あなたは、BGMの無い世界を想像したことがあるでしょうか。
お店に入ると流れている音楽、ドラマや映画でバックに流れる音楽、いろいろな所で雰囲気を盛り上げてくれる音楽や音。BGMは世界に溢れています。
私は進行性難聴で、今は補聴器をしてもBGMは全く聴こえません。
BGMが聴こえなくても不便はないので普段は存在を忘れているのですが、BGMを聴いていた頃と比較すると、BGMの無い世界は味気ないなあと思います。
今日はそんなBGMの話です。
■私の難聴
難聴でも聴こえ方は人さまざまです。
私は20代で発症した進行性の感音難聴です。
軽度からの出発ですが、高音から徐々に低音に向けて音を失っていく中で、BGMの聴こえ方は早い段階から変化していました。
その様子は以前→「ナンチョーな私の気まぐれ日記(6)音楽と私③「最後まで残った音」に書いたので、耳の変化(耳の状態によって聴こえ方が全然違うこと)の話はここではしません。
ちなみに健聴だった頃の私は、いろいろな音が混じり合った繁華街のざわめきが好きでした。
逆にシーンと静まり返った環境にいると落ち着かなくて、そんな時は音楽を流したり、ラジオをつけたりしていました。
今は24時間鳴りやむことのない大音量の耳鳴りの中で生きているので、シーンとし過ぎて落ち着かないということは今の私にはありません。
しかも私の耳は 音が狂って聴こえるので、今の私は 余計な音は無い方が落ち着きます。
■店舗や施設のBGM
店舗のBGMは、補聴器を着けても、今は全く聴こえません。
店舗のBGMが聴こえないことで支障が出ることはないので、普段はBGMの存在自体を忘れています。
だけど、BGMに限らずですが、「音」は感情への作用も大きく、遊びに行った時などはざわめきで気分が高揚することもあったし、BGMで気分が盛り上がったし、波の音、鳥のさえずり、これら自然界の音に癒されたし、そういう体験があると、音の無い世界はやっぱり味気ないと感じます。
余談ですが、難聴者にとってBGMは有っても無くても同じかというとそうではありません。
悲しいかな、心地よいはずのBGMが逆に迷惑な存在になっています。
BGMを音として感じていなくても、音の妨害というのはあって、煩いと感じていないのに目の前の相手の声が届きにくくなる現象が起きるのです。
難聴度にもよるだろうけど、音声で会話する難聴者がお喋り目的で集まる時は、私の知る限り全員BGMは無い方がいいと言います。
聴こえていた頃は 音楽が流れていた方が 話が弾んだんですけどね。
やっぱり耳は健康が一番です。
■クリスマスが近づくと気になるお店のBGM
BGMがまだ聴こえていた頃は、クリスマスが近付くと、あちこちからクリスマスソングが流れていました。
今は聴こえないので、どうなのかは知りません。
普段はBGMが流れているかどうかなど気にしてないのですが、クリスマスの飾り付けを見ると、今もクリスマスソングが流れるのか知りたくなります。
昔に比べるとクリスマスの飾りつけが質素になったと感じるだけに、もしかしたら今はクリスマスソングを流すところも減っているのかなあとか、毎回ツリーを見るたびに考えてしまいます。
夏が好きだった私は、季節が夏になると、またまたBGMが気になり出します。
“海水浴場では今もBGMが流れているのだろうか”とか、“ドライブ中に流す音楽はどんな曲が人気なのだろうか”などなど。
そして、昔よく聴いた音楽を思い出しては「あの曲が聴きたいなあ」と思ったりして、諦めたつもりなんだけど、やっぱり音楽が聴けないことに虚しさを感じたりします。
難聴を発症する以前は あって当たり前だった音楽ですが、当たり前でなくなると音楽がある世界って幸せなのだなあと痛感します。
そして音楽だけでなく、波の音や鳥のさえずり、虫の声や、風鈴の音など、これらが聴こえなくなったことで、音で季節を感じることが無くなり、これも侘しいものです。
■映画やドラマのBGM
店舗や施設のBGMは忘れていることも多いのですが、映画やドラマのBGMや効果音が聴こえないのは大打撃で、これは観るたびに難聴の悲しさを思い知らされます。
同じ映画を観ても聴こえるか聴こえないかで感動は倍ほど違います。
選曲を間違うと映画もドラマも台無しになるように、音の影響はすごく大きいんですよね。
物が激しく割れる音が突然入れば、無意識にビクッとする。
小さな音から徐々に大きくすれば無意識に警戒心が働く。
楽しい音楽、悲しい音楽、怖い効果音、感情は音で動かされることが多いので、音が聴こえなくなったことで、映画もドラマも感動は半減しました。
もちろん俳優さんの声も聴こえないので、表情だけで感情をくみ取るため 聴こえる人とは感じ方にずれが生じることもあります。
セリフのバックに流れる音楽、人物のテーマ音楽、いろいろな音の演出に聴こえる人は影響を受けますが、聴こえなければ影響を受けないので、聴こえている人と感動する所が異なることはよくあります。
唐突に過去の記憶に飛びますが、古いアメリカの映画に「ロッキー」(シルヴェスター・スタローン主演)というボクサーの映画がありました。若い人は知らないかな。
映画は大ヒットでその後何度もテレビで放送されていたし、この映画で流れていたロッキーのテーマ曲は有名なので、知っている人が多いかなと思って例に挙げました。
「ロッキー」を観たことがある人は、このテーマ曲の効果の大きさは分かると思います。
実は私はきちんと観たことがなく、テレビで放送しているのを何かをしながら見た程度なのですが、それでもこのテーマ曲をバックにトレーニングしている主人公の姿は印象的に覚えています。
曲の効果はものすごく大きくて、もしもテーマ曲無しの映像だけだったら、この映画はここまで感動する物には仕上がらなかったと思います。
この音から来る感動は、聴覚を失うと当然無くなります。
テレビは音を消せるので、消音で映画を観てみれば、その味気なさは誰でも体験可能ですから、聴こえる人は ぜひ一度体験してみてください。
ちなみにホラー映画を音無しで見ると、ヒット作でも笑えてしまうものがあります。
音が無いとあんまりドキドキしないんですよね。
効果音もですが、BGMは 映画やドラマでは無くてはならないものになっています。
音楽だけで切なくなったり、楽しくなったりするほど、音には感情を動かす大きな力があります。
それだけに音の無い世界は、人生から色を取り除いたような味気なさがあります。
色で例えるならば、青い海、新緑、真っ赤な夕焼け、紅葉、桜の花など、世界はいろいろな美しい色で溢れています。
これらが全てグレーになってしまえば、美しさの感動は落ちます。
BGMの無い世界というのは、そんな色褪せた世界とよく似ている気がします。
美しい音や、素晴らしい音楽を聴けるというのは、すごく幸せなことです。
できるなら、もう一度、健康な耳に戻って、音を堪能したいなあと思うこともしばしばです。
そのためには再生医療に頑張ってもらわないと。
近い将来、難聴が治せるという朗報が聴けますように。
今日はクリスマスイブ。
サンタさん、来年こそは朗報のプレゼントよろしくです。
今回も最後まで読んでくださりありがとうございました。
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[前回のナンチョー日記]
↓
ナンチョーな私の気まぐれ日記(19)「補聴器をしても普通に聴こえるわけではない」②健康な耳は優秀
[次回のナンチョー日記]
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ナンチョーな私の気まぐれ日記(21)踏切音が聴こえなくて
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