からだのエッセイ 第14回
デジャヴって不思議。
ほかの人がどんな感覚なのかは知らないが、私のは「あっ!この瞬間を知っている」という強烈な感覚で、ただ「見たことがある」とかではなく、何かしらの感情が混じっていて、ある瞬間に強烈な感情が走るという感じである。
デジャヴ(deja vu)はフランス語由来の言葉だが、日本語に訳すと既視感。
なので人によっては、今まで見たことのない光景なのに以前見たことがあると感じるのが「デジャヴ(deja vu・既視感)」で、既に体験したことがあると感じるのは「デジャヴェク(deja vecu・既体験感)」と説明する人もいるが、デジャヴを既知感と訳すこともあるように、一般的には両方ともデジャヴである。
■デジャヴとは
デジャヴを知らない人のために、ちょっとだけ説明。
デジャヴとは、実際には体験したことがないのに、どこかで体験したかのように感じる現象のこと。フランス語のdeja vuから来ている言葉で、デジャブ、デジャヴ、デジャビュ、デジャビューなどカタカナ表記は人によって様々。
私は普段はデジャビュを使っているが、一般的にはデジャブが多そうなので、ここでは間をとってデジャヴを使うことにする。
このデジャヴ、たくさんの人が体験している。
記憶の再認識の問題だと説明する人が多いが、原因は今も分かっていないようだ。
医学的には精神障害が挙がることが多いが、健康な人のデジャヴとなると、結局のところ仮説の域を抜けない。
ならば自説を述べるのも有りかなと思ったので、個人の体験から思うことをちょっと書かせてもらおうと思う。
■私のデジャヴ
今はめっきり味わうことがなくなったデジャヴだが、20代の頃はふとした時に、突然起こることがたびたびあった。
「この場面を知っている」「この光景を体験したことがある」などの奇妙な感覚はかなり強く、それは確信に近いのだが、いくら思い出そうとしても前後の光景やエピソードを思い出すことはできない。
デジャヴという言葉を知る以前の私は、この不思議な体験に、予知能力かもとか、違う時間軸の自分の体験なのかもとか、自分には特殊な能力があるのかもみたいな妙な期待をしていた(笑)
今は違う。
夢の体験を疑っている。
かの有名なフロイト(精神科医)も、デジャヴを夢と結びつけて考えていたようだが、詳細は知らない。同じ説かもしれないし、違う説かもしれない。
ちょっと無責任だが フロイトのことは横に置いといて、気にせず書き進めることにする。
デジャヴを既視感と捉えると、「この風景、どこかで見たことがある」というのもデジャヴに入るように思う。だけど それだけなら誰も気にしない。
不思議を感じるのは、たぶん見たことがあると感じた時に、ほかの感覚がセットでよみがえるからだと思う。
私はその感覚を潜在意識に埋もれている夢の記憶が影響しているのではないかと考えている。
当然そのほかにも、精神疾患が原因の場合もあるし、過去の類似記憶による誤作動かもしれない。
でも結構な割合で、無意識下の夢の記憶が原因になっているのではないかと思うのである。
■なぜデジャヴを夢の記憶と考えるのか
私がデジャヴは夢と関係があると考えるようになったのは、自分の体験から来る。
私は人より夢の記憶が残る方らしく、10代20代の頃は翌朝に複数の夢を覚えていて、3つぐらいなら夢の内容を人に話すことができた。
自慢ではないが、成人になってからは夢をコントロールする術も覚え、夢のストーリーの改ざんを試みたことも数限りない。
そんな私もいつの間にか夢を見ることが減った。見なくなったというより、覚醒すると夢を忘れてしまうのだ。だから、日によっては “夢を見た”という記憶だけが残り、内容を思い出せなくてイライラすることもある。
夢を覚えていないと言う人は多いので、今の私の状態は普通なのかもしれないが、ちょっと寂しい。
だけど、夢の改ざんは相変わらず今もやっている。
ちなみに、この夢の改ざんは顕在意識が「これは夢だ」と認識していなければ出来ない。
また、認識しているからといって簡単に書き換えられるものでもない。
書き換えるためには脳は必死モードで頑張らねばならないので結構ヘトヘトになる。なので、私の睡眠の質はきっとめちゃくちゃ悪いと思う。
話は脱線するが、私は“入眠時に突然覚醒してしまう”という原因不明の持病を持っている。この持病の発症も、もしかするとこういう脳の使い方が影響しているのかもしれない。
話を戻す。
夢の内容を忘れるようになってから気付いたことがある。
起きている時はすっかり忘れている夢の内容であるが、不思議に眠ると思い出す。
この夢はこの前見たとか、ここは来たことがあるとか、この道を行くと恐い目に遭うだとか。
覚醒すると忘れるけど眠ると思い出すのは夢だけではない。睡眠中の体の変調も半覚醒状態のまま眠ってしまうと翌朝には忘れている。それが睡眠モードに入ると「あっ、昨日もこの症状出てた」など思い出すのである。
こういう体験を繰り返すうちに、ある仮説が浮かんできた。
昔のように翌日に夢のストーリーを語れるほど覚えていた時では気付けなかったが、忘れるようになったことで、睡眠時と覚醒時の記憶にオンオフがあるのかもしれないと思うようになった。
顕在意識の支配下にある覚醒時の記憶、すなわち現実のエピソード記憶と、夢の記憶は直接結びついてはいない。だから忘れたら忘れっぱなしだが、それは思い出さないだけで、夢の記憶が完全に消えてしまっているわけではない。だから、起きて活動中の時に、何かの刺激が夢の断片記憶に触れる可能性はあると思う。
というのも、記憶は1つの神経細胞が担っているのではなく、複数の神経細胞がグループになって記憶しているという説があり、1つの細胞が他の記憶にも使われているのだとすれば、突然夢の記憶の断片(風景)に触れる可能性は十分にあり得ることだと思うのである。
■デジャヴの正体
昔、読んだ本の中に、夢に出て来る風景は必ず実際に見たことがあるものだということが書かれていた。行ったことがない場所でも写真か何かで無意識に見ているはずだというのである。当時はすごく納得したが、今はそうは思わない。
人間には想像力、創作力があり、夢の中でも創造はできる。意図的に創作しているのではないが、無意識に様々な記憶が混ぜ合わされて創作されてしまえば、それは現実の世界にある風景だとは言い切れなくなる。
すなわち私達は夢の中でも多くの体験をしていて、顕在意識が夢の内容を思い出せないとしても、私達の脳内には夢の記憶が蓄積されていると思う。
自分の体験から思うのは、現実の記憶の回路と、夢の記憶の回路は違うということで、その記憶回路は睡眠によりスイッチが切り替わるということ。
だけど互いの記憶は完全に遮断されているわけではないので、私達が現実世界で活動中に 何かのはずみで 夢の記憶の断片に触れることは当然あり得ることだと思う。
そして、基本的に覚醒時と睡眠時の記憶回路は違うと考えているので、断片の記憶に触れたからといって必ずしも前後の記憶が呼び覚まされるものではない。
というよりも、そもそも夢とは脳内で記憶の整理中に起こる断片記憶の反応のようなものなので、大抵は時系列はめちゃくちゃである。夢を系統立てて記憶するためには、顕在意識がストーリーを思い出しながら組み立て直さねばならないが、ほとんどの夢は目覚めたら忘れている。
当然、顕在意識が一度もタッチしたことのない夢の断片記憶に刺激が走っても、顕在意識にその記憶の前後など分かりようがない。
だから、一瞬の場面に「知っている」という感覚だけが残ることになる。
これがデジャヴの正体なのではないかと私は思うのである。