障害児教育に関心のある方はぜひ読んで欲しい、サリバン先生のヘレン・ケラー教育の記録

スポンサーリンク
読書感想

読後感想 第6回
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか -サリバン先生の記録-」
 アン・サリバン著 槇恭子訳

サリバン先生の子どもに対する教育の考え方は、盲聾(モウロウ)や、視覚障害、聴覚障害だけでなく、全ての子どもにも当てはまる大切なことが含まれています。
障害児に出会う可能性が高い保育や教育の現場で働いておられる方や、ご両親はもちろんのこと、子どもの成長に関わる立場にいる全ての人に読んでいただきたいと思った本です。

この本はサリバン先生の手紙で構成されているので日記を読むような感じです。
なので、ヘレン・ケラーのことを全く知らない人は、別の本で簡単にでもヘレン・ケラーのことを知ってからでないと、興味が湧きにくいかもしれません。

私はこの本を、ヘレン・ケラーの自伝を読んだ後に読みました。
ですから、ヘレンが語っていたエピソードは外から見るとこういうふうに映っていたのだと、ヘレンの内面を思い浮かべながら読むことができたので、場面を想像しやすく、とても分かりやすかったです。
もし、ヘレン・ケラーの内面を知らずに、いきなりこの本を読んだとしたら、これほど大きな納得と共感はなかったかもしれません。ですので、ぜひヘレン・ケラーの自伝を読んでから読まれることをお薦めします。
参考に、私がこの本を読む前に目を通したのはヘレンが22歳の時に書いた「奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝」という本です。この本は厚みが7mm程度の文庫本なので気軽に読めます。22歳の時に書いているので自伝といっても 子どもの頃のエピソードがメインです。
※「奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝」の感想も書いています⇒盲聾者の世界を知りたくて読んでみた。「奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝」の感想

この他に、「わたしの生涯」というヘレン・ケラーの別の自伝がありますが、この本はヘレンのその後も書かれているので、ヘレンの人生全般を知りたい方はこちらの方が良いかもしれません。因みにこの本の前半は「奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝」と同じ「The Story of My Life」を訳したものです。ただ、書かれている内容は同じなのですが、訳の表現の違いから別の年代に書かれた本だと勘違いしてしまうほど印象は違いました。個人的には「奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝」の方がヘレンの感情が自然に伝わってくる表現を用いているので、サリバン先生のこの本と併用して読むならば「奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝」の方が分かりやすいと 私は思いました。

私がこのサリバン先生の記録をまとめた「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」をお薦めする理由は、内容はもちろんのことですが、まず読みやすさです。
あとがきを含めても146頁程度の薄めの本ながら、本全体に無駄な箇所がなく、また重要な箇所に線が引いてあるなど、とても読みやすくまとまっています。
そして、サリバン先生が試みた教育の結果が、ヘレン・ケラーという子どもの成長(観察)で確認できるので、誰でも理解しやすく、また退屈せずに読むことができます。
障害児教育に関心があるならば、ぜひ読んでいただきたい1冊です。

ここからは本の中身の感想です。
この本はサリバン先生がヘレン・ケラーと初めて会った1887年3月6日から始まります。ヘレン・ケラーは1880年6月27日生まれですから、出会った時のヘレンは6歳(直に7歳になる頃)でした。
サリバン先生は、ヘレンに会った初日から言葉を教え始めます。人形を渡した時にヘレンの手にゆっくりと「d-o-l-l」と綴りました。
そして、ケーキをあげる時には「c-a-k-e」と綴るなど、生活の場面の中で次々と単語を教えていきました。
ヘレンには書かれた文字が言葉だということは分かりませんが、綴りが何かの合図だという程度には認識していたと思います。
ヘレンはどんどん単語を覚えていきます。
だけど、物に名前があることをヘレンは知りませんので、綴りが言葉だと気付くことはできません。当然に綴りの役割がどういうものなのかも分からないまま、ただ サリバン先生とのやり取りで綴りを覚えていくだけでした。

ところが、ある日、大きな変化が訪れました。
1887年4月5日、サリバン先生の教育が始まってから1ヶ月後のことです。
汲み上げた井戸の水が、勢いよく ほとばしりながら ヘレンの手に持つコップを充たします。その時にいつものように「w-a-t-e-r」と手に綴ると、ヘレンはとても驚いた様子でコップを落とし、しばらく立ちすくんでいたそうです。ヘレンの自伝に書かれていたヘレンが物に名前があることに気付いた瞬間です。
とうとうヘレンの知性への最初の扉が開かれたのです。

サリバン先生が実践していたのは、生まれたばかりの赤ちゃんに母親が毎日話しかけるのと同じことです。分からなくても繰り返し語りかけていれば、赤ちゃんは自然に言葉を覚え、いつかは意味を理解します。
普通の赤ちゃんの場合と違うのは、ヘレンには音声は届きませんので、ヘレンの分かる方法で話しかける、つまり手に単語を綴り続けることでした。
そしてヘレンは気付いたのです。手に綴られていたのが言葉であることに。そして、この日を境にヘレンの世界は一変したのでした。

もしもヘレンがサリバン先生に出会わなければ、誰も彼女の手に言葉を綴って語りかけることはしなかったでしょう。そして、ヘレンが綴りの存在を知らなければ、永遠に言葉の存在に気付くこともなかったでしょう。
サリバン先生がヘレンに実践した方法を読んでいて感じたのは、例え 分からなくても、相手に伝わる方法で 話しかけ続けることの大切さです。

一般に子どもを育てるのは親です。
生まれてきた子どもが盲聾だと分かった時、親はショックに打ちのめされるでしょう。だけど、子ども自身は自分が抱えている問題の深刻さに気付いてはいません。子どもにとっては今ある自分の状態が普通なのです。盲聾の子どもにとって 視覚・聴覚が無いのは当たり前で、世の中を嗅覚や触覚など別の感覚器官で捉えてその子なりの世界を感じているのです。
論理的に考える知性を身につけるか、生きるための感覚や知恵のみ磨いていくことになるかは、その子が言葉を獲得できるか否かにかかっていると言えます。
障害者に関わらず、健常者でも 言葉が無ければ論理的にモノを考えることは難しいです。だけど、脳が働いているからには感覚的な知性はあります。生きて行くためにずるいことも考えるでしょう。いたずらだってします。自分に残っている感覚器官をフルに使って子どもはその子なりに成長していくのです。聴こえなくても見えなくてもヘレンは成長とともに周りの人が自分とは違って口を使っている(話している)ことに気付いていましたし、成長とともに身振りだけでは伝えきれなくなっていく様子もヘレンの自伝を読むと感じられます。
周りの大人が最初に努力すべきことは、その子の分かる方法で語りかけることです。その子が言葉の存在に気付くまで 周囲の大人が伝える努力してあげなければ、子どもは社会と繋がるチャンスをもらえないまま、孤独な人生を歩むことになるのです。

Waterをきっかけに、第一歩を踏み出したヘレンですが、これはようやくスタート地点に立ったにすぎず、ヘレンの教育はここからがスタートです。
正規の学問を学ぶためには、本人のやる気がないと難しいです。
健常児でも興味の無い勉強は苦痛ですし、やらされているという意識では伸びません。
盲聾児の場合は、情報を得るためのハードルがとてつもなく高いですから、言葉の基礎だけは完全に習得してからでないと挫折してしまいます。
興味を持って自ら学ぼうとする意欲を育て継続させることがとても大切で、そのやる気を育てることが周りの大人の第二の大きな役割となります。

ここからは、サリバン先生の手紙の文章で 印象深かった部分を引用させてもらうことにします。
1887年4月10日(ヘレンが7歳になる年の春)【私は、今のところヘレンには規則正しい授業をしないようにしています。ちょうど2歳の子どもを扱うように彼女を扱っています。子どもがまだ役に立つ用語を習得していない時期に、勉強の時間や場所を決めたり、また決められた課題を暗唱するように強いることは間違いだということについ最近気づきました。】

【普通の子どもはどのようにして言葉を覚えるのだろうかと自問しました。答えは簡単でした。つまり「模倣によって」です。子どもは生まれながら学ぶ能力を授けられており、外からの十分な刺戟を与えられさえすれば、ひとりでに学びとります。人のやるのを見てまねをしようとしたり、話すのを聞いて自分も話そうとします。でも、子どもは口をきき始めるずっと前から、自分に話しかけられたことの内容を理解します。】

【私は、赤ちゃんの耳に話しかけるようにヘレンの手に話しかけることにします。】

抜粋引用続きます。
1887年4月24日 【1日のうちに何回となく繰り返すことによって、時が経てば、文章全体が彼女の頭に印象づけられるでしょうし、また、やがて自分で文章を使うようになるでしょう。】

更に追記したい内容に、簡潔な抜粋文を探し出せなかったので 要約します。
子どもが言葉の意味を理解するためには子どもが言葉と結びつけることができる経験が必要です。例えば、レモンを子どもに食べさせたら、唇をすぼめて吐き出そうとします。こういう経験を何度かするとレモンを出されただけで顔をしかめます。その時に「すっぱい」と綴られたら、子どもはその体験を表す記号として「すっぱい」という言葉を覚えます。もしここで「すっぱい」と綴らず「白い」と綴ったならば、子どもは「白い」の綴りを「すっぱい」の意味だと思うでしょう。
子どもは多くの経験から、いろいろな感覚を味わい、その感覚を言葉で区別することを学びます。
だから、子どもの教育で重要なのは、感覚を多く経験させることであって、言葉そのものではないのです。

最後に、もう1つ凄いなあと感じたことを書きます。
ヘレン・ケラーは全く見えも聴こえもしないのですが、人の会話に合わせて笑うなど、まるで聴こえているかのような反応を示すことがよくあったそうです。
これはヘレンが触れている人の筋肉の動きから感情を察知して反応しているらしいのですが、例えば、ヘレンが母親と外出していた時、ある少年が投げたかんしゃく玉に母親が驚いたことがありました。ヘレンはすぐに反応して「何が怖いの?」と尋ねました。別の日、サリバン先生との外出時、警官が男性を連行しているのを見たサリバン先生は動揺しました。するとヘレンは興奮して「何を見たの?」と尋ねてきました。
この反応については耳科医も調べたことがあるのですが、サリバン先生の手を握っているヘレンはまるで会話が聞こえているかのように頷いたり笑ったりといった反応を示しました。だけど、誰にも触れずたった1人で座らされている時は無反応でした。そして、ヘレンの知らない人が彼女の手を握って会話を再開すると、話しかけられるたびに表情を変えるもののサリバン先生の時ほど顕著な変化はなかったそうです。
最初耳科医はヘレンが聞こえているのではないかと疑ったようですが、誰にも触れていないヘレンは無反応なので間違いなく聞こえてはいません。触れている人によって反応に強弱があるのは、筋肉の反応は人によって微妙に異なるので、知っている人だからよく分かるというのは当然のことです。
私が驚いたのは、触覚でそこまで情報が伝わるということでした。普通はそこまで触覚を働かせることがないので、人の手に触れているだけで感情を読み取ることなどできません。

ヘレンは見えも聴こえもしませんが、他の器官は正常です。皮膚は 振動や温度などいろいろな感覚を捉えて脳に伝えます。嗅覚も 物の正体や周辺の状況などたくさんの情報を脳に伝えます。ヘレンは見えなくても聴こえなくても、他の器官で様々な異なる環境や変化を体験しているのです。その感覚が何であるのかを、サリバン先生はその都度ヘレンに説明し続けたので、ヘレンは健常者と変わらないほど世界を正しく認識しています。
色を見たことがなくてもヘレンには色のイメージがありますし、音を聴いたことがなくてもいろいろな音があることを知っています。ヘレンなりに感覚を通して理解しているのです。
この感覚と実際との一致力が非常に高いのは、目が見え、耳が聴こえているならば自然に入って来るはずの情報を、常に進行形でヘレンの手に綴り続けたサリバン先生の功績です。充分な情報量を与えれば子どもは健常児と同じように成長していくのです。

人体は欠けた能力があれば、それを補うために残っている能力を総動員させて足りないものを補おうとします。
幼ければ幼いほど脳は柔軟に環境に適応するよう変化します。
だから、どんな子どもであっても、その子なりに無限の可能性を持っているのです。

ヘレンは聴覚や視覚という 情報を伝える最も重要な器官を2つとも失いました。この2つの器官が使えない子どもは、放っておくと、脳の成長のために必要な刺激(情報量)が極度に不足してしまいます
だけど、目や耳から得る膨大な情報量に匹敵するだけの刺激(情報)を与えたならば、盲聾であっても、健常児並みに、いやそれ以上に 脳を発達させることも可能なのだということをサリバン先生とヘレン・ケラーは証明したのです。
障害児の教育は、1人1人抱えている問題が違うので、誰もがヘレンほどに能力を開花させるというわけにはいかないでしょう。だけど、どの状態の子どもも自ら学ぼうとする習性は持っているので、その子にとって適切なタイミングで、適正な刺戟を与えたならば、きっとその子なりに成長していくことでしょう。
願わくは、全ての障害児がヘレン並みの適切な教育を受けられるようになりますように。

タイトルとURLをコピーしました