか?と、心底腹が立ちました。
おっと、いきなり愚痴になってしまいました。
話を戻します。

・・・
この病院の呼び出しについては、難聴を発症した初期は苦手ではありませんでした。
軽度だったので 健聴の時と変わらず、自分の名前を呼ばれたら体が勝手に反応しましたから、待ち時間の長い時は 寝て待っている時も多かったです。
当時は本を読んでいても、寝ていても、自分が呼ばれたら直ぐに分かったので、呼ばれることの心配はしていませんでした。

それがいつの間にか自分の名前を自然に拾い出すことができなくなりました
呼び出しの声は聴こえても、集中しないと自分の名前かが分からなくなったのです。
そうなってからは、呼び出しが始まると、すべての事を止めて 耳に全神経を集中させるようになりました。
寝てしまうとヤバイのでどんなに眠くなっても絶対に寝なくなりました。

やがて集中しても、自分の名前かどうかに自信が持てなくなりました
その頃になると、先に来ている患者さんの顔を覚えて、呼ばれて診察室に入って行くのを確認しながら、自分が呼ばれる可能性のあるタイミングを推し量るようになりました。
そして、呼ばれた気がしたら「呼ばれましたか?」と確認を取るようになりました。
こうなると待ち時間は何もすることができません。
本やスマホに目を落とし続けることができないため、待ち時間の暇つぶしもできません。

そして今は・・・呼ばれても絶対に分からないので、ひたすら配慮を求めています
それだけに呼び出しに電光掲示板を導入している所はほんとに有りがたいです。
はじめて電光掲示板の病院に遭遇した時、久々に平穏な気持ちでゆったりと待つことができ、聴こえていた時はこんな感じだったなあと、聴こえない不自由とストレスの大きさを改めて痛感しました。
全ての病院やクリニックが電光掲示板を導入してくれたら、安心して病院に行けるのにと思います。

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■会話と呼び出しの問題は別

今回は職場と病院の話を取り上げましたが、呼び出しの苦労は病院だけではありません。
注文する場所と受け取りの場所が別の店などでは、受け渡しは音声で呼び出すので、配慮してもらわないと商品を受け取れません。
お客さんが少ない店では問題ないのですが、混んでいるお店では商品待ちをしている人も多く、店員さんもバタバタしているため、難聴だから手で合図して欲しいとお願いしても、それが商品を渡す係の人には伝わらず、商品の受け取りができないまま放置されたこともあります。
それ以来、人の多い店は避けています。
放置されたり、嫌な顔をされるぐらいならと我慢してしまうわけですが、人気店を避け続ける人生はちょっと損しているなと思います。

ちなみに会話はアプリを使うなど私の方でいろいろ工夫をしています。
だけど、呼び出しだけは配慮無しでは厳しいです。

・・・
最後にまとめます。
健康な耳の人は、難聴は音量が足りなくて聴こえないと思っています。
確かにそうなのですが、音量は補聴器で ある程度カバーできます。
難聴者が一番困っているのは、言葉の聞き取りです。
発声した音が違って聴こえたり、50音に無いような変な音に聴こえたりして、聴こえる音がまともな音ではないから困るのです。

会話の場合は、前後の脈絡で聞き取れない言葉を推測して埋めることが可能ですが、名称や数字は発音の単純な聞き取りなので、音が正確に聴こえない難聴者はそれで苦労します。
会話ができても 呼び出しが苦手な難聴者は少なくないと思います。

失聴してしまうとさすがに聴こえている人扱いはされませんが、音に反応している難聴者の場合は『聴こえている=聞き取れているはず』と思われてしまい、なかなか聞き取りの苦労を理解してもらえないのが現状です。
難聴は 音が聴こえないだけでなく、聴こえる音が壊れているから苦労していることを出来るだけ多くの人に知ってもらいたいなあと思います。

今回は呼び出し関係の苦労話をしました。
次回は電話の苦労話をしたいと思います。

今回も最後まで読んでくださりありがとうございました。
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[前回のナンチョー日記]
  ↓
ナンチョーな私の気まぐれ日記(35)実はうるさい難聴生活「耳鳴り」

[次回のナンチョー日記]
  ↓
ナンチョーな私の気まぐれ日記(37)電話の取り次ぎ

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